第16話 嵐の如く

 ブールゴーニュ公国の首都ディジョンに戻るなり、リュクスは主君フィリップから殴りつけられた。細身でろくろく喧嘩もしたことのない腕力にではなく、これまでにない主君の行動に驚かされ、二歩下がって尻餅をつく。


「なぜお前が側に居ながらこんなことになった!」

「私とて忸怩じくじたる思いです。しかしパリはびくともせず、フランス軍は撤退し……」


「パリのことを言ってるんじゃない! 片腕を無くしたんだぞ? 死ぬとこだったんだぞ⁉ どうして一騎打ちとかバカな真似させたんだよ!」

「……私がもっとジョン閣下の行動を注視すべきでした。泣いているのですか、フィリップ様」


「うるさい! あいつ、ケロッとした顔で通信してきてさ。ぐずっ。『そっちの停戦協定が切れたら、おれはノルマンディで療養するからパリの防衛は頼むぞ』とか言ってさ。えくっ。『片腕無いと女を抱くには少し不便だが、開発はできるし問題ない』っでガッゴづげでざあ。ゔゔゔゔゔゔ〜っ!」

 主君の涙と鼻水を拭って、背中をよしよしする。


 状況を知らされたリュクスが全速のスピーダーで駆け付けた時にはもう、ジョンは応急処置を施され、シザーリオに抱えられていた。

 一晩中痛みにのたうち回ったようだが、翌日の午後には起き出し、配下と共にジャンヌのデータ解析を始めたのには、リュクスも目をひん剥いた。


「ジャンヌ・ダルクとラ・イールの戦闘データをジェーンに取り込み、より完璧な状態にするために、閣下は敢えて自ら戦われたのだと思います」

「ジャンとかジェンとかどーでもいいんだよぅ! 大事なのはジョンなの! 片手だと自分で結べないからって髪の毛バッサリ切っちゃってさあぁ。短いのも夜露に濡れたみたいな目鼻が際立って良いし! んふゔゔゔゔーーっ! お前絶対に勝てよ! ラ・イールなんかに負けたら斬首だからな。勝って、いけすかない救世主を必ず連れてこい」


「はい」

「パリと周辺の守りも固めないと」

「お任せください」

 答えながら、なるほどジョンの真の目的はこれだったのだと理解する。だから片腕を失っても平然としていられるのだ。いやむしろ、この結果のために自ら腕を一本差し出したとでも言おうか。


 その腕でフィリップの心を鷲掴みにした。あんなに嫌がっていた戦いに自ら参戦し、パリを守り勝つと言わせたのだ。こんな外交交渉があるか。

 ランカスターのジョンという男、結果の為には手段を選ばないと聞かされていたが、文字通りここまで剛腕を見せつけられてはぐうの音も出ない。


 こうしてフィリップは停戦を延長しようとするシャルルをのらりくらりとかわし、パリに軍を構えた。これに対抗して、シャルルは周辺地域を攻撃する。その一つがパリ近郊のコンピエーニュという街だった。


 停戦協定の取引でフィリップへ割譲された土地である。しかし住民はブールゴーニュの支配に反対し、シャルルへの忠誠を表明していた。

「んふふ、面白くないなぁ。こっちが降伏を呼びかけてるのに無視するし」

 街は降参どころか抗戦態勢だ。


 そこで先陣を切ったのがリュクスだ。包囲を固め、三週間後にはフィリップ自らも野営に入る。

「ジャンヌとラ・イールが街の守備隊とは別働で兵を集めてるってさ。ついに出てきたな」

「必ず捕らえます」


 リュクスは周辺に斥候を放ち、自らも少数を率いて偵察に出た。

 ジャンヌが仕掛けてくるなら、オルレアン戦と同じく包囲の外側からの奇襲。そんな気がしてならない。

「これは君が私にそう思わせているのか、ジェーン?」

「ちがうよ。でもあたしも同じ予感がしてる」


 するといきなり、集結した敵軍の塊が目に入った。その数およそ400。林の陰から様子を伺うと、男の姿が目に留まりビリっと体内が痺れる。陣頭指揮を執っているのは、赤毛に赤マントのラ・イール。まさかの大当たりだ。


「すぐに本隊より援軍6000を出撃。急ぎフィリップ様に伝えよ」

「わずか400の敵に、6000ですか⁉」

「相手はフランス軍最強のラ・イールだ。中途半端なことをしてはならぬ」

「はっ!」


 ラ・イールはブールゴーニュ軍の包囲の北側を破るつもりだ。これにフィリップの対応は実に迅速で、即座に防御板を並べて陣地を作らせ、間から一斉に銃を放った。絶え間なく撃ち続け、こちらの間合いに侵攻させない。その間にも増援が続々と到着し、突撃の時を今か今かと待ち構える。

「この戦い方、ちょっとハルっぽいね」

「私もそう思った。さすがフィリップ様だ」


 エンパワメントでジェーンが流れ込んできた日、自分は体の内側から変わったと思う。信頼に裏打ちされた揺るぎない真実と、複雑でもろい幾重も重ねられたガラス玉のようなジェーンの心に触れて、自然と涙が流れたのだ。


