胎動

〜7.胎動〜





 穏やかに、ゆるやかに、三年と数月が流れます。

 常春のラナンキュラスの界の中、二人はそう時を違えずに、十二と十一の歳を迎えました。


 ラナンとアラマンダ。

 異母兄妹の二人は、その頃には、里の中で名を知らぬ者がいないほど有名になっていました。


 飛翔と治癒以外の各分野に関しての生来の所持能力の少なさを補うかのように、体術と守護の結界能力を著しく発達させたアラマンダは、年若いながらもラナンキュラスの民の要として一目置かれるようになります。守りに長けた、次代の里長候補として名が挙がるほどになりました。


 一方、里の祭……年に五度ほどある「祈願祭」……作物の実りを願い祝い、里の歩む先を祈る祭の祈祷の時に、短時間だけ民の前に顔を見せるようになったラナンも、アラマンダとは別の意味で、里の民から眼差しを向けられるようになっていました。──得体も知れず感情さえ見えない怖い存在……といった認識が、なんだかよく解らないけれどふわっと微笑む感じの子……という認識へと変化したらしいと、誰かがラナンにそっと伝えてくれました。


 周囲の眼差しが少しずつ変化する中で、ラナンとアラマンダは相変わらずでした。

 これといって変わったことはなく、あったとしたら、ラナンがアラマンダのことを呼ぶ時に「アラマンダ様」と言っていたのが「アラマンダさん」に変わったことくらいでした。

 アラマンダはラナンに「様付けだとなんだか緊張するから呼び捨てにしてくれないかな?」と何度も何度も言いましたが、その度にラナンが「アラ……アラマ……アラ……アラマンダさ……アラ……」と、感嘆詞のようなものを際限なく繰り返していましたので、十数回ほど似たような会話が生じた後、アラマンダが「じゃあ、間をとって、さん付けでいいから……お願い」と項垂れながら言って、ラナンが必死に尽力して、ラナンが十一、アラマンダが十の時にようやく「アラマンダさん」が成立したようです。


