到着の前日


 イエローナイフ空港からさらに北へ車でいくこと8時間……。



 もっと早く着ければよかったのだが、コンジ先生が途中で、やれお腹が空いただの、のどが渇いただのさんざん文句を言って寄り道をしたため、

『或雪山山荘』の麓の村に着いた頃には夜に差しかかっていた。


 当初の予定では、ここに到着するのは昼下がりの午後のはずだった。



 迎えに来てくれるはずの大富豪パパデス・シンデレイラの使いの人も、さすがに夕刻まで待って来なかったので屋敷に引き上げたらしい。


 翌日の朝、迎えに来てくれるとのことで、一日遅れてしまったので、この麓の村の宿泊所に一晩泊まらせてもらうことになった。


 その日は宿泊所で簡易な食事を取らせてもらった。





 コンジ先生は相変わらず文句を言ってらっしゃいましたけどね。



 「本来ならば今日は豪華なディナーを堪能していたはずなんだ。どうしてこんな粗末なものをこの僕が食べなきゃいけない自体に陥るだなんて……。」


 「じゃあ、コンジ先生の分、私が食べましょうか?」


 「いやいや。何を言ってるんだね。君は。もちろんいただくけれども、まあ、ちょっとした不満を漏らしただけじゃないか。ふん。……ま、まあまあいけるな。ずず……。」



 そう言ってスープをすするコンジ先生、マナーはいかがなものでしょうかね。




 コンジ先生って、IQは高いのですけど、常識はないんですよね……。


 宿泊所の世話をしてくれたのは、高齢の女性でこの村で生まれ育った人だそうだ。




 「あなたたちはこの地方に伝わる人狼伝説をしっておるかい?」



 その女性が気さくに話しかけてくれる。




 「あ、はい。聞いたことがあります。夜に無敵になり、人間を食らう人狼ですよね。」


 「ああ。じゃが、この村ではさらに恐ろしい言い伝えがあるんじゃ。」


 「ほほう……。それはどういった話なんだ? えーと、おばあさん。」



 「いや!コンジ先生! 失礼ですよ。まだお若いですよね。」


私は思わずツッコんだ。



 「いや、まあ、ばあさんでええよ。今年で80じゃからな。」


 「ええ!? 見えないですよ。まだ……70代かと思いました!」


 「いや……。ジョシュアくん。君。それ、あまり変わらないよ……。」




 そしておばあさんは村に伝わる人狼伝説を聞かせてくれた。


 言い伝えによると、人狼はその血を味わった人間に化けることができるらしい。


 しかも、その血からその人間の記憶や体質など遺伝子情報まで読み取ってなりきってしまうのだと。


 親しい人間でさえ、見分けがつかないほどだという。





 「昨日まで親しい人間だった者が翌日の夜に狼になって食い殺される……。隣の人も信じられない……みなが疑心暗鬼になり殺し合う。

そんな凄惨な事件があったんじゃ……。」


 おばあさんは妙に説得力のある凄みでそう話をしてくれたんです。









 「それは興味深いな。ぜひ捕まえたいものだな。」


 「無茶はしないでくださいね。コンジ先生。」


 ってこう注意しても決して聞かないんだろうなぁ。



 「ひっひっひ。狼の哭く声がする晩は、早く寝て決して他の人間を信用しないことじゃ。」


 おばあさんはそう言って部屋に案内してくれた。






 その夜は轟々と吹雪の音が聞こえる夜だったが、なんとか安全に眠れる場所にありつけた。


 だけど、あんな人狼の話を聞いたからか、なかなか寝付けなかった。


 コンジ先生はまったく意に介さず、さっさと寝てしまったようだけど……。



 もう。ここに乙女がいるんだから、もうちょっと心配してくれてもいいのに。


 私は少し不満に思いながら、そうこうしている間に意識が遠のき、眠りについていたのだった―。






 翌朝―。


 昨日ずっと続いていた吹雪は、少し小康状態になっていた。


 8時になったころ、おばあさんが朝食の支度ができたと声をかけてくれた。


 私たちが朝食をいただいていると、宿泊所に誰かが訪ねてきた。



 カランコロンカラーン。



 扉についている鈴が小気味よい音を立てた。




 雪まみれの山男のような男性、中国人のように見えるその男が大声で呼びかけてきた。



 「コンジ・キノノウ様!! ジョシュア・ジョシバーナ様! いませんか!?」



 どうやら、私たちを迎えに来てくれたシンデレイラ家の方らしい。