「それはヘンリー陛下の記憶であり、ジョン閣下の言葉でもある。だから君と共に、必ず目的を遂げる」

「うんっ! ジョンが捨て身で敵のデータ取ってくれたし、あたし強いもん」


 突如現れた大軍に敵わないとみるや、フランス軍はコンピエーニュへ退却を始める。

「逃がすな! 徹底的に追え!」

 フィリップの号令で怒涛の追撃が始まった。フランス軍は隊列を細長くして走る。殿しんがりで波のように寄せるブールゴーニュ軍を薙ぎ倒すのは、赤マントの男だった。


「エンパワメントだ、ジェーン」

 冷たい感覚が流れ込むと同時に、わずかに生じたジェーンの動揺を、リュクスは敏感に感じ取る。

「ジェーン、あいつはヘンリー陛下ではない。懐かしむ気持ちはわかるが、敵だ」

「うん、わかってるんだけどね、こればっかりは忘れられないんだ」

 冷たさと共に指先から駆け上る温み。ヘンリーへの想いだ。それを二人が共有した時、ジェーンが声を上げる。


「行くよ! リュクス!」

 途端に全身の血が熱を持ち、胸がいっぱいになる。想いが溢れ、力となって放出される。

 激しく金属音を打ち鳴らして受けるラ・イール。だが徐々にリュクスのパワーと速さが上回る。

「……!」

 想いが、感情が、十倍にも二十倍にもなる。こんな経験はリュクスにとって初めてだ。


 普段、あまり物事を深く受け止めないようにしている。取り巻く情勢や主君の気分の変化があまりに目まぐるしく、いちいち動揺しては身がもたないので、無意識のうちに自分を静するようになったのだと思う。

 出会ってすぐに、ジェーンはその閉ざされた扉へたどり着き、ちょっと強引に開けては、まるで歌を聞かせるように何度も想いを言葉にした。最初は胸やけするようだったが、消化できるようになると旋律メロディのように心地よいのだ。


 それからだ。こうして頭が先か、体が先か。考えて動かしているのはジェーンなのか自分なのか、区別がつかなくなったのは。


「これがエンパワメントの本領だ。偽物には分かるまい!」

 たまらずラ・イールが後退する。だが見せかけで、この構えになると来るのだ、あの曲者が。


「はいはいはいそんじゃ勝った方が本物ってことでいいかねぇ?」

 ラ・イールの背後から槍のような長剣で素早く突いてくる男。

「お前はエンパワメントしないのか、ザントライユ。ああそうか、女から嫌われてるんだよな」

「間違えんなクソ坊主。嫌われてるんじゃなくてキライなんだよ」

「どう頑張っても救世主の乙女ラ・ピュセルから選んでもらえないだろうな」

「黙りやがれ!」


 しかし今のリュクスに、ザントライユは敵ではない。

「あたしもアイツキライ」

 あっという間にジェーンが左右から二発打ち込んだところへ、再び横からラ・イールが現れ、攻撃を繰り出してくる。


「ざけんじゃねえぞぉ!」

 血だらけになりながら、ザントライユもしつこく長剣を振るう。

 二人を相手に、リュクスも浅い傷は負わされている。だがその痛みを凌駕するものが後から後から体に湧き出てくる。

 全身に染み渡る信号パルスの冷たさと、熱い想い。それがぶつかり合って、暴風が体内に巻き起こる。


 ———ヘンリー陛下、あなたに近づけたかもしれないと思うのは、おこがましいでしょうか。


 左から来たザントライユを蹴り、下から斬りあげる。器用に上体を退け反らせるが、リュクスの切っ先が胸元と黒髭の顎を割る。

「ぐわおおおおぅっ!」

 ザントライユは倒れ込んで顔を押さえるが、指の間から血が滴っている。


 憤然と突進してくるラ・イールの大剣。真正面で受ける。ぐらつきそうになる足をジェーンが支える。力と力が牙を剥いて、さながら牡牛が角をぶつけ合うような衝撃だ。


「ふううううぅぅぅぅん!!」

「ぬううううおおおあああぁぁ!!」


「ハルの記憶とジョンの願い、そしてリュクスの想いがあたしにはある。空っぽの偽物なんかに負けないよ」

「うるさい! うるさい! 私が偽物のわけがないのよ! 王太子さまが私を必要としたのだから。フランスを救うのが私の———!」


 最初の方は、頭の中にやわらかく響くジェーンの声。だがその次はジェーンではない、きんきん響く声だった。

 もしやジャンヌなのか? ジェーンが対話しているのか?


「あたしの思い出を勝手に利用しないで。絶対許さないんだから!」

「知らない! 思い出なんて知らないし、私は偽物ではないわ! 本物よ!」


 ぐわっと力が湧き起こり前足をさらに踏み込むと、ラ・イールの大剣が粉々に砕けた。

 そのまま刃を相手に押し当て、上から下に大きく引く。


 血が噴き出し、赤マントの巨体がどうと倒れる。

 ザントライユと共に捕らえるよう、リュクスは命じた。


「やったね! リュクス」

「ああ、ジェーンもよくやってくれた。共に戦えて感謝している」

「ジャンヌさ、自分は偽物じゃないって言ってたね。自分がコピーだってきっと知らされてないんだね」


 偽物じゃない。それは、かつて存在自体を蔑まれた開発者シャルルの叫びそのものかもしれない。


「後はジョン閣下にお任せしよう」

 ラ・イールの砕けた剣の柄を拾い、握りしめる。きんとした叫びが微かに聞こえた気がした。

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