第68話 硬券入場券と、切符集め今昔

 マニア氏の文章や替え歌からは、時として「傑作」が生まれる。今回もその一つだ。


 一通り読んだ上田さんが、机を軽く叩きつつ、大爆笑。沖原さんも、苦笑しながらマニア氏の文章を読み終えた。沖原さんの弁を受け、上田さんも感想を述べる。


 「種村さんの文章の特徴を、上手くデフォルメして、しかし、よく書かれましたねぇ。これは「ケッサク」だ。そういえば、国鉄からJRになってしばらくの頃まで、入場券を買い集めるファンの人、多かったですね。先程の山陰号のことを書かれたたまきさんの日記でも紹介されていますけど・・・なつかしい光景です。確か、雑誌の取材で、駅のホームを、入場券目当てに走るファンの青年たちの写真を撮ったこともありますし、スタンプを押す少年ファンの写真も撮ったことがありましたっけ」

 「そういうことでしたら、私もよくしていました。懐かしいですね。北海道や五能線では、車掌さんを通して、鉄電を使って次の駅に出てきてもらって、そこでお金を払って入場券を買ったこともあります。昨日の酒の席で、品川さんが、その入場券のことを話されていましたよ。鉄電の話を私がしたら、旅先で会った人の中には、地元の図書館にある電話帳であらかじめ調べるか、あるいは旅先の公衆電話に備え付けてあった電話帳で、次の駅の電話番号を調べて、それで公衆電話から10円玉を使って、入場券を買う手配をしていた人もいたと言っていましたね。さすがに品川さんは、そういうことはしてなかったそうです。私も、公衆電話という手は使ったことはありません。でも、鉄電のおかげで、実はこれ、北海道で出会った車掌さんのアイデアですけど、乗った路線の有人駅全駅の入場券を買い集めることができました。お恥ずかしい話ながら、この手が使えないところでは、列車に乗り遅れたことも何度かありましたけど、そういうときに困らないように、切符と財布だけは、肌身離さず持っていました」


 「あのー、「鉄電」って、何ですか?」

 質問をしたのは、はーちゃんだ。

 「「鉄電」ね。たまきさんの日記の中に出てくるけど、鉄道の業務に使うための電話のことで、「鉄道電話」の略称だよ」

 彼女の質問に答えたのは、年配者たちの誰かではなく、上本君だった。

 「健太君は、鉄道電話を使って入場券を買ったこと、あるの?」

 「ないよ、一度も。というか、そんなことをしていた人の話、ぼくは今日ここで、初めて聞いたぐらいだよ。今は無人駅も多いし、入場券も、全部自動券売機だからね。板宿の鉄研でも、うちの鉄研でも、入場券集めをしている人はいないね。船坂君に聞いたら、神戸国大でもそういう趣味の人はいないって。かなり昔のOBの人たちには、切符集めをしていた人は何人もいたそうだけど。昔の会誌を見せてもらったら、確かに、入場券を買いに走ったとか、そういうことを書かれている記事がたくさんあったそうだよ。もっとも今のぼくでも、乗車券や特急券は、「無効印」を押してもらうことがあるけど、そんなに集めようと思って意識して集めているわけじゃない」

 「ところで、何? 「無効印」って?」

 「この切符はもう使い終えたので使えません、ってことを証明するゴム印のことやね。ぼくの兄が出張で山陰に行ったとき、駅の人に押してもらっていたけど、会社の経費精算で必要だから、できるだけもらってくるように、と言われているみたいだね」

 「でも、なんでわざわざ「無効印」なんて押すのかしら?」

 ここで、沖原さんが今日の新幹線の特急券を見せてくれた。

 「はい、これがその「無効印」ね。今は「乗車記念」なんて気の利いた名前を付けているけど、同じことだよ。とにかく、鉄道の現場でも、持って帰る個人でも、何かのためにそれを見て確認する必要のある人にとっても、見てすぐわかるようにするためさ」

 はーちゃん、感心して切符を見つめている。上本君は、特に大きな反応もせず、ああ、あれですね、という感じ。そこに、伯備線電化前の特急「やくも」の特急券をマニア氏が出してきて、皆さんにお見せしてくれる。