 ──そんな穏やかな日々が、今後も静かに続くであろうと思われたある日のこと。


 突然の不自然な震動が、ラナンキュラスの里へ走ったのです。


 ……奇しくも祈願祭当日の昼で、地上に降り立っている民も一時里へと帰還している時期……里の民全てが、里に居る時のことでした。


 ラナンも、アラマンダも、里長も、それぞれがそれぞれの立場で祭の場へ集っていた時。

 和やかな雰囲気が場に満ちていた時のことです。


 唸りのようなそれは、低く重く、地面から足を伝って、各々の民へと響きました。


 ……地面も、建物も、周りにあるものは一切揺れてはいませんでした。

 ただ、地鳴りのような震動と音だけが、感覚的に、民の体へと流れ続けたのです。


 和やかな場の雰囲気を、不安と言い知れぬ恐怖に塗り替えたその震動は、短時間で去っていきました。

 辺りに何一つ、変わったものはありません。

 何の錯覚だったのだろうと、皆が皆、意見を交わし始めた時、里の周囲の様子を見に行っていた一人の青年が、里の外れの一角に異常を認めて報告に飛んできました。


「里外れの地面に一箇所だけ、亀裂ができいます。深く大きな溝のようなものが……。その中に、何か、石のようなものが埋まってるんです。形からして石版のようですが……」


 青年のその言を聞き、里長はその場へ赴こうと、里外れの方角へと目を向け──


 そこで、異様な光景を目撃しました。


 ……大きな石板が、空に浮いていました。


 誰もが固唾を飲んで見守る中、それはゆっくりとゆっくりと、祭の広場……民が集う場所の真上へと移動してきます。


 広場の真上でぴたりと動きを止め、静かに下降し……


 定位置にでも埋まるように、広場の中央の少しへこんだ部分に、鈍い音と衝撃を響かせながら降り立ちました。


「……」


 降り立って以降、いくら時が経っても微動だにしない石板の様子を見て、それまで黙っていた民の一人が声をあげました。


「……な……なんなんだ、これ。何で一体急にこんなのが……」


 震えを帯びたその声に反応するかのように、方々から声が発せられます。


「何か書いてあるのか」

「汚れててよく解らないな。俺たちに読める文字なのか?」

「触ったりしたらまた動いたりしないのかね」


 一時は落ち着きかけた民に再び動揺が広まるのを、里長が収めようと口を開いたと同時に、ある一人の民が叫びました。


「う……嘘だ……嘘だ……! こんなの嘘に決まってる……!」


 その者の瞳は見開かれ、石板を指差した手は、わなわなと震えていました。

 明らかにおかしいその様子を訝しんだ他の民たちは、改めて石板に注目します。


 ……そして。


「まさか、嘘でしょう!?」

「どうしてこんな……俺たちは……俺たちのやってることは……」

「これが本当なら、我々は何のために──」


 ……石板には、いつの間にか光を放つ文字が浮かび上がっていたのです。

 それは、ラナンキュラスの民であれば難なく読むことのできる、鳥の民の古代文字でした。


 ……文字を目で追った民たちは、それが示す内容を理解し、理解してしまったがゆえに、不安と恐怖と絶望と……怒りの感情に包まれました。


『我らいにしえの紡ぎ手、空よりり立ちし守護の民。地の安寧あんねいを願い祈り、守り歩みて灰に眠る。里に在りては軌跡きせきを記し、地に在りては影に生くるがその宿命さだめ。地に住みしものの調和の訪れに、永遠とわの眠りをる日まで……ラナンキュラスのは失せぬ』


 石板には、そう書かれていたのです。


 ……民にとってそれは、滅びの予言と同等でした。


 今までラナンキュラスの民がしてきたこと……

 大地を歩み、異能の目覚めによる事故や、異能を駆使した争いを防ぎ……時には異能者を排除しようとする勢力を暗に牽制し、干渉を控えながらも、それぞれを見据え見守ること……

 その先にある、ラナンキュラスの民も願っていたはずの世の安寧が……その喜ばしい瞬間が、ラナンキュラスの民にとっては消滅の瞬間になることを、石板は語っていました。


 ……ラナンキュラスの民の識る歴史は、民から民へと語り継がれた口伝と、記されてきた書物によるものです。

 それらの殆どが、里ができてからかなり経った後の記録で、それ以前の……特に初代の民については「空から降り立った古を紡ぐ民」としか記されておらず、口伝伝承もまた同様でした。


 ……ラナンキュラスの民に、始祖しそがいかにしてこの地に降り立ち、何故世界の調和を守ろうとしたのかを知る術はありませんでした。

 未知の領域に対する不安を抱えたまま、残された書物と口伝、そして、与えられた宿命を全うする誓いをもって標としながら、ただひたすらに重ねられてゆく守護の民としての歴史。

 ……いつしか、陰ながら世界の安定の維持に尽力している一族であるという誇りが、民の支えとなっていました。


 世界を支える役目を担っているのだから、出自は解らずとも、きっと自分たちは重要な存在なんだ。

 地上の民とはかけ離れた容姿をしているけれど、地上で見つかれば特異な眼差しで見られ罵られてしまうけれど、それも仕方ないんだ。

 地上の民は争いを絶やさない愚か者で、見守っていないとすぐ何かしかの火種が生まれる。

 そんな浅はかな輩だから、余裕がないから、異なるものを罵ってしまうんだ。

 自分たちには、それを許容し、手を焼いても見守り続ける度量がある。

 だからこそ、重要な宿命を担わされたんだ。

 自分たちは、要なんだ。

 ……時を経るごとに、民は……鳥の民としての誇りと慢り……地上の民への侮蔑と憐れみを抱くようになっていったのです。


 もちろん、全ての民がそうだったわけではありません。

 中には、そうした概念に異を唱える者もいました。

 鳥の民と地上の民とは対等だという認識に改められた時期も、短くはありましたが、確かにありました。

 ……しかし、長い時間をかけて定着してしまった負の概念は払拭しきれず、じわりじわりと再び……一種の蔑視のようなものが根を広げていったのです。


 ……そんな中、地上の民と堂々と大恋愛をして、口八丁で当代の要職の者たちを論破して掟すら改定させた挙げ句、「人の恋路を邪魔するのは野暮ってものですよ」とウィンクをして里を下りた珍しい民も……いるには……いましたが……。


