第3話

 


 リビングに行くと、背広のままの親父が、苦虫にがむしを噛み潰したような顔で煙草をんでいた。


「何か不平があるなら言ってみろ」


 藪から棒だった。


「……別に」


 テーブルを挟んで座ると、横を向いた。


「お前がそんなんじゃ、あいつだってここに居づらいだろ。少しは相手の気持ちも考えろ」


「はいはい、分かりました」


 上の空で生返事をすると、腰を上げた。


「それと、今夜は一緒に食事しろ。後で渡す物がある」


「了解」



 台所を覗くと、流しに立った麻衣子が、盛り付けをしているトミと楽しげに駄弁だべっていた。階段を上がりながら、俺はため息をついた。――



 トミに呼ばれて下りると、リビングには親父の横に麻衣子が居て、テーブルにはシャンパンが入ったアイスペールがあった。


「武志、祝ってくれ」


 親父は催促しながら、オープナーでシャンパンを開けると俺のグラスに注いだ。


「……おめでとう……ございます」


 口先だけで言うと、グラスを持ち上げた。


「いやぁ、ありがとう」


「ありがとうございます。よろしくお願いします」


 麻衣子は俺に向けた笑顔を、傍らの親父にも平等に分けた。


「あ、そうそう」


 麻衣子はグラスを置くと、椅子の上の紙袋に手を入れた。


「イタリアのおみやげ」


 有名ブランドのロゴがプリントされた紙に包装された、箱のような物を俺の目の前に差し出した。


「……あ、どうも」


 受け取るしかなかった。


「後で開けてみて」


「……ああ」


「麻衣子が時間をかけて見立てた物だから、お前も気に入るだろう」


 親父は少年のように頬を赤らめた。


 ……何が麻衣子だ。高校生にでもなったつもりか? 親父よぉ。




 ――箱の中身は、Vネックのしゃれた黒いセーターだった。それを壁にぶら下がったハンガーに掛けると、ベッドの上で眺めながら煙草をんだ。




 そんなある日。親父は仕事でニューヨークに行って不在だった。友人五人が遊びに来ていた。――間もなく、買い物から帰った麻衣子が、カナッペをトレイに載せ挨拶に来た。


「いらっしゃいませ」


 麻衣子を見た途端、騒然としていた応接間がしーんとなった。


「……紹介するよ。麻衣子さんだ」


 俺の言葉に、麻衣子は深々と頭を下げた。


「わぁ、めっちゃ綺麗」

「武志、すげぇ美人じゃん」

「わぁー、素敵」

「若けぇ。お前のお姉さんでイケるじゃん」


 それぞれが感想を言った。


「あ、ダチ一同です」


 俺はかなり酔っていた。


「どうも、こんにちは。どうぞ、ごゆっくりしてくださいね」


 笑顔でお辞儀をすると背を向けた。


「ちょっと、麻衣子さん。みんなに酌してくださいよ。昔取ったなんとかで。お手の物でしょ?」


 俺は嫌味を言った。


「……」


 麻衣子は短い沈黙の後、きびすを返すと、ニコッとして、


「ごめんなさいね、気が利かなくて」


 と言って、ビール瓶を手にした。皆は恐縮しながらも、嬉しそうに麻衣子を目の保養にしていた。だが一人だけ、麻衣子の酌を拒否した。それは保美だった。


 自分のグラスに手で蓋をすると、ビールを注ごうとした麻衣子を睨み付け、嫌悪感をあらわにした。酔っていた俺はその事に気付かなかったが、後に同席していた一人から聞かされて知った。



 その翌日だった。親父はまだニューヨークから帰ってなかった。俺が階段を下りようとした時、階段下にある電話が鳴った。


「奥様、お電話です」


 受話器を取ったトミが麻衣子を呼んだ。


「はーい。どなた?」


 台所から小走りでやって来た麻衣子がトミに訊いた。


「話せば分かると。男の方です」


「……」


 トミから受話器を受け取った。


「……もしもし。お電話代わりました。――お久しぶりです」


 トーンダウンしていた。


「――ええ、おかげさまで。で、どんなご用件でしょ?」


 少し怒ったような言い方だった。


「――分かったわ。どこで? ――駅前のキッズですね? ……分かりました。直ぐ行き――」


 俺はそこまで聞くと、駅前にある喫茶店、〈キッズ〉に先回りした。

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