番外編 レベッカとローウェン①

 レベッカの両親は二人とも優秀な狼だ。


 狩りの腕は高く、体格に優れ、群れを率いる力も郡を抜いている。そんな彼らの血を継ぐレベッカは、幼い頃から身体能力にも秀でていて狩りの才能もあった。

 残酷なことだが、生まれもった性質が後天的にひっくり変えることはほとんどない。貧弱な体と弱い精神、狩りのセンスもない者達から生まれた子供が、群れの頂点に立てるほど強い狼になることはあり得ないのだ。

 だからこそレベッカは、この身に宿る優秀な血を絶やしてはならないと思っている。恵まれた体で生まれたからには、その遺伝子を後世に引き継がなくてはならないのだ。


 

 だから、彼から「自分と一緒になってくれないか」と言われた時も、彼女の答えは決まっていた。


「私は一番強い雄と一緒になるわ。そのお願いに答えるのは、あんたが私と釣り合うことが証明できてからになるわね」


 切り捨てるように答えると、ローウェンは唇を噛んでぐっと拳を握った。普段の陽気な姿とは違い、真剣な表情で自分を見つめている仲間を、レベッカは冷静な目で見返した。

 グレイル程では無いが彼も上背があり、しっかりとした体躯をしている。狩りの腕前も良いので、雌達からそこそこ人気があるらしいことはレベッカも知っていた。それでも、自分と一緒になるにはやはり最も強い雄でなくてはならないのだ。

ローウェンが上位の狼であることは間違いないが、狩りのセンスに長けている者は他にもいる。それこそ、グレイルと並ぶくらいの戦績を持つ雄だって他にもいるのだ。


「悪いけど、実力で証明できないならこの話は終わりよ」


「……そんなことは百も承知だよ」


 ローウェンが悔しそうに言葉を紡ぐ。だが、次の瞬間には目に光を灯しながらしっかりとレベッカを見据えた。


「確かに俺は現時点では一番強い雄じゃないかもしれない……だから俺は、次期村長になる」


「なんですって?」


 ローウェンの言葉に、レベッカも思わず声をあげた。

 もうすぐ次期村長を選ぶという話があるのはレベッカも知っていた。レティリエの活躍でドワーフの集落と交流を持つようになったのもあり、村長が後進に席を譲ることを決めたのだ。

 だが、次の村長になる為には、狩りの戦績で一番になる必要がある。目の前の仲間を訝しげに見上げると、ローウェンはぐっと口を結んだ。


「俺がこの村の次期村長になったら……レベッカ、俺と一緒になってほしい」


「まぁ本当にそれができるならば……考えてやらなくもないわ」


 レベッカの言葉に、ローウェンは「ありがとう」と言って照れたように笑った。




※※※※


「あれ? グレイルは? まだ来てないの?」


「あ~多分レティのとこだ」


 村の東側に位置する門の前でクルスが呟くと、獲物を捌く為に使う短刀をいじっていたローウェンが呆れた声で返す。

 さすがに集合時間に遅刻することは無いが、レティリエへの恋心を自覚してからは、グレイルはぎりぎりまで彼女と一緒にいることが多い。


「時間までまだ少しあるけど、どうする? 呼んでこようか?」


 クルスが言うと、近くにいたレベッカが立ち上がった。


「私が呼んでくるわ」

 

 レベッカの意外な行動に、一瞬二人はぽかんと口を開けたが、ハッと我にかえると「あ、ああ、じゃあ頼むよ」と彼女を送り出した。





 村を出て、近くの森へと足を踏み入れる。冬の冷たい風がレベッカの赤い髪を撫でた。

 もうすぐ村は冬の豊寿の祭を迎える。と同時に自分ももうすぐ生涯の伴侶を見つけなければならないのだ。レベッカはサクサクと枯れ葉を踏み鳴らしながら冬の青空を仰ぎ見た。


(私は誰と一緒になるべきなのかしら……)


 青空に向かって答えの無い問いを投げ掛ける。少し前までは、自分の相手はグレイルになると誰もが信じていたし、自分もそれを疑っていなかった。他の雄よりも恵まれた体格と抜きん出た狩りのセンスを持つグレイルは、若い雄の中でもトップクラスの実力を持つ狼だ。そんな彼が、雌の中で最も力を持つ自分に相応しい相手であることは間違いなかった。


 だが、それはもう過去の話だ。

 命を賭けて仲間を守り抜いたレティリエが、彼と一緒になることを認められたのだから。




 もともとレベッカは、レティリエが思ったよりか弱い狼でないことを見抜いていた。

 弱く立場がない狼は村を出ていくことも多いが、どんなに辛い思いをしても、レティリエは決して弱音を吐かず、心を折ることがなかった。その点において、レベッカはずっと彼女に一目おいていたのだ。