 ……そういった、再び蔑視がはびこり始めていた時代に、石板の出土は起こってしまったのです。


 ……平穏だった里は、大混乱に陥りました。

 世に安寧が訪れたら、世を守護するラナンキュラスの民は消滅する……。

 ……石板が、ラナンキュラスの民の古い言語で記されていたことに、予言の信憑性を強く感じ取ってしまった民たちは、個々に様々な行動に出ました。


 ある者は、何故自分が地上の民に尽くした挙げ句消えなければならないのだ、と嘆き、地上の民に憎悪を向け。

 またある者は、途方に暮れ。


 このまま誇りにかけて宿命を全うしようという者や、皆の不安や憤りをなだめようと立ち回る者。

 当初の行動は、それぞれ全く異なるものだったのです。


 ……里長も、アラマンダも、それぞれが、事態を収めるために奔走していました。

 事態が事態なだけに、ラナンも里長に協力を申し出ましたが、天の祝はあくまでも干渉外……。民から干渉を受けない代わりに、ラナンからの干渉も許されない立場。

 動けば、さらに事を荒立てると念押しをされ、館に留まっていました。


 ……そうこうするうちに、事態は、収まるどころか悪化の一途を辿り、やがて里の民は、「あの浅はかな地上の民たちを守った挙げ句に消えるのが宿命なら、所詮我々の正体は、世の均衡を保つだけの捨て駒だったってことだ。ならいっそ、我々が地上を治めて善き世を創って、これからもずっと平和に暮らそうじゃないか。……あんな奴らだけのために生かされるなんて真っ平だ!」という一派と、「いや、今まで通り、守護を続けるべきだ。たとえ消えねばならない宿命だとて、一つの世界を守護することには大きな意義がある。我々にこの宿命を与えた者も、決して我らを捨て駒にしようとしたわけではない筈だ。それに、地上の民たちも、争いを望んでいるものは一握りだろう。我々には、必死で生きるものに干渉する権利はない……。地上の民が愚かだと言ったな?……ならば、地上の民たちはこう言うだろう。お前たち侵略者は、果たして愚かではないのか、と」と反論する一派の、二つの派閥に別れてしまっていました。


 ……ラナンキュラスの界の外へ出るには、外への出立機会毎に、里長の儀式が必要になります。

 それがないと、いくら力のある者でも、里や里の周囲に幾重にも張り巡らされた特殊な結界……里長にしか操れないそれに弾かれて、舞い戻るのが関の山でした。


 ……ある日、中立の立場で皆を抑えようとして苦悩していた里長に、地上を新たに統治しようとする急進派が総員で襲いかかりました。

 ……直後、里長を庇うようにして、急進派の気配を伺っていた……守護を貫こうとする穏健派が、急進派の前に立ちふさがります。

 急進派は、里長の命を奪って結界を消滅させ、地上へ降り立つことを求めて。

 穏健派は、里長を援護しつつ、里長を安全に避難させるように。

 それぞれの睨み合いが、ちょうど……天の祝の館の前で起こったのです。


 ……場には、ほとんどの民がいました。

 ……アラマンダの両親は急進派、祖父は穏健派。曾祖父……里長は中立でした。

 ……祖父に向かって攻撃を仕掛けようとする両親、応戦しようと構える祖父。

 ……それぞれの親と同じ側について争いに身を投じる子供たち。

 ……アラマンダは、両親の後ろから走り出て、二つの派閥の相対する場で……場の中央で、両手を広げて叫びました。


「やだよ、こんなの……もう止めようよ……。なんで父さんたちとおじいちゃんが争わなきゃいけないの? なんで、友達と離れ離れにならなきゃいけないの……? なんで、みんな、前みたいに笑ってくれないの……? こんなのいやだよ。いやだ……。大切な誰かを憎むのもいやだ……いやだよ……。……ねえ、お願い……やめて!」


