第一章1 ~前世と今世の記憶~

 身体がビクリと跳ね、俺は目を覚ます。

 変な夢だった。顔も名前も、生きていた場所すらも、何もかもが異なる世界。その一人の人間として生きていた夢。

 現実味がヤケにあり、夢だったはずなのに脳裏に鮮明にその記憶が焼き付いている。


「最後の最後に死ぬとか、夢見悪すぎるだろ」


 気づけば息は上がり、肩を大きく上下させていた。

 寝巻きは汗を吸い込み、身体に張り付いて気持ちが悪い。まだ心臓が早鐘を打ち、最後の死ぬ瞬間に感じた身体が冷たくなっていく感覚が身体に残っている気がする。

 身震いし、額の汗を拭いながらベッドから降り、部屋を見回す。


 一人掛け用の木組みの椅子と机が部屋の棲みにあり、反対の壁には一、二冊の本だけが入った本棚が置かれている。その隣には衣装棚もあるが、あれは中身の奥行きが狭く、縦に服を収納することが叶わない粗悪品だ。

 一体これを作ったやつは何を考えて作ったのやら。衣装棚とはこれでは呼べないだろう。


 歩く度に床は、底が抜けそうなほど板が軋む音を発する。天井なんかは一部大きく穴が空いている始末。

 ちなみにあれは姉貴にボディブローの練習台になれと言われてできたものだ。


 え? ボディーブローで天井に穴が空くかって? 違うよ。あれは逃げようとしたら昇◯拳のような見事なアッパーを顎にくらい俺の頭が天井に突き刺さってできたものだよ。

 あれは死ぬかと思ったね。天井裏にはネズミとかいたし、埃とか凄いし、なにより痛かったし。

 しかもぶら下がった俺の身体をサンドバッグ代わりに、あの外道姉は容赦なく殴り続けてくるのだ。

 本人の前では口が裂けても言えないが、あれは人の皮を被った悪魔だと俺は思っている。

 

 とまぁ、見慣れたある意味思い出深い部屋のはずなのだが、違和感がある。


「……木組みの部屋。いつも通りのはずなのになんか古めかしいと言うか、今日はヤケにボロく見えるな。夢だとここよりもいい部屋に住んでたせいか」


 何年も前から使っている部屋は、一言でいうとボロい。良く言うなら趣があると古民家ともいえるが……ごめん、百歩譲っても趣はないかもしれない。これは単純にボロいだけだ。

 とにかく、自室である認識はあるし、十六年間使ってきた、今は自分だけの部屋のはずだ。

 二年前までは姉貴と共有していたけど。


 変な夢を見たせいで、変に感傷的になっているのかもしれない。

 取り敢えず、自室を出て階下へと向かう。


「あら、レクス。今日は早いわね。おはよう」


「お、おはよう。母さん」


 丁度、台所で朝食の準備をしていた母親に出くわす。

 一瞬、挨拶を言い淀んだ自分がいる。

 50代ということもあり、最近小皺が気になりだした紛れもない自分の母親だ。

 だが白髪混じりの黒髪と使い古されたエプロンを着用した後ろ姿を見たとき、記憶の中で目の前にいる母親とは別の母親の姿が重なった。挨拶をされ、自分の母親だと正確に認識するまだに数秒を要する。


 なんかマジで変だぞ。自分の母親を普通見間違えるか?

 たかだか夢ごときに影響されすぎだろ。


 などと考え、ぼーっと突っ立っていると母が料理が乗った皿を持って近づいてくる。


「どうしたのそんなきょとんとした顔して。しかもなんでそんな汗まで掻いてるの。まさかその歳になっておねしょを――」


「してないよっ。もう十六なんだから。……ちょっと、変な夢を見ただけ」


「そう。なら外で水浴びしてきなさい。そのままじゃ気持ち悪いでしょ」


 言われ、頭をすっきりさせる意味も兼ねて外へ向かう。

 玄関扉はスライド式で、建て付けが悪いせいか開こうとすると必ず二度、三度ほど突っかかりがある。強引に開こうとすると扉が外れてしまうので、開く際には扉を何度か戻しては開けを繰り返して開けた。

 そして苦労して開けた扉の先、目に飛び込んできた光景に思わず唖然とした。


 めっちゃ田舎じゃん!


