第65話 潮田の本気

 足が震える。そのせいで凛音を連れて逃げ出すことが出来ない。全身から汗が噴き出している。

 今私の前にいる男はヤバイ。筋肉の塊で出来ているような両腕。服の上からでも分かる胸筋の発達。一発殴られただけで気絶しそうだ。

 凛音も私と同様にビビって動けそうにない。こうなったら私が凛音を守るしかない。


 私は男を睨みつける。生憎、男は凛音を見ており私の視線には気づかなかった。


「どうした凛音。何ビビってんだよ」


 男はヘラヘラ笑いながら凛音に近づいた。それとほぼ同じタイミングで母親も凛音に近づく。二人が凛音の前に立ったことで凛音の表情が見えない。


「お友達がいるから少しは楽しそうな顔しろよ。お友達に失礼だろ」


 男はその言葉同時に凛音の頬を引っ叩いた。


「来い!」


 そう言って男は凛音を無理やり家の中に連れ込もうとした。


 しかし私が動く。


「待って! 凛音を離して!」


 ブルブル震える体を必死に動かし、男の前に立った。ここから先は通さんという意味を込めて両手を広げる。


「何だてめえ。やっぱゴミの友達はゴミだったな」


 次の瞬間。男が私の髪の毛を思い切り引っ張った。何本か髪の毛が抜けたことが分かる。しかし、そんなことよりも痛みに耐えきれず思わず大声を上げてしまった。


「いやぁぁぁ!」


「ちっ。ガキが」


 男はその声を近所の人に聞かれたくないのか凛音より先に私を家の中に連れ込んだ。私が家に入って数秒後、母親が凛音を家の中に連れてきた。

 凛音を家の中に入れてドアを閉める。そして鍵をかけた。

 鍵のガチャという音がした瞬間、男の口角が上がった。


「それじゃ、玄関じゃ狭いしリビングに移動するか」


 そう言って男は私の髪の毛と凛音の髪の毛を引っ張り無理やりリビングに移動させた。リビングに着くと凛音が震えた唇を動かしながら口を開く。


「私には何をしたっていいから芽衣には何もしないで!」


「へえ~。珍しくお前がこの状況で言葉を発するとは。やっぱ友達がいるからちょっとは心強いか?」


 男は私を横目で見た。何か迷っている様子。


 こんな時師匠ならどうするんだろ。私は師匠の弟子なんだ。こんなところで凛音に助けてもらっていいわけがない。私が凛音を助けるんだ。


 私はニヤッと笑みを見せて口を開いた。


「何されようが私は負けないんだよ。このモブが!」


「なんだと」


 普段言わない言葉を使ったことで凛音は少し驚いていた。しかし男は驚きもせずに怒りをあらわにしている。


「てめえ、誰に口をきいてんだよ」


「おめえだよ。クソが」


「へっ、死にてえらしいな」


 次の瞬間、男の拳が私の頬に直撃した。


「うっ」


 頬から全身に痛みが伝わる。じゅわーっと痛みが広がる。口の中で血の味がした。目もくらくらする。どれも初めての感覚。


「い、痛いね。けど思ったより大したことない」


 もちろん嘘だ。もう一発殴られたら気を失うかもしれない。けどここで引き下がったら凛音が危ない。


「言ってくれるな」


「やっちゃいなじん!」


 母親が男に向かってそう叫んだ。男の名はじんと言うのか。


「言われなくても半殺しだ。俺は女でも容赦しねえよ」


「別に容赦されたいとも思わない。るなら本気で来て欲しいね」


 私は一切ビビった表情を表に出さないようにした。ちらっと凛音に目線を移す。すると凛音はとても不安そうにこっちを見ていた。何か言いたそうだったが声が出ないんだろう。


「じゃあ遠慮なく」


 そう言って男は拳を引いた。勢いをつけて思い切り殴る気だ。


「私は......師匠の弟子なんだ」


 独り言のようにそう呟く。


「あ? 誰だよそれ!」

 

 小声で呟いたつもりだったが、男には声が聞こえていたようだ。


 ダメだ。もう勝てない。誰か助けて。


 私は心中で祈った。誰かが助けてくれることを信じて。


 するとその瞬間、私の祈りが届いたのか外から声が聞こえた。


 「芽衣ちゃん!」


 家の中にいた人は皆、声のした方に視線を向けた。

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