水無月の空

moes

水無月の空

「いっそ、降った方が涼しくなるかなぁ」

 この時季特有の重たい空は、とりあえず雨は落とさずに持ちこたえてくれていたが、じんわりとした汗の感覚は不快で、眉をひそめる。

 降ったら降ったで、濡れて不快だろうから、結局文句を言う羽目になりそうだ。

「下にはいないか」

 良く座っている石垣には目当ての姿はなく、仕方なく石段に足をかける。

 呼べば降りて来てくれるだろうけれど、差し迫っているわけでもなく、ただの怠惰で呼びつけるのはさすがに憚られた。

 数十段の石段を登り終え、額にうっすらと浮いた汗をぬぐい、鳥居をくぐる。

 狭い境内だ。

 手水舎と小さな本殿があるだけ。

「どうした、和葉」

 賽銭箱に腰かけていたなぎが軽く手を上げる。

「誰かに見られたら、怒られるよ、そんなとこに座って」

 ろくに信心のない私だって、なぎ以外の誰かがあんなことしていたら、眉をひそめるし。

「そんな酔狂な人間はそうはいないし、だいたいわしはここの主だしなぁ」

「私は知ってるけど、他の人はそれ知らないし」

 ひょんなことから知り合ったなぎは、この神社の主で、いわゆる神様というやつだ。

 なぜか私を気にかけてくれ、友人同士のような付き合いが続いていた。

「そんなことより、どうしたんだ? 今日は仕事だったのではないか?」

「そうだけどね。休日出勤だから、片付き次第解散になったの」

「それはご苦労だったな。でもまぁ、早く終われたなら何よりだ」

 なぎにねぎらわれて疲れが少し和らぐ。

「うん。で、職場の人にもらったから、なぎと一緒に食べようと思って」

 賽銭箱の手前の階段に二人並んで腰を下ろす。

「はい、これ」

「あぁ、水無月か」

 白いういろうの上に小豆がのった和菓子。

 見たことはあったけれど、名前は今日初めて知ったし、食べるのも初めてだ。

「なぎは知ってたんだ」

「何年生きておると思ってるのだ、和葉のような小娘とは違うぞ」

 あきれるというよりは面白がっているようななぎの口調。

 私は小娘というには少々だいぶとうがたってるし、見た目が高校生くらいのなぎに言われると違和感がすごい。

「小娘かどうかはともかく、もの知らずなのは認めるよ。六月三十日に食べるんだってね?」

 持ってきた職場の人が教えてくれた。

 無病息災を願って食べるもので、氷に見立てているのだと。あまり氷には見えないけれど。

「この辺ではさほど一般的ではないだろう。西の方の風習ではなかったか?」

「そうなのかなぁ。そこまでは聞かなかったけど」

「まぁ、わしもさほど詳しいわけではない。食べるのは初めてだしな」

 渡した水無月を興味深そうになぎは眺める。

「そうなんだ?」

「わざわざ水無月を供える者はいなかったしな。せいぜい、酒くらいだ」

 なぎの住むこの神社は小さくて、神主も常駐してなく、お祭りもやってない。

 元日に初詣に来る人は見かけるが、それ以外では見かけることもほとんどない。

「日持ちしないしね」

 なぎの言葉がどこか淋し気に聞こえた気がして、あえて軽く答えた。

「そうそう。今は和葉がこうして持ってきてくれるからな。いろいろ口にできて楽しいよ」

 目を細める優しい笑顔。

 外見が高校生でも、やっぱり神様だと思わせられる慈愛に満ちていて、どうしていいかわからなくなる。

「……一人で食べるより、おいしいしね」

 少し目をそらせて、水無月を一口食べる。

 ういろう独特の弾力と小豆の少しかための触感。そして、当たり前だけれど甘い。おいしいけれど、お茶が欲しい。

「和葉、わしはどちらかというと辛党なのだよ」

「わかってる。お茶を持ってくれば良かったと、思ってるところ。公園の自動販売機まで行こうか」

 眉を下げているなぎに提案すると、なぎはうなずき、食べかけの水無月を包み直している。

 ビニール、捨てなくて良かった。

 なぎを真似て食べかけの水無月を包み終え、かばんにしまい、二人並んで石段を降りた。



「和葉」

 公園の端っこのベンチで、お茶をお供に水無月を食べ終え一息をつく。

 視線を、ブランコを大きく漕いで歓声上げる子供たちの姿をからなぎに移すと、声と同じくらい静かで真面目な表情にぶつかる。

「わしは間違えたかもしれない」

「なに、それ」

「わしはこう見えて、神なのだよ」

 知ってる、そんなのは。

 何もできないとは言うけれど、ずっとちゃんと神様だった。

「あ、私の態度が不敬すぎるとか、そういう」

 気安い態度を許してもらえていたと思っていたけれど、それでも度が過ぎたとか。そもそも勘違いだったとか。

「違うよ。和葉に改まった態度など取られたら、わしが困る。そうではなくて、わしの存在は和葉の妨げになっているという話だ」

「妨げって、何の?」

「わしがいることで、和葉は人との交流をおろそかにしていないか? 本来ならこうして分け合うのは友人や伴侶であるべきだ。わしではない」

「もう、私とは会いたくなくなったってこと?」

 そういうことを言っているのではないと分かってはいる。それでも、明確な否定が欲しい。

 そんなことはお見通しのように、なぎは幼子をなだめるような柔らかな視線をこちらに向けた。

「そうではないよ。和葉といるのはわしにとっては幸いだ。だが、」

「なぎはわかってないよ。なぎがいなかったら、そもそも水無月をもらってきたりしなかった。水無月の説明だって、きっと聞き流してた。なぎが聞いてくれるからだよ」

「それはわしがいるから、話す相手を見つけるのを怠っているのとは違うか?」

 決して責めているわけではない。声はやさしいままで、だからこそ、響いた。

「……なぎが、聞いてくれるって言った」

 こぼれた声は、いい歳をして、駄々っ子のようだった。

「あぁ、そうだったな」

 初めて会った時、妹の死が受け入れきれずにいた私を見つけて、救い上げてくれたのはなぎだった。

 聞くだけしかできないと言われたけれど、それだけが必要だった。まだ、これからも。

「ねぇ、まだ、いて。なぎは神様だから、ホントはこういうのも良くないんだろうけど」

 一人を贔屓してるみたいな状況は良くないと、自分からもう充分だと伝えたこともあったのに。

 今となってはこんなにも依存してしまっている。

「和葉は泣き虫だなぁ」

 呆れたような、困ったような、それでいてどこか嬉しそうにも聞こえる。

「泣いて、ないよ」

 それでも顔を上げない私の頭をなぎの手が撫でる。

「わかってるよ。和葉が大丈夫になるまで、気が済むまでは、一緒にいよう」

 言葉にしなかったことも、汲み取ってくれたなぎに吐息に紛れるくらいの「ありがとう」しか言えなかった。


                                  【終】

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