 「まあ、昔はね、あまり切符をくれなかった時期がありましたけど、どうしてものときは、ほらこの通り「無効・岡山駅」とあるでしょ、こういうゴム印を押してくれましたね」

 ちなみにこれは、マニア氏が実際に乗った特急券ではない。彼が中1の頃、岡山駅まで遊びに出たときに、ちょうど改札におられた知り合いの国鉄職員の人に、

「電化したらこの区間の特急券はもう出んぞ。無効印を押すからあげるよ」

と言われて、もらって帰ったものだとのこと。

 その切符は「浜田から岡山まで」の、やくも4号(当時)の特急券で、乗継割引の施された、手書きの緑色のものだった。

 上田さんが、無効印のことを解説してくれる。


 かなり前はね、使用済みの切符をくれと言ったら割にくれていた時期もありました。米河さんが今見せてくれた切符の時期は、確かに、もらえたというのは珍しい時期だとは思いますが、まったくないわけでもなかったね。そういうケースも。

 しかしね、好意を無にするようなこと、まあ、不正乗車の道具みたいに使うようなことをする一部の困った連中がいて、それで、とにかく切符は回収するという方針になって、もらえないという時期もありました。不正乗車に使われると困るから、というわけだ。

 だけど、JRになってしばらくして、POSシステムと自動改札が本格的に導入されることになって、一度自動改札を通したものをまた使って、などということはまずできなくなった。そうなれば、使用済みの切符が必要だという人から無理に回収しなくても、持ち帰ってもらったところで何ら問題ない、ってことにもなるでしょう。

 おそらく企業側としても、明らかにこの切符を使って、いつ、どこからどこまで利用があったかを立証できる「領収書」代わりというよりも、下手な領収書よりよほど証明力のある切符の現物のほうがありがたい、ということになったってことか。

 何、領収書でいつ何円払ったという記録があっても、それが実は、払い戻しなどして裏金になっていました、ついでにその領収書分はしっかりと「旅費交通費」として落とされて、税金もその分安くなりました。その実態というのは、例えば、新幹線の回数券をね、名義が会社か個人事業主かはともあれ、カードで買っておいて、それを金券ショップに転売する。そうすれば、3万円なら2万8千円程度で買い取ってくれます。6枚セットなら換金率もいいですしね、少しは。そうすれば、目の前に現金ができるじゃないですか。それを、裏金なりなんなりにする、という流れね。

 こんなことをのべつされては、税務署としたって、あまりいい気持ちというか、いい心証を持たないでしょう。あまりに額が大きくて不自然なら、それなりの売上のある会社なら、税務調査にきっちり入られても、おかしくない。取引先と言っても、鉄道会社とクレジット会社、それに金券ショップぐらいだが、反面調査と言って、取引の相手方を捜査する権限も税務署にはありますが、そんな話なら、口裏合わせなんてこと、まずないし、合わせようもない。

 ともあれ、その方面からの指摘も、私たちのわからないところであったかもしれませんね。「いかにも」なつくりの、その実、何とでも書きようのある「領収書」よりも、確実にいつ何を買ったと分かる「レシート」のほうが、よほど信用力があると、今時は税務署も思っているのではないですかね。使用済みの切符が割に簡単に、誰でももらえるようになったのにも、そういう背景があるのではないかと思いますよ。


 沖原さんはカメラマンで、自営業者だから、確定申告の度に領収書が必要だ。どうしてもそういう資料については意識を向けていかざるを得ない立場である。それは、マニア氏も同じだ。彼らが領収書の話を引き継ぐ。趣味な話も交じって、なかなか楽しい。

 「切符集めは、趣味としてはしたことはありません。でもね、最近は、確定申告のために、できるだけ使用済みの切符は無効印を押してもらって、他の領収書やレシートともに、7年間はきちんと保管するようにしています。と言っても、7年たったから処分するってわけでもなく、うちの屋根裏には、これまでの領収書も残っていますよ。ひょっとしたら、列車食堂の領収書も何枚か出てくるかもしれません。もう少し私が早く生まれていたら、列車食堂の領収書も、もっとあれこれ集まったでしょうね」

 「私も、以前は一般的な領収書をもらうようにしていましたが、最近は、レシートや切符などの現物を確保するように心がけていますよ。それはそれで、必要だから、私も、やっています。でもねえ、趣味としての切符集めは、正直、やる気が起きませんね。硬券や、手書きの車内補充券のあった時代が懐かしいですよ」

 マニア氏、やはり最後は「趣味」としての鉄道の話にもっていく。どんなに年齢を重ねても、彼はやはり、根っからの「鉄道マニア」だ。

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