番外編 恋から愛へ①(☆)
「えっ! 何? あんた達まだそんな関係なの?!」
「ナ、ナタリア、声が大きいわ」
木漏れ日が天から雨のように降り注ぐ森の中に、ナタリアの声が響き渡る。レティリエが人差し指を口にあてておろおろと慌てると、ナタリアが今しがた作業をしていた繕い物を膝に置いてこちらを向いた。
「ごめん。でも、あんた達もう夫婦じゃないの。そういうこと……してるのが当たり前でしょう。ねぇレベッカ」
ナタリアが顔ごと視線を向けると、隣にいるレベッカがおもむろに頷く。
「夫婦になったからには、村の為にも子を成すことは大事よ」
「でも……その、恥ずかしくて……」
顔をりんご色に染めながらレティリエがうつむくと、ナタリアが呆れた視線を寄越す。
「何言ってるのよ。初めてでも無いくせに……」
「それはっ……そうなんだけど……」
消え入りそうな声で呟くと、ナタリアとレベッカはそろってため息をついた。
ナタリアの言うとおり、冬の豊寿の祭りの日にレティリエとグレイルは夫婦になった。誓いの上でも、本当の意味でも。
でもその日以降、二人はきちんと愛を交わせていなかった。
「グレイルのことは好きなの。でも、なんていうか……好きすぎて、ド、ドキドキして、どうにもできなくなっちゃうの」
言いながらも顔に熱を帯びるのを感じる。もちろん、レティリエもそういうことを望まないわけではない。むしろ心の内ではずっとずっと切望してきたことなのだ。
だが、叶わない願いだと諦めていたからこそ、今の状況に気持ちが追い付いていなかった。今もグレイルが微笑みかけてくれるだけで胸が高鳴るのを感じるし、彼が抱き締めてくれたりキスをしてくれる度に、その場所が熱くなって彼の顔をまともに見られなくなってしまうのだ。
「私は、グレイルと一緒にいられるだけで幸せなんだけど……それじゃダメよね」
「ダメに決まってるでしょ」
おずおずと言葉を紡ぐレティリエに、レベッカがバッサリと切り捨てた。彼女の金色の瞳がまっすぐにレティリエを捉える。
「こんなにお預けを喰らわされて、グレイルも可哀想よ。本当に彼のことを想うなら、あんたが頑張りなさい。一回は結ばれたんでしょう。一回も二回も同じだわ」
「ちょ、ちょっとレベッカ……」
レベッカの歯に衣着せぬ物言いに、ナタリアが慌てる。だが、レベッカの言うことは正しかった。気付かぬふりをしていた罪悪感を指摘され、レティリエはうつむいてきゅっと両手を握った。
あの夜のことはよく覚えている。
いつも自分を守ってくれていた力強い手は驚くほど優しく、体に落とされる口づけはとても熱かった。
見慣れた優しい笑顔とは違う、熱を孕んだ目。あの時の彼はまさに男の顔をしていた。請うような鋭い眼差しを思い出す度にレティリエはその時のことを何も考えられなくなってしまうのだ。あの時は気持ちも昂っていて流れに身を任せられたのだが、改まってしようとすると、恥ずかしくて自分からはとても言い出せない。
「まぁあんたの気持ちもわかるけどさ……ずっと好きだったものね」
ナタリアが助け船を出してくれた。そっと彼女の顔を見上げると、彼女は自分を安心させるように優しく微笑んでいた。
「でもね、ただ子供を作る為だけのものではないのよ。私はクルスと夜を一緒に過ごす度に、彼のことがもっともっと好きになるんだもの。ねぇ、レベッカ」
「さあ、知らないわ」
ナタリアがいたずらっぽく笑ってレベッカに話を振ると、レベッカは顔を赤らめながらプイとそっぽを向いた。
「……まぁでも、知らなかった一面が見えて、彼の見方が変わると言うのはあるわね」
「そうよ。クルスはね、普段は優しくておっとりしてるんだけど、実は結構情熱的なのよ。その彼は私だけしか知らないと思うとちょっと優越感。なんてね」
