番外編 幼馴染①

ねぇマザー


どうして私は皆と毛の色が違うの?


どうして私にはお父さんとお母さんがいないの?



──どうして私だけ狼になれないの?








※※※


 レティリエは物心ついた時には既に孤児院にいた。

 記憶の中ではいつも周りに大勢の子供たちがいて、その数は絶えず増えたり減ったりしていた。

 だが、子供たちの顔ぶれが変わろうとも、彼女は常に最年少だった。


 その日も、レティリエは年上の子達に連れられて、森へ遊びに来ていた。

 木々が赤や黄色に装いを変え、絨毯の様に敷き詰められた枯れ葉が、彼らが歩く度にサクサクと小気味良い音をたてる。

 先頭を歩いていた子狼がある地点で立ち止まり、くるりと後ろを振り向いた。


「よし、じゃあ誰が一番大きい獲物を獲れるか競争な!」

 

 そう言うと、彼はパッと狼の姿になり、一目散に森の中へ駆けていく。


「あっ抜け駆けずりーぞ!」


「ぜってー負けないから!」


「私もよ!」


 他の子狼達も口々に叫ぶと、それぞれ狼の姿になり、先頭の狼の後を追った。


「あっ……」


 声を発した瞬間には、もう彼らの姿はなかった。一人残された幼いレティリエは、年上の狼達の後ろ姿が森と同化するのを見届けると、所在無げに近くの切り株に腰かけた。

 投げ出した足をぶらぶらさせ、枯れ葉がくるくると空中でダンスを躍る様をぼんやりと見つめる。


(私はこういう時、何をしていればいいんだろう……)


 狼になれない自分は、皆と一緒に狩りをすることができない。何もできずにただ座ってるだけの時間はチクチクとレティリエの孤独感をつついていく。そのまま小枝で地面をつついたり、ドングリを拾ったりして時間を潰していると、やがてガヤガヤと話し声が耳に届き、子狼達が戻ってきた。彼らは各々野うさぎや鳥などを手に持ち、口々に獲物の大きさを競いあっている。

 焚き火の為に、皆で枯れ枝を拾う段階になってやっとレティリエも仲間に加われる。年上の狼達に混じって、レティリエも一生懸命に枝や枯れ葉を拾った。年長の子狼が枯れ枝に火をつけ、捌いた獣肉を木の枝に通してあぶり始めた。

 レティリエは黙ってその様子を眺めていた。だが、香ばしい匂いにつられたのかお腹がきゅうと鳴った。


「あ、ごめんね、気が付かなくて。はい、食べていいよ」


 年上の女の子が、小さく切った肉をレティリエに渡してくれた。お礼を言って受け取り、パクッと肉にかじりつく。


「ねぇ、お前ってなんで狼になれないの?」


 頭から降ってきた言葉に驚いて、レティリエは顔をあげた。目の前の男の子がじっと自分を見ている。


「なんで、なのかな。……わかんない……」


「ふーん、変なの」


 ポツリと漏れた彼の素の言葉が刺のようにチクンと心をつつく。レティリエは黙ったまま視線を落としてモグモグと口を動かした。


(変……そっか、私は変なんだ……)


 悪意があるわけでもない、馬鹿にされたわけでもない。それでも、なんだか自分が恥ずかしい存在になったみたいでレティリエは胸が詰まるのを感じた。


「あのさ、お前、お父さんとお母さんがいなくなったってほんと?」


 別の男の子が問う。レティリエに話題がふられた為か、他の子達の意識が一斉に自分に向けられるのを感じた。


「死んだわけじゃないって聞いたよ」


「村から出ていったってキールのおじさんが言ってた」


「なんでいなくなったの?」


 子供特有の遠慮の無い質問をぶつけられてレティリエは戸惑った。


「えっわっわかんない……」


 レティリエは本当に知らなかった。両親が死んだのではなく、村から出ていったと聞くのも寝耳に水だ。子供達はなんで? なんで? と口々に質問攻めにしてくるが、彼女が回答できないことを知ってやがて追求の手を緩めた。