 第一に出た感想はそれだった。

 いくつもの背の高い山が連なった連峰が集落を囲むように聳え立っている。山間から丁度朝日が顔を出し、眼下にある田園と畑に朝露が降りており、若草色の稲らしきものや野草が煌々と輝いている。

 木組みの家々が田園から少し離れた場所に密集しており、籠に山菜を入れた女集が道端で世間話をしていたり、荷車を引いて何か得体の知れない動物の肉や麻袋を運ぶ男たちの姿もあった。


 これもいつも見る光景だ。だが時代錯誤と言えばよいのか、まるで歴史小説などでよくあるタイムスリップをしてきて、なんか色々古い! みたいな感覚を覚える。

 何もかもが、まるで昔の日本のような光景だ。


 後ろの方では何かカタンカタンと小気味のよい音が鳴っており、家の側面に回ると立派な水車が水を掻き上げている。


 いやいや、元々あったろ。何驚いてんだ俺は。

 俺の家は集落から少し離れた丘の上にある。

 理由はうちの父親が此処の集落の村長だからというだけだ。


「はぁ……水浴びに行こう」


 いちいち気に止めていたらキリがない。

 頭を切り替え、家の裏手に回った。 



 ★★★★★★★

 


 家の裏手には竹林が生い茂り、ある程度伐採して造った地面剥き出しの小路がある。

 通り抜け、歩くこと十分程。そこそこ大きな川が見えてくる。水辺に近づくに連れ、堆積した石だらけの道になり、竹林もその数を減らしていく。川の水は澄んでおり、魚などもちらほらと泳いでいるのを見掛ける。

 その川に沿って少し歩いた先には湖が存在し、そこが村の水浴び場となっていた。


「あ、レクス。おはよう」


「ん? あ、嗚呼、おはよう。ミリア」


 湖には先客がいた。

 俺を見つけ、にこやかに挨拶をしてきたのは、下は白地の下着だけで、ノースリーブの麻色の上着を着た、幼馴染のミリアという少女だ。

 亜麻色の髪は毛先に向かってウェーブが掛かり、綺麗な絹糸のようにふわふわだ。琥珀色の瞳と、ミリア自身、凄くコンプレックスだと感じているそばかすが特徴的で、大人しいイメージが先立つ。

 胸部は年頃のため、膨らみかけで、上着に曲線が浮き出ている。農業をしているため引き締まった身体つきで、きめ細かい白い肌と相まってとても健康的に見える。


 それにしても眼福だ。まさか朝からこんな刺激的な姿を見られるとは。薄着の美少女、いいね。 

 思わず手を合わせてありがたやー、と拝むとミリアは頭の上に疑問符を浮かべる。


「どうしたの? 私、なにかした?」


「いや、ミリアは可愛かったんだなぁと思って。……ん? なんで今日はミリアが美少女に見えるんだ!?」


「ど、どういう意味よ? それ普段は可愛いと思ってなかったみたいな言い方なんだけど」


「嗚呼、普段は思ってない! だって現実の幼馴染だぞ。小さい頃から一緒にいたら可愛いなんて――ぐはっ」


 バゴッと顔面にグーが飛んできた。

 平手ならまだしもグーはないだろ、グーは。

 顔面を押えながらミリアの顔を見ると、眉間がピクピク動いて怒ってらっしゃる。

 しかももう一発殴ろうと拳を上に構えだしやがった。


 こういう時の対処法は……そうだ! 土下座だ!

 取り敢えず、土下座して謝る。

 そんな俺の姿を見てミリアは、


「…………。な、何してるの? ……頭、大丈夫?」


「何って土下座だろ。謝るときはこうして……あれ、してたっけこんなこと」


 普段しない俺の姿を見て、さらに訳の分からないことを言い出した俺に、わりと本気で心配そうな表情を浮かべるミリア。仕舞には俺の額に手を当てて熱を測りだした。


 近い。なんか女の子特有の甘い香りがするぞ。


 思わずドキリとした。


 ていうか、無防備過ぎません!? 顔近いし、薄着のせいで見えそうですよ、双丘が!


 と、内心では紳士ぶりつつ、チラ見しておく。

 ただ彼女が恥ずかしがったり、俺を見て悲鳴を上げたり、こんなにも無防備なのは当たり前のことだ。なぜなら、この水浴び場は普段から共有して使われているから。

 十七歳になると男女別(男女で時間が区切られる)になるのだが、それまでは共有するのがこの村では一般的だ。つまり、普段から見ている、あるいは見られているものに羞恥は働かないのだ。

