悔やみと想い出

月峯ネネ

母の悔やみ


息子の泣き顔をひさしぶりに見た。夫と離婚して以来だった。


負けん気の強い顔で悔し涙をぼろぼろ落とす息子を、それまではよく見た。小学生の男の子には良くあることだと思う。


息子が二年生の時に離婚してから、ここ三年とんと泣き顔を見なかったのは成長したからだと思っていた。それもあるのだろうが、我慢してたのだろう。泣き顔を見てそれに気づいた。


電話で呼び出された放課後のサッカークラブで息子が殴ってしまった相手の男の子とその親御さんに平謝りする。まだ泣いてる息子にも頭を下げさせる。


歯が抜けたと大騒ぎしている相手をコーチが乳歯ですし、こうして謝罪されてるわけですから、と宥める。まだ若いコーチだからか宥め方があまりうまくないなと失礼にも思う。


「これだから片親は!子供の躾ぐらいちゃんとしなさいよ!」


お母さん……それは、と若いコーチがたしなめようと口を開いた横を小さな影がすり抜けて、相手の親御さんに飛びかかった。息子だった。


きゃあっという悲鳴と、コーチがやめないか! と息子の名前を呼んで、馬乗りになっている息子を引き剥がそうとする。わたしも慌てて息子を引き剥がすのに加わった。




「オレが悪いの?」

と車内で問いかける息子。涙はもう止まっている。

「あなたが悪くなくても、先に手を出したらみんな、あなたが悪いと思うのよ」

いつも言ってるでしょ、と言い聞かせると息子はむっつりと黙ってしまった。


あれから、謝り倒してどうにか収拾をつけたけれど、またあらためて謝罪にいかなくてはならないなとわたしは気が重くなった。夕御飯を作る気も起きないのでファーストフード店のドライブスルーに車を向ける。


「母さん、オレどこか行きたい」


商品を受け取ってドライブスルーから公道に出ようとしているときに、息子がぽつりと行った。


「どこかって?」

「どこでもいいけど、遠いところ」


実をいうとわたしもそのとき、遠くへ行ってしまいたい気分だったので、「いいよ」と言って右に出していたウインカーを左に出し直した。

今日は金曜日だし少しくらい遅くなってもわたしも息子も困らない。現実からの逃避行としよう。




風もなくただ黒々と凪いだ海にぽっかりとまんまるの満月が浮かぶ。


わたしと息子はくつを脱いで砂浜に降り立った。海から吹く潮ののった夜風が気持ちいい。息子の様子をうかがうと海に浮かんでる満月をただぼうっと眺めていた。


「遠く」という注文だったが、来たのはさほど遠くない県内の砂浜だった。車を走らせてるうちに日は沈んでしまい春先の夜の海には誰もいない。


わたしは波打ち際に座って、引いては寄せる波に足をつけたり、湿った砂に足を埋めたりしてみる。

しばらくぼうっと突っ立っていた息子が横に来て同じように座ってわたしの真似をし始めた。


その様子を見ながら、今日言われたことを思い出す。


『これだから、片親は!子供の躾ぐらいちゃんとしなさいよ!』


離婚してから仕事の方にばかりかまけているのは事実だった。なによりまず、食べるため、生活のための先立つものが必要で、それを得ることと自分のことで精一杯。

息子のために何かしてあげたいという気持ちはあっても行動するだけの余裕がない。


わたしが息子のためにできることはこの先、生活を支えていくことだけなんじゃないか。そう思うと悔しさと哀しみが胸の内を支配するのがわかった。


離婚は自分が選んだことだ。自分の選んだ道だから後悔しないよう歩いていかなければならない。でも、自分が息子のためにできることの少なさには悔やむことしかできそうになかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る