第4話 『麗氷姫』と学園案内




「………………」

「………………」



 雪村先生から学校案内を提案されてから間もなく、俺と霊峰院は二人っきりで廊下を歩いていた。霊峰院が先頭で、俺がその後ろを追従するという形だ。



(き、気まず……)



 窓から夕陽が差す中、俺は目の前を歩く霊峰院の後ろ姿をこっそりと観察する。


 紅い制服の上からでも分かるほどの豊かな胸と、スタイル抜群のくびれた腰。そして黒のスカートからすらりと伸びた真っ白な美脚とそれを包む白のニーソ。

 彼女が金髪縦ロールを揺らしながら歩く姿勢は堂々としている。まるでモデルを思わせるかのようなその凛とした立ち姿は、彼女自身の美貌も相まってクールな雰囲気を漂わせていた。


 職員室内で雪村先生はまるで良いことを思い付いたかのような笑顔で『しばらく御子柴君がこの学校に慣れるまで、クラス委員長である霊峰院さんを世話係として付けます』なんて突拍子もないことを言っていたが、俺は彼女と上手くやっていけるのだろうか。現に、職員室を退出してから一言も喋ってない。



(……よし、まずは前のことを謝ろう)



 心の中で俺は決意しつつ、前を歩く彼女へ話しかけた。



「あ、あー……! ゆ、夕陽が綺麗だなー……!」

「そうですわね」

「…………おぅ」



 間髪入れずぴしゃりとそう返事する霊峰院。まるで余計な無駄話はしないと云わんばかりのその口調に思わず俺は口を閉ざしてしまう。何故か謝罪ではなく中身スッカスカな言葉を霊峰院に言ってしまった俺だけど、本当に俺が言いたいことはそうじゃない。



(だーもう違うわ俺のアホっ! 昨日のことを謝りたいのとありがとうってことを言いたいのに、全っ然上手く言葉が出ねぇ!)



 俺は頭を悩ませながらも霊峰院の後ろをついて行く。廊下の角を曲がると階段の踊り場に三人組の男子がこそこそと固まっていたが、気にせずそのまま階段を昇る。



(冷たい態度とはいえ、別に霊峰院さんに対して怖気づいている訳じゃないんだけどな……。何故か緊張しちゃうんだよなー……。うーん、なんでだろ?)



 その不思議な感情の正体に首を捻っていると、すでに通過して踊り場にて固まっていた男子三人組の声がこちらまで良く聞こえた。



「そ、それで話の続きだけど、あの子の告白ウソだったみたいでさ。僕、こっぴどく振られちゃったんだよね……」

「ふーむ……それは巷で話題な"ウソ告"というヤツですな! 我らが親友を騙すなんてひどい女でござる!! どうにか天誅を下せないものか!!」

「ふっ、俺に策がある。IT部の機材室から数台のカメラを―――」



 それらの声に耳を澄ませながら階段を昇りそのまま廊下を歩いていた俺だったが、前方に意識を割いていなかったからだろう。突如身体が目の前の何かにぶつかった感触があった。「んべっ」と情けない声を漏らしながら少しだけたたらを踏んでしまう俺だったけど、すぐさまそのぶつかった何かへと焦点を合わせる。


 答えは簡単。俺の目の前に広がるのは特徴的な髪形と背筋をピンと伸ばした背中———俺は立ち止まった霊峰院にぶつかってしまったのだ。


 ……やばばばば(白目)。



「―――気を付けて歩いて下さいまし」

「あっ、わ、悪い……!」

「……ふん」



 ぶつかってしまったことを咄嗟に謝ると、彼女は鼻を鳴らしながら腕を組んで凍える様な眼差しで俺を射抜く。一瞬だけたじろいでしまうも、"美しい"と表現できるお嬢様な雰囲気を漂わせる美少女だからこそ、なおさらその迫力に磨きがかかっているのだろう。



「こちらの部屋は図書室です。主に読書や調べ物をする際や自主勉強を行なう時に利用されますわ。持ち出し禁止の本は貸出しできませんが、それ以外なら一人三冊まで同時に借りることが出来ます。……中はご覧になりまして?」

「あー……、今日はいいかな。ありがとう」

「…………そうですか。では次に参りましょう」

「…………?」



 バイト探しのこともあり早く家に帰りたかった俺は申し訳なく思いながらも霊峰院の提案を断るのだが、彼女は一瞬だけ眉を顰めた。何だったのだろうか、と俺は首を傾げながらその様子を不思議に思うが、彼女はすぐに唇を引き締めて元の冷たい表情に戻ったのだった。










 そうしてしばらく俺は霊峰院と一緒にこの学校を回った。図書室に続き保健室、食堂、購買部など生徒が主に利用する頻度が高い場所を案内して貰ったのだが、彼女から説明以外の会話が全くない。まるで業務連絡をするかのように淡々とした口調だ。



