第67話 押しかけ女房?

 続いて、沖原カメラマンが、奥さんとのなれそめを語る。


 お恥ずかしい話ですが、妻とのなれそめをお話させていただきます。妻との出会いがまさに、私がまだカメラマンとして独立していない頃、たまたま、列車に乗車した上での撮影の仕事をしていた時だったのです。鉄道がらみのライターの板谷登さんと一緒での仕事でした。当時私は、25歳。ちょうど、国鉄からJRになったころの話です。

 ある鉄道雑誌の取材のアシスタントとして、瀬戸大橋開業前後の宇野線と本四備讃線、瀬戸大橋線一帯ですね、その取材に出向いていました。普段なら自分のクルマで現地に行くところですが、今回はどうしても列車で移動しなければならない理由ができていました。車内の撮影もありますから、身勝手も言えません。東京からブルートレインの「瀬戸」に乗って、まず、宇野駅までの取材に参加しました。その後数日間、岡山と高松の周辺で取材を続けて、最後は、高松から東京まで、「瀬戸」で帰ることになりました。これも一応、取材でしたけど、まあ、岡山までが忙しく、あとは、ゆっくり寝て帰ればいいや、ってことです。要は、瀬戸大橋ができて変わったことをルポできればいいから、変わらないところはもう、シャカリキにならなくてもいいよ、って話です。

 岡山までで主だった取材を終えて、自分の寝台に戻るとね、向かい側の下段寝台に、若い女性が一人座って、夜景を眺めていました。どちらともなく話しかけて、しばらくいろいろ話しました。聞くと、岡山から乗車したそうです。東京にいる上の兄に会うために出向く途中だと言っていました。両親がO県北のT市で病院を経営していて、そこで薬剤師をしている人で、2歳年上でした。

 私は、カメラマンをしていることを告げました。こういう見知らぬ男女同士なら、場所を変わってもらうという手もありでしょうが、上段はどちらも、すでに先客がいて眠りについていましたし、瀬戸大橋開業後で寝台は完全に満室でしたから、それも無理。うれしいような、少し困ったことになったような。一緒に取材にあたっていた鉄道ルポライターの板谷さんから、お疲れ様ってことで、缶ビールを2本貰っていましたが、あいにく当時の私は、そんなに酒を飲めませんでした。そういえば、ビールがちょうど2本あるな。さすがに2本は飲み切れないかもしれない。そこで1本は、彼女に飲んでもらいました。彼女もそう飲める口ではありませんが、お互い、缶ビールの1本かそこらなら飲めます。本当に彼女とはそのときが初対面で、実は誰かに裏で仕掛けをされていた、などということはありませんが、不思議と、話が弾んで、ついでに取材させてもらって、あとで板谷さんに記事にしてもらいました。その雑誌、うちと奥さんの両親にそれぞれ送ったら、大喜びでしたね。コピーして奥さんの実家の病院にまで張り出されたのには、少々参りましたけど。

まあ、これは一種の「役得」でしょうかね。


 ここでマニア氏と上田氏が、確かにそうですなとお互い言いつつ、笑った。ぼくとたまきちゃんは、顔を見合わせて思わず苦笑。上本青年とはーちゃんは、身を乗り出して沖原さんの話に聞き入る。青年達は、確かに熱心に話を聞いている。

 でも、こういう話を軽い「笑い」にするには、人生経験がまだまだ必要なのかな。ここにいるマニア氏も、中学生の頃はこんな感じだったっけ。沖原さんは、さらに話を盛り上げていく。


 そうとなれば、自然に住所交換もできるというか、せざるを得ない状況でしょうに。お互い名刺は持っていましたけど、その裏に、自宅の住所と電話番号を書いて名刺交換しました。ビールもよく回って眠くもなってきましたので、その日は、姫路を過ぎたあたりでお互い、それぞれの寝台に入って寝ました。

 翌日の朝は、6時過ぎに目覚めました。起きると、すでに彼女は浴衣から着替えて、持ち込んでいた缶コーヒーを飲んでいました。彼女もなぜか、缶コーヒーを2本持ってきていて、昨日のお礼ということで、1本貰いました。普段、缶コーヒーを自分のために2本も買うことはないのに、その日に限って、なぜか、2本買っていたのだそうです。彼女も、何かを感じていたのかな?

