番外編 幼馴染③

「ねえ、マザー」


 グレイルが帰った後、次の日の朝食の支度を手伝いながらレティリエがポツリと呟く。


「どうしたんだい? レティリエ。グレイルと何かあったのかい?」


 いつもと違う様子に気づいたのか、マザーが心配そうに声をかける。レティリエはふるふると首を振って微かに顔を赤らめた。


「あのね……私、グレイルのことが好きなのかもしれないの。私、グレイルのお嫁さんになれるかなあ」


 優しくて、二人を可愛がってくれるマザーのことだ。応援してくれるはずだという淡い期待もあったのだろう。だが、マザーの口から出てきたのは肯定の言葉ではなかった。


「……レティ、悪いことは言わない。その恋はあきらめなさい」


「えっ……どうして?」


 驚きに目を見張るレティリエに、マザーは黙って首を横に振った。その瞳は憂いを帯びていて、レティリエの胸が不安に怯え始める。


「レティ、私たち狼は群れで生きる生き物だ。この村を守る為にも、強い子供を産む必要がある。グレイルはね、狩りの腕前が良いと評判らしいんだ。あの子みたいに強い狼は、同じように強い雌と夫婦にならなければならないんだよ。だから……」


 マザーが言い淀む。だが、その先は言わずともレティリエには伝わった。


「……それは私が強い女の子にはなれないってこと……? 私が、狼になれないから……」


 マザーは返事をしなかった。だが、悲しげに伏せられた瞳が答えを物語っていた。


「どうして……どうしていつも私なの? お父さんもいなくて、お母さんもいなくて、皆からもいらない子だって思われてて……っ」



 おまけに、たった一人の好きな人さえも諦めなきゃいけないなんて。

 

 狼になれないという事実は、自分の居場所を悉く奪っていくだけでなく、少女の淡い恋心さえも許してくれなかった。


 胸が張り裂けそうに痛み、レティリエは思わず部屋を飛び出した。「レティリエ!」というマザーの言葉が追いかけてきたが、わき目も降らずに外へ駆けだしていく。

 行先はわからない。自分はどこに行けばよいのか、どこに行けば許してもらえるのかもわからない。わけもわからず走り抜け、小高い丘の上まで来るとレティリエは一人でわんわんと泣いた。涙を流す度に心が悲鳴をあげ、息ができなくなるくらい苦しい。それでもこの胸の痛みを癒してくれる存在はどこにもいなかった。

 

 ひとしきり声をあげて泣き続けていくうちに、少しずつ痛みは治まっていく。

 すんすんと鼻を鳴らしながら地面に視線を落とすと、草の上に投げ出された銀色のふさふさとした尻尾が目に入った。


(変な色……)


 自分の尻尾を憎々しげに眺める。何もかも皆と違う自分の存在が嫌でたまらなかった。腹立ちまぎれに自分の尻尾をぎゅっと力任せに引っ張った時だった。


「レティリエ?何してるんだこんな時間に」


 背後から声が聞こえ、慌てて振り向く。満月を背にしてグレイルが立っていた。


「グレイル? ……どうしてここに?」


 涙をこっそりぬぐいながら尋ねると、グレイルは今しがた捕まえたであろうイタチを掲げた。


「狩りの練習だよ。夜も動けるようにしておきたいからな。レティこそここで何してるんだ?」


「あっ、えっと……マザーとちょっと喧嘩しただけよ」


 なんとなく弱っている自分を見せたくなくて意地をはる。グレイルはふーんと言いながらレティリエの隣に腰をおろした。





「今日は満月だな」


 グレイルの言葉に顔をあげると、白銀の月が宵闇に浮かんで儚げに輝いていた。


「俺さ、月を見ているとお前のことを思い出すんだよ」


 夜空を仰ぎ見ていたグレイルがポツリと呟く。思いがけない言葉に驚いて彼を見るとグレイルの金色の瞳と目があった。


「レティの毛の色は、月と同じなんだな」


 何気なく紡がれた彼の一言が、レティリエの胸に光を取り戻す。

 ああ、まただ。こうやって彼は、自身が知らぬうちに自分を救ってくれるのだ。

 レティリエは顔をあげて目の前の満月を眺めた。晦冥の空に浮かぶ白銀の月。まるでそれは真っ黒な毛並みをしたグレイルと並んだ自分のように見えた。


「グレイル……ありがとう」


「ん? なんでだ?」


「ううん、なんでもないの」


 またもや首をかしげるグレイルに、レティリエは微笑みながらそれに答えた。


 彼と添い遂げることは許されない。

 それでも、やっぱり彼と一緒にいる時間は自分にとっては何よりも大事なものだから。

 せめてグレイルが誰かと一緒になるまでは、側にいようとレティリエは思ったのだった。











 長い長い夢から覚めたレティリエはそっと目を開けた。

 まだ夜明けには遠く、窓から差し込む白銀の光が部屋を薄く照らしている。

 身を起こすと、隣で寝ている彼が微かに動く気配がした。


「ごめんね」


 耳元で囁くと、夢うつつの返事が返ってくる。レティリエは眠るグレイルの横顔をまじまじと見つめた。幼い頃に恋焦がれた彼が隣で眠っているという事実が不思議で、レティリエは思わずグレイルの頬をツンとつついてみる。指先に触れる確かな存在に胸がくすぐったくなるのを感じた。

 そのまま唇を近づけて頬にそっとキスをすると、グレイルがもぞもぞと動いて手を伸ばし、ぎゅっと抱きしめてくれた。

 逞しい腕と胸板に顔を預けながらこちらも彼の背中に手を回して懐に潜り込む。


 レティリエは幸せに包まれながら二度寝を決め込むことにした。

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