◆intermezzo◆ 〜魂よ安らかに〜
◆intermezzo◆ 〜魂よ安らかに〜
都アフィリメノスの地下施設の面積は広い。
その広大な地下施設の上には、ごくごく一般的な建築物……商店や住宅が並んでいた。
昼間は活気のあるこの場所も、住まう者たちが寝静まった宵は静寂に包まれる。
地上に少しだけ遅れる形で、地下施設も一様に寝静まった頃、地上に立ち並ぶ住宅のうちの一軒の扉が微かに開き、閉まって、一人の少女が歩み出た。
遠慮がちに、一定のリズムで、衣擦れの音が響く。
小さなその音は、地下からの湧き水を地上へと汲み上げる仕組みを応用して人工的に築かれた、泉の広場で姿を消した。
薄灰の石を組んだ囲いの中にできた大きな水鏡に、中天にかかった楕円形の月が浮かぶ。
少しの間立ったまま水面に揺らぐ月夜を眺めていた少女は、ゆっくりと、泉を囲う石組みへと腰掛けた。
『……よろしかったのですか? あんな……一瞬だけで』
声に出さず、思念だけを宙へと向けて送ると、柔らかな声が返ってきた。
「ええ」
耳元だけに届く、微かに聞こえる程度の声を、少女は身動き一つせずに聞いていた。
辺りに響くのは、泉の周りに植えられた木々が風を受けて擦れ合う、微かなざわめきだけで。
それ以外に、音は無い。
『……本当に、もうお会いにならないのですか? お話もなさっていないのに……』
少女の視線だけが動き、何も無い宙を眺めた。
「ええ、いいの」
宙が歪んで、薄い金髪の女性が現れる。
ちょうど少女が眺めていた辺りに立ち、ふわりと微笑んだ。
少女の淡い藍の瞳には、先ほどまでと全く変わらない闇が映されている。
「……あなたの
穏やかな、それでいて凛とした女性の微笑みに、少女は顔を強張らせた。
『……!』
女性は少女へと近づくと、その透き通るような銀の髪をそっと撫でる。
「支障が無いっていうのは嘘なのね? ルーアンちゃん。……あなたは、思念を異能者へと伝える力のほかに、意識体の器としての力がある……。けど、後者は使用禁止。……違う?」
女性の手が少女へと届くことはなかったが、少女は女性の想いに、藍の瞳を潤ませた。
女性は、そんな少女を透き通る腕で抱きしめると、ゆっくりと手を解き、少し離れた所に立つ。
「……ルーアンちゃん、あなたの大切な時間を、命を──ありがとう」
深く頭を下げると、真っ直ぐに背筋を伸ばし、それから遠い月へと顔を向け、女性は融けていった。
「……」
女性の微笑みに似た月明かりが、少女へと慈愛を注ぐ。
少女は石組みに当てていた両の手を組み、そのまま少しの間黙祷した。
「幻に
囁くように、声に出す。
宵に歌うは、聴きし者の心を揺らす軌跡。
憂いと祈りを織り上げて、覚めない夢へ謡った。
『──泣いているの?』
ほんの少し前の、過去。
ただただ無表情で眺めていた夜空に、ふわりと現れたその人を想って、少女は微笑む。
繰り返していた歌を止め、傾き始めた月を見上げた。
行き場を失い彷徨っている自身のことよりも、目の前の、名も知らぬ少女のことを気遣ってしまうその人の行動を想いかえして、ふっと口から息を吐く。
美しい満月というよりは、どこか抜けている……ちょうど今の月のような人。
完璧が似合いそうで似合わない、遠く近しい人。
接した僅かの期間にもらった、数多くのもの。
僅かの期間に聴いた、印象深い話たち。
「シエラ様……。わたしにも、誰かに生きてほしいと……笑ってほしいと願うことは、許されるのでしょうか」
胸に手を当て、そっと呟くと、少女はすっと立ち上がった。
小さく衣擦れの音を響かせ、踵を返すと、月明かりの届かない屋根の連なりの下へ、姿を暗ませる。
穏やかな闇夜に浮かんだ月が、刻々と、傾きを増していった。
近づく東雲時を、待ち侘びるかのように──。
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