 だが、子供達の言葉は彼女の心に暗い影を落とした。村に戻る途中も、レティリエは無言のままだった。





「ねえマザー」


 厨房で夕食の支度をしているマザーに声をかける。


「なんだい?」


「なんで私にはお父さんとお母さんがいないの?」


「どうしたんだいいきなり……両親と離れて寂しいのは皆も同じさ」


「でも私のお父さんとお母さんは皆と違って村から出ていったって聞いたわ」


 レティリエの言葉に、マザーの耳がピクッと動いた。調理の手をとめてレティリエの方を振り返る。


「……そんなこと、誰から聞いたんだい」


「テッド。テッドはキールのおじさんから聞いたって」


「…………」


 マザーは眉間にシワを寄せてきゅっと口を結んだ。彼女の両親のことはよく覚えている。生後一年経っても一向に狼になれない娘を恥じて、孤児院に連れてきた時にマザーは二人と話をしたからだ。

 狼の村に住む者として、彼らの不安や失望はわからないでもない。だが、子供を守るべき親としてそれは絶対にやってはいけないとマザーは説得した。

 だが、二人は首を振ると無理やり赤子をマザーの手に押し付けて、そのまま村を出ていった。おそらく二人は他の群れにいったのだろう──恥ずかしい子供を産んでしまった事実を知られていない所へ。

 いつかはレティリエも知ることだと思っていたが、マザーはもう少し大きくなってから話すつもりだった。

 黙ってしまったマザーを見て、レティリエは自分の思っていることが当たっていたことを知った。


「ねぇマザー。お父さんとお母さんが村を出ていったのは、私がおかしな子だったからだよね? ……私だけ、狼になれないから」


「レティリエ」


 マザーの声が飛ぶ。だが、その声は彼女の言葉を否定してくれるものではなかった。


「ねえマザー、私は変な子なの? 私は恥ずかしい子なの? 私は……いらない子なの?」


 話すうちに声に嗚咽が混ざり始める。みるみるうちに視界がぼやけ始め、しゃくりあげると共に、マザーが力強く抱きしめてくれた。


「レティリエ、あんたは良い子だよ。きっといつか、あんたの価値をわかってくれる子が現れるはずさ」


 励ましてくれるマザーの声は震えていた。だが、レティリエは素直にその言葉を受け取ることができなかった。両親にも愛されなかった子が、他の誰かに愛してもらえるなんてことがあるのだろうか。

 レティリエはマザーの胸に顔を埋めながらさめざめと泣いた。







※※※※


 その男の子と会ったのは、とある晴れた日のことだった。

 昼食の時につれてこられたその男の子は、自分と同じ年くらいの子だった。子供たちがワイワイと騒がしく話をする中、彼はうつむいて拳を握ったまま、一切食事に口をつけることはなかった。

 後から聞いた話によると、彼の両親は朝の狩りで崖から落ちて死んだということだった。


「あっち行けよ」

 

 何度もサンドイッチを持ってその男の子に話しかけに行くが、その度に冷たくあしらわれる。

 だがレティリエはめげなかった。

 だって、ひとりぼっちの寂しさは自分もよく知っているから。

 その男の子が、自分を傷つける言葉を吐き出す度にその瞳が泣きそうに揺れるのを知っていたから。


 だから、その子が両親を想って流す涙を、レティリエは羨望のまなざしで見つめていた。

 頬を伝い、地面にこぼれ落ちる涙のひとつひとつに、愛しい人への想いが溶け込んでいるのだ。きらきらと流れる涙を見つめながら、レティリエはぼんやりと思う。


 ああ、誰かを想って流す涙のなんと美しいことか。



 果たして自分は死ぬ瞬間に、誰かに涙を流してもらえる存在になりうるのだろうか。

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