「―――です。さぁ、次は体育館へ行きますわ」

「…………あぁ」



 俺は思わずそっけない返事をしてしまう。先程から変わらない冷たい態度の彼女と、何より本音を言えない自分自身に怒りのようなものが湧いてきた。


 とうとう我慢できずに、俺は体育館へと目指す霊峰院に声を掛ける。



「なぁ霊峰院さん」

「質問でしょうか。何かわたくしの説明に不備がありましたの?」

「あ、いやそうじゃなくて……。霊峰院さんって、なんでそんなにキツイ表情をしてて話し方が冷たいのかなーって思ってさ」

「………………」

「言い方はまだしも、もっと笑顔で明るくしてたら『麗氷姫』なんてみんなから呼ばれずに人気だ―――」

「―――言っておきますが」



 ぴしゃりと霊峰院は言葉を遮ると、眼光を鋭くしながらこちらを睨み付ける。冷たい氷のような表情のまま腕を組むと、凛と背筋をまっすぐに伸ばしながら淡々と言葉を紡いだ。



「わたくしは雪村先生からしばらく貴方のお世話をするように言われただけですわ。余計な詮索とおしゃべりをする暇がありましたら、わたくしが説明したことを頭の中で何度も反復してはいかが?」

「あ、あぁ……」

「ふんっ。そもそも謝罪や感謝は簡単に口に出来る癖に、初対面のレディに対し失礼な言葉・・・・・を言い放った挙句、謝罪しない男などと碌に話す義理はありませんわ」

「…………あ」



 目を見開いた俺は霊峰院が何を言いたいのかを理解したのち、自分の失態を悟る。彼女の言葉にハッとすると、急いで背筋を正しながら口を開いた。



「―――あの、霊峰院さん。今更ながらだけど、俺の自己紹介のときすれ違いざまにあんな失礼なことを言って本当にごめんなさい。思わず口にだしてしまったとはいえ、その気まずさから逃げた俺が全面的に悪かった」

「………………」

「本当に、申し訳ない―――!」

「……ふん、良いでしょう。一応今回ばかりは貴方の誠意を込めた謝罪に免じて許して差し上げます」



 俺が頭を下げて謝ると、霊峰院の声音は幾分か柔らかくなったように聞こえた。


 ずるずると謝罪を先延ばしにした結果、彼女の機嫌を損ねてしまったので完全に俺の所為である。編入してきたばかりだというのにクラスメイトとしての関係がこのままずっと拗れてしまう可能性もあったので、関係修復の一歩を踏み出せたのは僥倖とも言えるだろう。


 しかし本来は俺から謝罪するべきだったのに何とも情けない話である。緊張感から解放されたおかげか思わず安堵からほっと息を吐く。



「ありがとう、霊峰院さん。やっぱり霊峰院さんって実は優しいよな。なんだかんだこうして案内してくれるし、俺が質問攻めにされてた時だって俺のことを案じてくれてたんだろ?」

「あれは……っ。いえ、クラス委員長としてクラス全体を纏めるのは当然の責務です。決して、決して困っているような貴方の表情を見てつい言葉が出てしまったわけではありませんわ」

「ふーん、そっかそっか」

「……ふん。貴方のそのしたり顔、とってもムカつきますわね」



 霊峰院は僅かに紅潮した頬を隠すように赤い扇を広げながら顔の下半分を隠す。思わず俺はそんな彼女の様子を眺めてニヤついてしまう。やはり俺の思っていた通り、彼女はただ冷たいだけの美少女では無かった。ただ表情や言葉がキツイだけで、その根っこは優しいお嬢様だったのだ。


 そのまま俺は能天気に霊峰院へと話し掛けた。



「あとさ、今どき金髪縦ロールって結構特徴的というか……面白い髪型・・・・・してるよな。どうしてなんだ?」

「―――は?」



 俺がそう言い放った瞬間、一瞬にして空気が凍る。スッと真顔になった彼女が氷点下並みの凍えた声で一言そう呟くと、みるみると目付きが鋭くなった。例えるなら、そう。ギャルゲーに登場するヒロインの好感度が左右される選択肢で唯一の不正解を選んじまった感じだ。


 喉奥から言葉が出ず、頭の中が真っ白になってしまう。


 霊峰院と少しだけ親しくなれた気がして、きっと一歩どころか何歩先も踏み込んだ質問を馴れ馴れしくしてしまったのだ。心なしか、指の先まで凍ったように冷たく感じる。多少は言葉のラリーが続いたとはいえ、出会ったのは昨日。打ち解けられたと勘違いして気が緩んだ結果、俺はまた彼女の地雷を踏み抜いてしまったのだろう。


 目の前にいる彼女の様子を見て思い浮かぶのは『麗氷姫』という二つ名。その意味合い通りの……いや、それ以上のものを実感しながらも俺は固まるしかなかった。


 紅扇を広げ口元にあてた霊峰院は、俺を見下すように冷たい瞳で射抜いたまま僅かに首を傾げる。しなをつくったその仕草はお嬢様で美少女である霊峰院にとても似合っていた。勿論こちらを見据えた彼女に恐怖を感じないと言えば嘘になる。だが、それよりも先に―――その美しい姿に俺は思わず見惚れてしまっていたのだ。


 やがて、彼女は凍えるような目付きで冷たくこう告げた。



「―――案外デリカシーのない男なんですのね。処しますわよ?」




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