 いちいち反応してドギマギしている俺の方がおかしい。


「熱は……ないみたい。でもなんか様子が変だから、無理しちゃダメだよ」


「あ、嗚呼。気を付けるよ。ミリアも今から水浴びか?」


 ミリアの側には服が折り畳まれており、髪も濡れてないところを見るに今から水浴びをするのだろう。

 こくりと頷いたミリアは俺の前で堂々と残りの服を脱ぎ始めた。

 少し鼓動が早くなるが、目線を逸らして俺も素っ裸になり、水に浸かる。


「つ、冷たっ!? な、なんだこれ、めっちゃ冷たいじゃん!」


「ど、どうしたの急に」


 浸かった瞬間、心臓がきゅっと締め上がる感覚を覚え、息が詰まる。何の心の準備もしていなかったせいで、思わず岸まで這い出てしまった。

 何食わぬ顔で肩まで浸かるミリアを見て、俺は震えた情けない声で訊く。


「つ、冷たくないのか?」


「んー、ちょっとかな。冬場とかに比べれば全然だと思うけど。それより、本当に大丈夫? いつものレクスなら泳ぎ回ってると思うんだけど」


「あ、いや……俺もそのつもりだったんだけど」


 なぜだ。普通に風呂にでも入る感覚で入ろうとしたのがいけなかったのか。湖なのだから、暖かいお湯なわけがないのに。


 そこで冷静に考えると、確か夢に出てきた自分は暖かいお湯に浸かる習慣があったのを思い出す。そういう思い込みで入ったため、体感温度と自分の思考の違いでびっくりしてしまったのだろう。


 あの夢がこんなところで日常に影響を及ぼすなんて……。どうしちまったんだ俺は。


 今度はゆっくりと静かに浸かっていく。

 さ、寒い……。


「ねぇ、レクス。何かあったの?」


 肩までようやく浸かることができた俺の横に、スイーっと気持ち良さそうに泳いで隣にやって来るミリア。

 普通ならここでドキリと心臓を高鳴らせ、なんやかんやでラッキースケベが発動したりするものだが、如何せん当の俺は唇を青くして、少しでも体温を逃がさないようにするので精一杯だった。


 これ、プール現象だな。入る前は水の方が冷たかったけど、今は水の中にいた方が暖かい気がする。

 ヤバい。このままじゃ上がれない。というか、なんで幼馴染に俺はそんなことを期待しているのだろうか。


 今日の自分のイカれ加減に飽き飽きしながらも、寒さを紛らわすため、ミリアの話に乗っかる。


「じ、実は今朝変な夢を見てさ。そっからなんか色々変っていうか」


「夢? どんな夢だったの」


「んー、なんていうか。自分なんだけど自分じゃない自分がいて。こことは別の世界っていうか。最早文明レベルで違うんだけど。あ、勉強するために学校にも通ってて。あと恋人がいた」


「ぷふっ。こ、恋人って。あはははは、レクスに恋人が? しかも最初何言ってるか判らないし」


 いや、笑いすぎだろ。

 確かに今の俺は彼女いない歴=年齢だし、学校なんて貴族や金持ちが通うような場所だ。

 平民というより農民生まれの俺には出来すぎた夢かもしれないが、あくまでも夢だ。夢でくらい希望をもって何が悪い。


 少しむくれた表情をすると、ミリアはごめんね、と謝りながら目に溜めた涙をその細く、しなやかな指で拭う。


「でもそんなに幸せそうな夢を見られたんなら良かったんじゃない」


「良くないよ。なんかヤケに現実味があってな。本当にヒロトとして生きてきたような感覚で、なんか今朝から目に映るものが嘘のように思えてくるんだよ。さっきの土下座みたいに変な知識もあるし」


「ヒロト? それって夢ではそのヒロトっていう人になって生活してたってこと」


「うん、まぁな。しかも夢の最後は死ぬんだ。夢見悪くて最悪だったよ」


「へぇー、そんなにリアルだったんだ。ねぇ、どういう世界だったの。そんなに言われると逆に気になるんだけど」


 俺の話に興味を持ったのか、ミリアは目を輝かせながら言う。

 それからミリアに夢の世界のことを掻い摘んでではあるが話してみた。


 その世界では電気があって、夜でも明かりが絶えないこと。車と呼ばれる箱型の乗り物や電車、飛行機、船といったこちらの文明にもあるが貴族しか乗れないような高度な技術が使われた乗り物が普及していたりすること。