 ……悲痛なその叫びは、一瞬だけ皆の手を止めました。


 ……が。


 次の瞬間、アラマンダに向かって、急進派の……

 ……アラマンダの父から、アラマンダに向かって、一撃が繰り出されました。


 阻むものは我が子であれ容赦はしない。

 ……辛うじて攻撃を避けたアラマンダに向かってそう呟いたアラマンダの父の手から、さらなる……能力による連撃が繰り出されようとした瞬間。


「やめてください、お願いします」


 凛とした声が響いて、争いを始めようとしていた全ての民の手が、体が、硬直しました。


 ……アラマンダの脇に、ラナンが立っていました。

 アラマンダと里長以外の全ての民の体が、動きを取ることを抑制されていました。


「これ以上この地を汚すことは許さぬと……先刻、天の声を聴きました。天がお怒りです。ラナンキュラスの民よ──天の怒りを鎮めたくば、どうか、武器を──能力を、お納め下さい」


 ……朗々と響いたラナンの声と、体に自由が戻ったことを自覚した民たちは、一人、また一人、武器を落としていきます。

 能力を使おうとしていた手を、下ろして……。

 ……そして。


「ああ……」


 一人が呟き、所々から、ぽつりぽつりと、声が発せられます。


「なんてことだ……」


「俺たちは……」


「こんな──」


「──俺たちは……馬鹿げてた。こんな……こんな怪物がいるのに、抜け出して地上を統治しようなんて……絶対に不可能じゃないか」

「そうだよ……異なる容姿で生まれたあいつはきっと、破滅の兆しだったんだ……世が落ち着いてきたから……だから……ラナンキュラスの平穏を崩して一気に消すために……」

「……どうせいつか滅びるなら、今、全て巻き込んで消えてやる……!!」


 ……。

 ……場が静まったのも束の間、辺りは……大暴動へと姿を変えました。


 ラナンは先程の力でほぼ力を使い尽くしており、ただ立ち尽くし。

 アラマンダは泣きながら、そんなラナンを引っ張って避難するべく走ります。


 氷の刄。

 火の海。

 荒ぶる風。

 覆いかぶさる水。

 それら全てを、結界で防ぎながら、アラマンダは、「いざという時にはここへ」と里長に言われていた…アラマンダだけが知る地下通路──転送陣てんそうじんへと駆け込みました。


 地面の岩をどけ、土を掘り、現れた転送陣…人の体を特定の場所へと移動させるそれの上に立つと、真っ暗な地下空洞へと転移します。

 その空洞を、奥へ奥へと、灯りなしに手探りで進むと、小さな部屋に辿り着きました。


「……待ち兼ねたぞ」


 里長が言って、アラマンダが涙で顔を歪めながら頷いて、ラナンは静かに、それを見つめていました。


「……済まなんだな、アラマンダ……そして祝よ」


 苦笑いした里長に、アラマンダは必死で訴えます。


「ねえ、ひいじいさま、どうすれば止められる?どうすれば、みんなまた笑ってくれるかな。どうすれば……私にできることは……他には……何か……」


 里長は、アラマンダの頭を優しく撫でると、静かに微笑みました。

 なかなか笑わない里長の、穏やかな笑みを見たのは…その時が最初で……そして……。


「アラマンダ、よく聴きなさい。……人の心は不変ではない、常に変動するものだ。そして一度こじれた関係というのはなかなか戻らず、事態が大きければ大きいほどに修復が困難になる。……親子であれ、親友であれ……ひとときの憎悪というものは、長年の信頼関係すら、いとも簡単に打ち砕いてしまうのだよ。……その打ち砕かれたものは、長年かけても戻せない場合も多いというのにな……」


 里長は静かな微笑みを湛えたまま、部屋の隅に置いてあった小さな机へと歩を進め、その上に透明な石を載せると、二人を手招いて言います。


「ごらん、アラマンダ……ラナン」


 その言に、ふと硬直して顔を見合わせた二人を見て、里長はくすりと笑いました。


「お前たちが会っていたことなど、とうに知っておったわ。わしの結界能力を甘く見るでないぞ。……安心せい、止める気なら初めから止めていた。それにだな……アラマンダ……寝言には今後気をつけたほうがいい。おぬしの父親が笑って言っておったぞ。夢でラナンとかいう輩と、よく話をしているようだとな」


「!」

「……」


 ばつの悪そうな顔をしたアラマンダと、表情を変えずとも視線だけを逸らしたラナンに向かって、里長は笑みとも、悲しみとも思える表情で二人の肩に手を置き、そっと話します。


