第8話 『麗氷姫』と身体能力の確認をしよう




 それからというものの、放課後に霊峰院と話し合った結果、バイトが無い日の放課後に勉強や運動競技を教えてくれることになった。バイトのシフトにもよるが、おそらく彼女が教えてくれるのは週三回の放課後といった具合だろう。


 それと、連絡先を交換した帰り際に俺は一つ霊峰院に訊ねたことがあった。俺が"霊峰院学園に相応しくない"というのは百歩譲って良いものの、それでも彼女が俺に教えるメリットは何も無い。むしろ彼女自身のプライベート時間が削られてしまうというデメリットの方が大きい。


 俺を無視していたにもかかわらず、こうして話し掛けてきてくれたり今回の提案をしてきたのはどうしてなのかと訊いたところ、次のような返事があった。



『誰かさんの無神経さに苛立ちはしましたが、雪村先生から貴方のお世話をするように言われてしまいましたもの。―――わたくし、一度了承したことは必ず成し遂げるのが信条ですので』



 凛としたクールな表情でそう言った彼女。淡々とした口調ながらも、その言葉には紛れも無い誠意が込められていた。


 こうして俺と霊峰院の放課後練習会が始まった。








 次の日の放課後。俺と霊峰院は体操着姿で旧体育館に立っていた。この場所は普段使われている体育館とは離れたところにあるのだが、森の茂みや薄暗い雰囲気で誰も近づかないようだ。


 因みにこの学園の昔ながらの名残なのか、男子は普通の紺の体操着なのだが女子は赤色のブルマというように校則で指定されているらしい。何度も言うようだが、霊峰院さんは本当に高校生かと疑う程に身体のスタイルが良い。現に霊峰院さんは半袖の薄い体育着でも隠し切れない大きくたわわな胸の膨らみと、瑞瑞しく日に焼けていない白磁のような太腿を晒していた。


 そんな彼女は腰に手を置くと、俺の方を見つめながら声を掛けてきた。



「―――さぁ、まずは御子柴さんの身体能力をチェックしていきましょう」

「っていうか最初は勉強から始めた方が良いんじゃ……?」

「『健全な精神は健全な身体に宿る』と言いますわ。つまり、御子柴さんの未熟な身体に宿る腑抜けた精神のままでは身体能力はおろか勉学も身に付きません。つべこべ言わずにわたくしに言われたことだけをしなさいな。さぁ、まずは軽く体育館百周ですわ!」

「あれもしかして結構スパルタ!? あとその言葉の意味絶対違う!!」



 それから俺はへとへとになりながらも何とか三十六周までは走り終えるがそれ以上は無理だった。バイトをしている事もあってスタミナには自信のあった俺だったが、両足は今にもつりそうなほど限界だった。身体が、追い付かない……っ!


 汗だくになった俺は地面に倒れ込むようにへたり込む。激しく息を吐いていると、カウンターを持っていた霊峰院は呆れたような視線を俺に向けていた。



「まったくだらしないですわね。たった三十六周如きでそんな簡単に息が切れてしまうだなんて」

「はぁはぁ、たったって……。走った距離をトータルすると、はぁはぁ、これでも十分ハードじゃねぇか……。そもそも俺に走れって言ったけど、霊峰院さんは体育館百周走れんのかよ?」

「走れますわ」

「―――は?」



 は?


 霊峰院はその大きな胸の下に腕を組みながら当たり前のように返事する。そしてぐるんぐるんの金髪縦ロールを優雅に手で払いながら口を開いた。



「この旧体育館は一周約200メートル。つまり百周走るとなると二十㎞になりますわね。この程度の距離、屋敷にある数多のマシントレーニングやスポーツで日々身体を鍛えているわたくしにとって何も問題ありませんわ」

「マ、マジか……!?」

「マジですわ。……あぁ、そういえば。言ってませんでしたが、この旧体育館は現在利便性の問題から一般生徒の利用は禁止されていますがこうしてわたくしと一緒に使う分には問題ありません。更衣室を使用したり自動販売機で飲み物を購入する事も可能ですので、利用する際は心置きなく使って下さいまし」

「お、おう……。ありがとう。流石に理事長の孫娘だけあって詳しいんだな……!」

「……ふん、当然ですわ。わたくし、この霊峰院学園の施設のことはすべて把握しておりますの」


 

 霊峰院はプイッと顔を背けたが、心なしかその頬に赤みが差したように見えた。俺は寝っ転がっていたので残念ながらその表情を最後まで見ることは出来なかったが……。たぶん、可愛かったと思う。もう俺じゃなきゃ見逃しちゃうね。


 それからあまり時間も経たず俺の方を見るといつも通りの冷たい表情をした彼女に戻っていた。寝そべっている俺に近づいた彼女は、すっと目を細めながら見下ろすと―――、



「やはり貴方、全然ダメダメで無様ですわね」

「なっ、なんだとぅ!?」



 急に話を戻すように俺を貶してきた。そのまま霊峰院は言葉を続ける。



「御子柴さんの走り方をずっと観察していましたが、息が切れるタイミングが早いですしフォームが全体的に崩れていますわ。もしや四肢を支える体幹が弱いのではなくて?」

「そんなこと言われても……、そもそも体幹ってどうやって鍛えるんだよ……?」

「……ふむ。ではまず、柔軟体操を行ないましょう」

「柔軟体操……?」

「まずは身体を起こしなさいな」

「あ、あぁ……。いててっ……」

 