 そして彼女の心の原動力になっているのがグレイルにあることも、レベッカはもう随分と前から知っている。

 だからこそ、レベッカは控えめに身をひくレティリエにずっとイライラしていた。彼女の立場や気持ちもわかる。だが、本当に彼のことが好きなら、自分に勝負を挑み、汚い手を使ってでも泥臭く勝利にしがみつくぐらいの気概を見せてほしいと思っていた。

 だから、今回、レティリエが自分の力で勝利を掴んだことに、レベッカはある意味で安堵していた。

 狩りのセンスだけで言えば自分の方が圧倒的に上だが、精神の面で言えば、レティリエの方が何倍も上手だった。

 初めて人間に捕らわれた時、レベッカは今までにない感情を味わった。何をされるかわからない未知への畏れ。彼ら人間達の思考が読めない故の不安と恐怖は今思い出しても身震いする。

 だからこそ、レティリエが自分の死を覚悟して囮になったことは、多分自分にはできないことだと理解しているし、それだけでグレイルの相手が彼女であることに異論はない。



 森を抜けると小高い丘に出た。丘の上の方で、仲睦まじく身を寄せ合う二人の姿が視界に映る。グレイルが何かを話す度に顔を綻ばせて笑うレティリエの姿が目に入り、レベッカもふっと口を緩めた。ずっと恋い焦がれていた相手と一緒にいられる幸せがこちらにも伝わってくるようだ。レベッカは二人の所へ行こうと丘を登ろうとして……歩みをとめた。

 

 レティリエと話していたグレイルがそっと彼女の肩を抱き寄せる姿が見えた。

そのまま彼女の額に唇を落とす。顔を真っ赤にしながら目を見張るレティリエに、グレイルが優しく微笑んだ。

 レベッカの目がグレイルの顔に釘付けになる。彼とは長く一緒の群れで戦ってきた間柄だが──彼のこんな表情を見るのは初めてだ。いつもの冷静な彼からは想像できない姿に、レベッカは視線を反らすことができなかった。

 レティリエが頬を薔薇色に染めながら、グレイルを見上げる。見つめ合う恋人同士の姿はとても美しいものだが、さすがにこれ以上はお腹いっぱいだ。レベッカはこほんと咳払いをしながら二人に近づいていった。


「お取り込み中の所悪いけど、そろそろ時間よ」


 レティリエが顔を真っ赤にしながら慌ててグレイルから離れる。以前は後ろめたさから出ていた行動だったが、それは純粋に恥ずかしさからくるものに変わっていた。


 グレイルも慌てた様子で身支度を整える。


「あ、ああ。すまん、レベッカ。……じゃあ、また後でな、レティ」


「うん」


 立ち上がるグレイルに手を振るレティリエの顔が少しだけ切なげな表情になる。以前と比べれば彼女の立場は格段に良くなったが、やはり狩りができないことについてはまだ皆に対して申し訳なく思っているのだろう。


「……昼頃には戻るのだから、それまでに自分ができることでもやっていなさいな。あんたなら、やることなんていくらでもあるでしょう」


 優しく言ったつもりは無かったが、レベッカの言葉にレティリエが嬉しそうに微笑んだ。


「二人とも気をつけていってらっしゃい」


 笑顔で手を振るレティリエを背に、二人は丘を下っていった。







「あんたもあんな顔をするのね」

 

 集合場所まで歩きながらレベッカが言うと、グレイルが気まずそうにこちらを向いた。


「……見ていたん、だな」


「ええ、まぁ。別にいいんじゃない? 恋人同士なんだし」


 レベッカの言葉にグレイルがため息をついて右手で額を覆った。指の隙間から見える顔がほんのり赤い。図体がでかいくせに、そうしているとなんだか子供みたいに見えた。


「……まぁ、少し羽目をはずした気もするが」


「あらそうだったの。私にはレティリエが可愛くてしょうがないって顔をしていたように見えたけど」


「もう勘弁してくれないか……」


 グレイルが困惑した表情で狼狽える。百戦錬磨の雄狼も、好いた女の前では形無しと言うことか。情けない顔をしている仲間の姿を見ながら、レベッカはぼんやりと思う。恋をするということは、それほどまでに人を変えるものなのだろうか……自分にはわからない感情だ。


 ふとレベッカの頭に茶色の雄狼の姿がよぎった。陽気なムードメーカーである彼の、いつにない真剣な眼差しと、一音一音に意思をこめてハッキリと伝えられた言葉。思えばあれも恋する男の顔だったのだ。

 レベッカはぼんやりと視線を虚空に投げる。

 

 人を好きになるとは、一体どのような感情なのだろうか。

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