「咎めはせんよ……感謝はすれどな……。……さあ、二人とも、これを覗いてみなさい。何が見える?」


 一瞬動作を止めてしまっていた二人でしたが、里長の言葉に弾かれるように透明なその石を覗き込んで……


「嘘……でしょ……なにこれ」


 アラマンダが目を見開いて驚愕して。


「………歪が」


 ラナンが思わず、眉根を上げて声を漏らしました。


 石に映っていたのは、先ほどまでアラマンダが走り逃げてきた……里の風景で。

 それは、緑と青の織り成す里の景色とはかけ離れた、紅色。

 様々な光が各所で生じ、光とそう時を違わずに紅色が舞う。

 風に霧散し、氷の刃に流れ、地に絡み広がるのは……暗褐色。


 炎の赤が至る所で踊り狂い、日に焼け薄く色落ちした屋根屋根を赤々と染め上げて、やがて呑み込んで……

 形を成したものが……

 家々も、人も……


「あ……あ……あああ……」


 身震いして座り込み、頭を振り続けるアラマンダ。

 寄り添うようにして、黙ったまま隣にしゃがんだラナン。


 二人から少し離れて立ったまま、里長は口を開きました。


「……すまないな。……今、目に焼きつけておいてほしかった。起こり得る事態が起こってしまった姿を。……ここを出る時には振り向く暇などないだろうから、な。……だが、これもまた覚えておいてほしい。ここに映っていたのも事実だが、今までの日々もまた、実際にあった出来事だということを……。笑い合い、喜びを分かち合い、時に涙し悲しんだ……そんな時間があったこともまた、確かな事実なのだと」


 その言葉を聞いて、ラナンがアラマンダを支えながら、静かに尋ねます。


「ここを……ゆがみでなく……糸ゆえに……ですか?」


 ラナンの問いに、里長は頷きました。

 苦渋を浮かべながら……しかし、意志の灯った眼差しとともに。


「……わしは、残って見定める。……だからな、これは見定めがある方向へと傾いた時のための仮の措置だ。それを頭に置いた上で、わしの話を聞いてくれ。……アラマンダ、こちらを向いてくれるか? そして……ラナンもな」


 真剣な声に、おさまらない体の震えを必死に堪えながらもラナンの手を借りずに立ち上がったアラマンダは、里長の眼差しを映したような眼差しを、里長へと向けました。

 ラナンはそんなアラマンダを横目で見つつも、里長へと体を向けます。

 二人の姿にそっと目を伏せて、里長は言葉を紡ぎました。


「……アラマンダ、おぬしを里長代理に任命する。今からラナンを連れてここから遠く離れ、わしがここの収集をつけるまでラナンキュラスの定めを果たしてほしい。里長の証も、知識も、一時的におぬしに渡す。頼んだぞ」


 古びた、けれど、先端に括り付けられた石が、静かに穏やかにほのかに光を放つ首飾りが、アラマンダの首へとかけられます。

 首飾りを強く握り締め、口を硬く結んだアラマンダの額に、里長はそっと触れました。

 アラマンダもラナンも知らないような言語で何かを呟くと、柔らかく微笑みます。


「……これで、わしの代までの記録も、おぬしに移された。……案ずるな、溢れはせぬよ。……ゆるやかに、知らぬうちに、いつしか記憶に積まれているだろう」


 少しの間眼を閉じて、溢れそうになる涙を振り切って、アラマンダは頷きました。


 一度だけ、深く頷きました。


「……」


 ラナンが伏し目がちに二人の様子を伺っていると、里長の手が、ラナンの頭へと伸びてきます。

 大きなその手は、真っ直ぐなラナンの髪をくしゃくしゃと撫でて乱しました。


「……ラナン、暴れ馬を任せたぞ。このはねっかえりには、冷静な祝が不可欠だ。……里長代理を……現在里長の任を担いしアラマンダを守り、補佐してくれ。…そして同時に、おぬし自身をも守り通すことを、誓ってほしい」


 深い深い、青。

 里長の眼を見ながら、ラナンはゆっくりと頷きます。


「わかりました」


 ほんの一言。

 たった一言。


 それは、今までラナンが里長に伝承を教わっていた時の返事と同じ響きで。

 同じ響きながら、似て非なるものでした。


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