 霊峰院にそう言われた俺はゆっくりと身体を起こす。身体に負担を掛けないようにゆっくり体を動かしたつもりだったが、その度に節々が悲鳴を上げている。もう既に全身筋肉痛だ。


 座ったままの俺はひとつ息を吐く。全力で走ったせいで身体中汗でじっとりしていた。暑かったのでぱたぱたと体操着の中に空気を送り込んでいると、いつの間にか霊峰院は俺の後ろ側にいた。



「―――失礼しますわ」

「……?」



 柔軟体操と言っていたがいったいどういうことをするのかと疑問に思っていると、彼女は俺の両肩にそっと手を置いた。


 俺は思わず固まる。霊峰院の白魚のような細長い綺麗な手が両肩に置かれているという事実に驚いていると、彼女は次の行動を起こした。



「ふっ、ふっ……!」

「いたっ、いたたたたっ!? ちょっ、待って! そんなに強く押されてももう前に行かないからっ!?」

「足を大きく開いて身体の力を抜きなさいな……っ。そしてゆっくりと息を吐きながら上半身を前に倒すのですわ……! ふっ、ふっ……!」

「む、無理だって! それに俺、汗かいてて汚いぞ!? おっ、折れっ、折れるぅ~~っ!!」

「男の癖に情けないことを言わないで下さいまし……っ! そもそも汗などわたくしは気にしませんし、これも御子柴さんの柔軟性を向上させる為ですわ……っ。柔軟性が上がって四肢の可動域を広くすれば、自ずと体幹も良くなりますの……よっ!!」

「あがぁぁっ!!??」



 霊峰院が力強く押した瞬間、俺の背中からゴキィッ!!と人の身体から鳴ってはいけない音が聞こえた。その激しい衝撃で身体中に痛みが広がる……と思いきや、不思議と痛くない。それどころか、心なしか上半身が少しだけスッキリしたような気がする。


 試しに自分だけで開脚前屈をやってみると―――、



「おぉ! なんかさっきより上半身が前に行くようになった……!」

「……ふん。微々たる差ですが、先程よりはマシになりましたわね。今後お風呂上がりには毎日柔軟体操を行なうことをオススメ致しますわ。上半身が地面に着くくらいが理想ですわね。ほら、もう一度です。わたくしがまた押してあげますので、息をゆっくりと吐きながら力を抜いてください……っ」

「セ、センキュ……っ! ふぅ~~~っ、……ん? ―――へぁッ!?」

「ふっ、ふっ……! ど、どうしたんですのっ、いきなりヘンな声をあげて……っ!」

「あっ、いや、その……っ」

「なんですの? 言いたいことがあるなら、ふっ……はっきり、言いなさいな……っ!」



 むにゅむにゅ、むにゅむにゅ。


 俺は霊峰院さんに背中を押されながら身体中が苦しい圧迫感と同時にむにゅむにゅとした柔らかで幸せな感触を味わっていた。



(ふぉぉぉぉぉっっっ! これってもしかすると、もしかするんじゃ……!?!?)



 俺の背後には霊峰院さんしかいない。そして彼女だけが持つ柔らかな感触といったら、一つしか思い当たらなかった。


 今まで痛みで気付かなかったが、ずっと当たっていたのだろう。



「あ、あーその、俺の背中に、霊峰院さんの……っ」

「……?」

「お、おっぱいが、当たってる―――!」

「………………っ!」



 そう、おっぱい。おっぱいだよおっぱい


 俺の言葉に一瞬だけ反応が遅れた彼女だったが、その後バッと勢いよく手と身体を離す。おそるおそる霊峰院の方を振り向くと、彼女はその整った綺麗な顔を真っ赤にしながら大きな胸を隠すように身体を搔き抱いていた。しかし、彼女の細腕では隠しきれていない。腕の隙間からこぼれるようにして胸の形をぐにゅりと歪ませるだけだった。


 すると無自覚ながらも背中に胸が当たっていたことが恥ずかしかったのか、普段の霊峰院とは異なり動揺したかのように俺の背中をぽかぽかと叩いてきた。



「~~~っ! お、お馬鹿っ、お馬鹿……っ! 今のは忘れなさい……っ!!」

「いたっ、いたっ……! ふ、不可抗力だ……っ! ……あ、でもこれ気持ちいいかも」

「な……なッ……!!?」



 日々身体を鍛えていると話していた彼女も腕力は華奢きゃしゃなのか、大して痛くはない。俺はむしろ逆に気持ち良さを感じたので思わず言葉に出してしまった。……のだが、それを聞いた霊峰院はさらに顔を真っ赤にしてしまった。


 彼女は身体をわなわなと震わせると、キッと鋭い視線で俺を睨めながら声を出した。



「へ、変態でしたのね、貴方……!! きょ、今日はもう終わりですの! せいぜい夜道には気を付けなさいですわっ!」

「霊峰院さんが言うと洒落にならねぇ!?」



 この日は柔軟運動を覚えて、そのまま二人だけの練習会は終了した。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る