 他の国ではともかく、日本という国では学校にも普通に通える環境が整っており、制服を着て毎日勉強し、その学校生活の中で俺に初めて彼女ができたこと。

 そんな夢で見た情報を知り得る限り話していく。


 ミリアはその間、無言で頷いたり、時折すごーい、などと感嘆の声を漏らして聞き入っていた。

 俺も一人で考え込むより、こういう風にぶちまけた方が気が楽になっていく気がして、30分くらいは話していただろうか。

 話が一区切りつくと、ミリアはしばらく俺の顔をじーっと見つめていた。


 そんなに熱烈な視線を向けられると、少し恥ずかしいじゃないか。

 あ、そういえば、寒さは少し和らいだ気がする。


「ねぇ、レクス。それって……もしかしたら前世の記憶ってやつじゃない?」


「前世の記憶? 俺が生まれる前に別の人生を歩んでたってことか? アホらしいだろ。そもそも前世なんてあるわけないし」


「えー、私はあると思うけどなぁ。レクスって昔っからほんと夢がないよね。でも噂は知ってるでしょ。世界には稀にそういう前世の記憶が甦って、その前世で使ってた超スゴい力を引き継いでました! っていう人がいるって話」


「まぁ、聞いたことはあるけど」


 たしかにミリアが言う噂は耳にしたことがあった。

 たしか時折この村に訪れる商人がそんな話をしていた気がする。その商人はお喋り好きで、よく王都での噂話やら出来事、事件を語って行くのだ。

 商人だけあって、色々見てきてはいるのだろう。だが信憑性が高い話もあるが、たぶん自慢話も時折入るから誇張表現であったり、虚言も入っていたりする気はするが。


 まぁ、片田舎だしな。そういう世俗的な話、この村の連中好きなんだよな。俺も含め。


 ミリアは湖から上がり、タオルで身体を拭き始める。

 なんだろう、女の子が身体を拭いてる時ってそれだけでエロく感じるよね。


「まぁでも、レクスの話を訊く限り、前世の記憶を思い出したところでって気がするけどね」


 邪な感情でミリアの裸を堂々と視姦していると、パンツを手に取ったミリアがふとそんなことをぽつりと呟く。


「ん、なんでだ?」


 ミリアは下着を足に通し、パンツを履き終え、首にタオルを掛ける。

 うまい具合に胸を隠したことに、ガン見していたのが不快だったのかと焦ったが、にこりとこちらに笑みを浮かべているのを見るにたまたまっぽい。

 そんな一人慌てふためく俺にミリアは、


「だってレクスの前世の世界には魔法とかなかったんでしょ。じゃあ、レクスの場合、これ以上強くなりようがないじゃない」


「…………。た、確かに」


 言われ、納得してしまう。

 仮に前世があったとしても、前世の俺は十六年間しか生きていなかったわけだし、おまけに学生だったし、大して頭もよくなければ、運動能力に秀でていたわけでもなかった。


 文明レベルで言えば前世の世界の方が圧倒的に進んでいたが、それを伝えるほどの知識も俺にはない。

 魔法なども空想の産物でしかなかったし、こちらの世界で役に立ちそうなものが思い付かない。異世界転生しようが、前世を思い出そうが、これでは大した意味はない気がする。


「前世、信じないんじゃなかったの?」


「し、信じてねぇよ」


「じゃあ、なんで死んだ魚みたいな目をして、明らかに落ち込んでるのよ」


 ミリアは麻色の上着を着なおし、その上から如何にも村人を主張するようなオーバーオールに身を包んだ。そして湖岸の縁にしゃがみこんで、莫迦にしたような笑みをこちらに浮かべてくる。


 やめろ。そんな憐れむような目でこっちを見るな。

 前世を信じてなくとも、そんなこと言われたら誰だって落ち込むだろ!

 こいつ……腕引っ張って湖に落として、ずぶ濡れにさせてやろうか。そして透けた服越しに見える身体のラインを見ながら拝み倒してやる。


「さてと。私、畑仕事あるから先行くね。レクスも早く上がらないと風邪引くよ」


 俺の邪念にでも気が付いたかのように、伸ばした俺の腕をひらりと躱して向こうに歩いていくミリア。

 途中で白い花が咲いており、それに水をあげてから竹林奥へと姿を消していった。


「ちっ、遅かったか。それにしてもさすが薬師の孫だな。水浴び場の近くでちゃっかり何栽培してんだよ。なんかの薬草か?」


 岩肌の地面の一部がその白い花に覆われて見えなくなっている。

 薬学の知識がないため、花の名前すら判らないが少し離れていても甘い香りが漂ってくる。


「はぁ……夢の知識を使ってもあの花の名前は判らんか。もし本当にあの夢が前世だったら、今の俺って相当使えない子なのでは?」


 俺は失意を消すため、深く息を吸い込むと、水の中に頭まで浸かる。

 しばらくして俺は湖から上がるのだが、生まれたての小鹿のようにプルプル震えながら着替えをしたのは村の皆には内緒だ。

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