ナタリアがくすくす笑いながら言った。照れも含まれているのだろう。だがその顔は幸せに輝いていて、レティリエは見とれてしまった。
自分だけしか知らない彼の顔。やっとそれを独り占めできる立場になれたのだ。レティリエは両手の拳をぐっと握りしめた。
「……うん、わかった。私、頑張ってみる」
こくんと頷きながら言うと、二人の友は笑って激励してくれた。
※※※※
「はぁ? お前らまだそんな関係なのかよ!」
「わっ! 馬鹿、声が大きい」
朝の清々しい空気の中にローウェンの大声が響き渡り、グレイルが慌てて諌める。ローウェンが呆れた視線を寄越しながらため息をついた。
「おいおい、冬の祭りが終わってからもうすぐ一月経つだろ。それなのにまだやることやってないなんて、俺はビックリだよ」
「いや、まあ、その……全く無いわけでは、ないんだが」
グレイルがしどろもどろになりながら言葉を紡ぐ。実際に夫婦になった日の夜は結ばれたのだし、それ以降も良い感じの雰囲気にはなることは度々あった。だが、いざ行動に移そうと思うと、レティリエが途端に体を強ばらせてその先に進まない。普段はとても仲の良い夫婦であると自負しているが、なぜ彼女が自分を受け入れてくれないのかはわからなかった。
二人の話をにこやかに聞いていたクルスが獲物を解体する手をとめてこちらを向いた。
「それはグレイルの技量がお粗末だからとかじゃなくて?」
「ク、クルス!! お前!」
友の強烈な一撃にローウェンが狼狽える。グレイルは苦笑しながら頬を掻いた。
「いや、それは無い……と、信じたい……」
尻すぼみになっていく言葉に我ながら情けなさを感じる。レティリエを愛しく想う気持ちは誰にも負けない自信はあるのだが、考えてみれば最近、彼女がなんとなく憂えた表情をしていることが多い気がするのも事実だ。自分は知らないうちに彼女を傷つけてしまっていたのだろうか……。
黙ってしまったグレイルに、クルスが笑いながら肩を叩いた。
「ははっ嘘だよ。グレイルって意外と色恋沙汰は弱いんだね。なんか面白くなっちゃって」
「お前なぁ……」
ローウェンが呆れ顔でクルスを小突くと、クルスはペロッと舌を出した。
「でも俺もそれは無いと思うぜ。だってレティはずっとお前のことが好きだったんだろ。お前にされて嫌なことなんてひとつもないさ。一度話し合ってみろよ」
「うん、僕もそう思うよ。それに、グレイルだって……好きな子が側にいるならもっと触れあいたいだろ?このままにしておくのは良くないよ」
「ああ、そうだな……」
二人の言葉に、グレイルは呟くように返事をした。
幼い頃から想ってきたのは自分だって同じだ。初めて彼女を腕に抱いた夜、彼女の体の小ささと柔らかさに驚いたのを覚えているし、幼少期からの長い長い時間を経てやっと重なりあったあの一時はグレイルの中でも甘い記憶として残っている。今は毎晩仲良く同じ布団で寝ているのだが、正直に言うと自分の隣で眠る無垢な顔を見て何度か理性を手放しそうになったこともある。
自分は知ってしまったのだ。濡れた瞳がどんなに蠱惑的に自分を見つめ、さくらんぼの様なふっくらとした唇が、どんなに艶っぽく自分の名前を呼ぶのかを。
だが、自分の胸の中ですうすうと気持ちよく眠る彼女を見ると、思い直すのだ。今まで辛い人生を送ってきた彼女が、やっと全てのしがらみから解放されて安心して眠れるようになったのだから。
「わかった。話し合いはしてみる。でも、基本的にはレティが受け入れてくれるまで待ちたいんだ」
「そっか。うん、でも二人にはそれがあってるかもね」
「まぁ、健闘を祈ってるよ」
友の言葉に、グレイルは力強く頷いた。
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