 「あ! はい! 私たちです。コンジ・キノノウとジョシュア・ジョシバーナです!」


 私はそう返事して、その男性の下へ走り寄った。



 「ああ。昨日はすみませんでしたね。吹雪いてきたもので帰ってしまって。申し遅れました。

私はシンデレイラ家の『或雪山山荘(あるゆきやまさんそう)』の管理人、カン・リーニン(漢・李恁)です。お迎えに上がりました。」


 「これはご苦労さまです。この天候では仕方がなかったですね。」


 「この辺りの天気は7日吹雪くと1日晴れる特殊な天気なんですよ。だから、今日も吹雪くと思いますので、すぐに出発したいんですがよろしいですか?」






 なんとも独特な天気なのかしら。


 「これもコンジ先生が寄り道なんかするからですよ。」


 「ああ! 君は僕だけのせいにしようというのか? 喜んでガツガツ食べていたのはむしろ君のほうだったと思うけど?」




 そんなこんなで、すぐ準備をした私たちは管理人のカンさんについて雪山の道を進むことになった。


 「順調に行けば、3時間程度で着くかと思いますので、はぐれないようについて来てください。」


 「はーい。」


 「ふん。何かスノーモービル的なものはなかったのかね?まったく。」


 「すみませんねぇ。道がデコボコしてるもんですから、スノーモービルやソリは晴れた時以外はなかなか使えんのですよ。」





 あーあ。これも昨日にちゃんと着いていればなかったのにな。


 ちょっぴり、あの途中で寄って食べたプーティンやバタータルト、七面鳥の丸焼きをやめておけばよかったと後悔するジョシュアでした……。






 ****





 天候はすぐに崩れた。


 吹雪がだんだんと強くなり、まさにホワイトアウトな世界―。


 1m先も見えないほどだ。





 先頭を行く管理人のカンに続いてコンジ、そしてジョシュアの順で黙々と歩く。


 もはやお互いの声も聞こえない。


 えんえんとしまく雪の舞いが幻聴を聞かせるのか、狼の鳴き声が聞こえる―。




 ザク……。


 ザク。


 ザク……。


 自分の歩く音がやけに耳にへばりつく。




 ぶ厚い手袋を通して、凍気が指先に染み込んでくるようだ。


 靴は防水加工がされているはずなのだが、冷たさが厳しく、一歩一歩の足の運びを遅らせる。


 前を進む者の背中だけを見つめ、ただひたすらこの一面の白い世界を進んでいく―。






 ザク……。


 ザク。


 ザク……。


 自分の歩く音がやけに耳にへばりつく。




 もう何時間も経ったかのような気もする。


 だが、まだそんなに経っていないような気もする。


 時間の感覚もこの冷気とともに鈍って行っているのか―。




 ザク……。


 ザク。


 ザク……。


 自分の歩く音がやけに耳にへばりつく。





 吹雪はますます強くなり、もはや前を進む者の姿さえ見えなくなっていた―。


 ただひたすら、前についている雪の上の足跡にかぶせるように自分の歩を進める。


 先頭のカンはどうやって進む道がわかるのだろうか?




 もしかして、このまままったく道を間違えていて、永遠にこの雪の嵐の中をさまよい続けるのではないだろうか?


 前を見ても白―。


 横を見ても白―。


 後ろを見ても白―。




 白の色しかない世界―。



 このまま消えても誰も気がつかないだろう……。




 ザク……。


 ザク。


 ザク……。


 自分の歩く音がやけに耳にへばりつく。




 ただ歩くー。



 永遠に近い時間が経っただろうか……。







 ****




 あーあ。


 なんという不運なんでしょうか。


 本当なら昨日には山荘に着いていたはずなのに、乙女にこんな行軍を強いるだなんて……。


 私はなんだか腹が立っていた。





 「ああ! 着きましたよ! おふた方!」


 先頭のカンさんが大声でこちらを振り返って叫んだ。


 「ふむ。やっと着いたか。3時間21分35秒だ。言った通りより21分35秒遅れで着いたな。」


 コンジ先生……神経質すぎません?




 私はとにかく無事着いたことにホッとしていた。


 だが、同時に何か胸の内でざわざわと何かざわつく気配を感じていたのだった―。






 ~続く~




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