第二章 新興国家セレス
〜1.鳥の降り立つ城〜
南からの追い風を受けて、速く、速く。
目にもとまらぬ速さでセレス領上空を飛び続けた鳥は、ある地点で一度降下し、静かに一夜を明かした。
夜明けとともに再び飛び始めると、真っ直ぐに北を目指す。
眼下に広がる緑の中に巨大な白壁の城が見えた辺りで、速度を緩めた。
くるり、くるり。
何度か城の周りを旋回した後、見張りの目を盗みつつ、静かに慎重に下降する。
「よいしょ、っと……」
降り立ったのは、広大な城の、一番高いところ。
限られた人間しか入ることを許されない、城主の執務室──その窓の外にある、小さなテラスだった。
降り立つことのできる足場──広いバルコニーが執務室よりも下の階にあるのだが、そこでは人目につく可能性が高い。
「今なら……大丈夫かな……」
そっと窓枠に手をかけると、それは容易に開いた。
机と本棚が置いてあるだけの、簡素な部屋を見回してみる。
──誰も、いない。
机の上には、作業の途中なのだろうか、乱雑に積み上げられた書類の数々。
隅のほうに転がった万年筆。
「……あれ?」
呟いた声に、執務室の扉の外から返事があった。
「遅かったな、アズロ」
壮年の男が姿を現し、後ろ手にドアに鍵をかける。
……これで、誰にも話を聞かれずに済む。
アズロは軽く溜息をついて、男に話しかけた。
「無用心ですよ、窓の鍵は開いたまま。重要書類は机の上に置きっぱなし。誰か侵入したらどうするんですか。仮にもあなたは一国の王……自覚を持ってください」
恨みをかって、狙われることだってあるんだ……。その一言を飲み込んで、アズロは男を睨む。
じろりと睨み付けるアズロに、その男は笑って答えた。
「ここから侵入できるのなんて、お前一人くらいだろ。ここがどれだけの高さだと思ってるんだ? バルコニーから紐でも投げたって、届きやしないさ。……それから、敬語はよせ。気味が悪い……いや、気色が悪い」
アズロはわざとらしく首を振ると、溜息とともに言う。
「あなたは良くても周りが駄目なんです。考えてもごらんなさい、私とあなたでは、外見の年齢が違いすぎる。私があなたに対して敬語を崩したら、周りの者たちは、私のその態度を、あなたに対する不敬と捉えるでしょう。……誰が見ていなくても、普段から態度を意識することは必要だと思いますが?」
「……あー、解ったわかった、解ってるさそれくらい! けどな、今くらいはいいだろ? たまには素で喋らせてくれよ、俺だって疲れるんだ。お前だって、たまには素でいたい時もあるだろ?」
「……」
男の言葉に、アズロは少しだけ黙ると、ふっと目尻を緩める。
「……仕方ないなぁ、今だけだよ、ジェイ」
苦笑いしながら言うと、手近な所にあった椅子に腰掛けた。
「ようやく名前で呼んでくれたな。……全く、お前は妙なところで固いよなぁ……」
ジェイと呼ばれた壮年の男は、本棚に寄りかかりながら軽くあくびをすると、ふと真剣な目になって呟いた。
たとえ扉の外で聞き耳を立てていたものがいたとしても、決して聞き取れないくらいの音量だ。
「……さて。んで、どうだった? フォーレスの風使いは」
対するアズロも、声量を抑えて答える。
「そうだね……今のところはなんとも……。ただ、使えることは間違いない。あれだけの力を使える者は少ないし。……例えばの話だけど、今、シリルにいる遠征軍が全力でフォーレスを攻めたとしても、全員無駄死にするだけだろうね。後ろに居るアーリアのこともある……いくらセレスに異能者が多いといっても、まだあれほどの大軍を相手にできるとは言い難い。……今は、大人しくしてるのが無難だと思うよ」
「……」
ジェイは、少し沈黙してから、椅子に座るアズロの両眼を見据えた。
「なるほど、解った。しかし──お前は最近いつもそうだな。『動かないほうがいい』の一点張りだ。確かに現状から言えばそうなんだろうが……お前らしくないというか。……何か、考えでもあるのか?」
ジェイの漆黒の瞳が、訝しげに細められる。
アズロは軽く手を振ると、苦笑した。
「いやぁ──最近、年のせいか腰が重くてね、考え方も重くなるというか……」
へらへらと笑ったアズロに、ジェイはつかつかと歩み寄る。
ごつごつと骨ばった利き手の、その指先でアズロの額を何度も小突いた。
「阿呆、それは俺のセリフだ。お前はその体で俺にそれを言うか! 俺と同い年なくせに十代の若さを保ったその体で!」
「えー、ただ体が年をとるのが普通の人よりちょっと遅いだけじゃないかー」
小突かれながら、アズロは頬をふくらませる。
そんなアズロの態度を見て、ジェイは深く溜息をついた。
「ちょっと、じゃない! ……しかし、まぁ、ここのところお前に頼りすぎたしな。……ちょうどいい、今は、国としても動きのとりにくい時期だ。近いうちに休暇をやるよ。たまには休んで来い」
ジェイの言葉に、アズロは目を輝かせる。
「いいの?」
ジェイはさらに溜息をつくと、アズロの肩を叩いた。
「ああ、いいさ。ただし、羽目は外すなよ」
アズロはジェイのその言葉に、一瞬だけ考える素振りを見せ、それから自信をもって真顔で断言する。
「大丈夫大丈夫、僕ほど真面目で仕事熱心で王に忠実で、しかもしっかりしてる人はいないよ?」
──ひと時の、沈黙。
そして、深く、長い長い溜息。
「……まあ、いい。もういい。何でもいい。本当ならあまり私用で飛んでほしくはないが、気晴らしになるなら久しぶりに自由に飛んだっていい。誰にも見つからなければそれでいい。お前には俺が何言ったって無駄だからな……。好きにしろ。ただし、これだけは守れ」
「なに?」
「死ぬなよ」
ジェイの言葉に、アズロが肯くことは無かった。
ただ、いつものようににっこりと柔らかく微笑むと、ひらひらと手を振って執務室を飛び立つ。
気配を隠しながらゆっくり城門の裏側へ降下すると、正面から城の中へと戻り、ジェイの視界から消えていった。
一国の国王のものへと表情を変えたジェイは、誰もいなくなって物音一つしない執務室で、ぽつりと呟いた。
「死ぬなよ、朋友。……お前にまで、先に逝かれたらたまらない」
少しだけ開けた窓から、風が舞い込んでくる。
涼やかなそれは、遥か遠い故郷を思い出させて。
記憶の底に眠るあたたかな笑顔が、厳しく見えるジェイの視線に、ほんの少しの柔らかさを付加する。
「……アラマンダ……俺も老いたらそこへ行く。待たせてしまってすまないが、今はどうか、見守ってくれ……」
低く、重く、深く。
けれど儚く。
部屋に小さく響いた声は、誰に届くこともなく、ジェイの胸の内へと静かに落ちていった。
さやさやと──風はそよぐ。
空を知らない雨粒が、一粒だけ迷い込んで、ほんのりと床を濡らした。
敷布に吸われたそれは、跡形も無く消えていく。
「……」
姿勢を正した王は、無言で首を振ると、執務室を後にした。
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