 それでまた、東京到着まで、しばらく二段寝台の窓の横に、お互い向かい合わせに座って、雑談して過ごしました。東京到着は、朝7時過ぎです。到着後は、それぞれ目的地へと別れていきました。私は、東京駅構内にあるサウナに入って、汗を流して体を洗って、さっぱりした後、雑誌社によって報告だけして、昼頃には自宅に戻りました。


 その日の夕方、ぼくの家に電話がかかってきました。

 仕事で何かヘマをしたか、思い当たる節はないので、とにかく出ました。電話口の向こうは、昨日初めて出会ったばかりの、あの女性だったのです。

 私がその日の朝「瀬戸」号の中で、取材明けで昼から休みだと言っていたので、彼女は、私がおそらく自宅にいるだろうと思ったのでしょうね。今みたいに携帯電話が普及していない時代でしたから、その時私がどこかが外出していたらまた、人生が変わっていたのかもしれません。彼女は、私が思っていた以上に積極的でした。確かに前夜の彼女の話しぶりから、そのような兆候は見えていましたが、まさか、そこまでとはね。


 電話口で彼女は、会いたいどころか、もう家の近くまで来た、なんて言うから、「着の身着のまま」とまでは言わないにしても、とりあえず外に出られる格好に着替えて、近くのスーパーまで行きました。

 すると、昨日寝台車で出会ったばかりの女性が、目の前に来ているじゃないですか。朝会っていたときよりも、いささか色っぽく見えました。

 自宅にいきなり入り込まれても難なので、近くの居酒屋で軽く食事をして、またとりとめない話をして、小一時間ほど経過して、さあどうしようとなったら、そこで彼女、おもむろに言い出しました。正直、事の進展に追いつくのが大変でしたね。

 困ったことに彼女、今日は泊る場所がないと言うのですよ。妻より5歳上のお兄さんのところで泊っていくことを勧められたにもかかわらず、今日は行くところがあるからと、そのお兄さんに告げて出てきていて、夕方には私の家まで来てしまったというわけ。

 こうなったらもう、しょうがない。お世辞にも「きれい」とは言えない私の家に、「綺麗」な上に可愛いことこの上ない女性がやってきました。

 私、ひとたまりもありませんでした。2歳ばかり年上ですけど、すごくかわいいところ、あるんです。今もね。私の逃げ道は、完璧に塞がれました。そりゃ、メロメロですよ。出会って24時間と経たない間に、私たちのその後、がっちり、でした。

結局、それから1年ほど付き合って、彼女と結婚しました。しばらくは遠距離の行き来でしたが、近く結婚するとなって、彼女は両親のつてをたどって、こちらでの仕事を見つけて、私のアパートに押しかけてきました。

 そんなことしている間に、あっという間に、子どももできてしまいましたしね。

最初の子は男の子ですが、母親に似ていますね。その後、女の子が3年後、それから2年後に男の子がもう一人生まれました。皆もう成人していて、独立しました。まん中の女の子は、今時珍しく24歳で結婚して、一昨年前、男の子が生まれました。こちらからすれば「孫」ですな。あとの男の子二人はまだ独身です。

 妻の実家はO県の県北のT市ですけど、私、どういうわけか最初から、彼女の両親に気に入られてね、食えなくなったらうちの病院で事務でもしろ、って言われていますけど、ぼくみたいな風来坊にそんな仕事させたら、この病院、ひとたまりもなく潰れまっせ、とか何とか言って、逃げています。そんなこともあって、まあ、絡め取られてたまるかって気持ちが強いからこそ、今も頑張って写真家業をやれている次第です。

 でも、彼女に出会えたおかげで、生活はもちろん、私自身の精神状態も、かなり落ち着きました。結婚後もしばらくは、先ほど申し上げたような感じで、あまり人と付き合いたくないというところがありまして、彼女もそのあたりはずっと心配していましたけど、あのムーンライト九州での出来事以来、妻からも、いい意味で人が変わったし、写真もなぜか、昔より温かみのあるものが多くなったと言ってくれるようになりましたね。

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