第54話 エピローグ(☆)

 レティリエの朝は孤児院の厨房から始まる。


 いつものように厨房に立ち、彼が好きなヤマモモのサンドイッチを作る。手作りのジャムをライ麦のパンに一塗りし、砂糖を少し振りかければ完成だ。好きな人を想う時間は心がふわふわして少しだけくすぐったい。

 心地好い感情に身を委ねながら、レティリエは鏡の前に立って身なりを整えると、朝陽に煌めく森の中へ駆けていった。

 森の中を歩いていると、コツンコツンと石槌で木を叩く音がした。音のする方を覗いてみると、削った丸太に釘を打ち込んでいるテオの姿が見えた。


「おはようございます、テオさん」


 声をかけると、テオは石槌を持ったまま振り向いた。


「おお、レティリエか。おはよう。今からグレイルの所に行くのか?」

「ええ、そうなの。テオさんも朝から家造りですか?」

「ああ。この時期は所帯持ちが増えるからな。俺達みたいな家造り担当は大忙しさ。まぁ、俺もそのうちの一人なんだがな」


 テオが照れながら頬をかく。あまり狩りが得意でないテオも、冬の祭りで無事に伴侶を見つけていた。テオの嬉しそうな顔を見て、レティリエも温かい気持ちになる。


「テオさん、素敵なお家を造ってくださってありがとうございました。今度お礼をさせてください」


 ペコリと頭をさげると、テオはにこやかに手を振った。


「おお! そんなの気にすんなよ! でもあんなに村から遠いところに建てちまって通うのが大変じゃないか? 新しく造り直してやってもいいぞ?」

「いえ、普段は二人とも孤児院で生活していて、あちらの家はドワーフの集落へ交渉に行くときに使っているんです。静かでとても住み心地が良いですよ」


 ドワーフという言葉を聞き、テオは思い出したように手を打った。


「おお、ドワーフと言えば! このドワーフ製の石槌が本当に使いやすいんだよ!! 他の仲間達も使いたいって言っているし、なんなら他の道具も全部ドワーフ製のにしてしまおうと思ってるんだが、交渉してもらえるかい?」

「ええ、もちろんです。今日も集落に行くので伝えておきますね」


 レティリエが微笑みながら返すと、テオは「ありがとな、助かるよ」と嬉しそうに笑った。

 レティリエは長からドワーフの親善役に抜擢されていた。今回、ドワーフが二人の命を助けてくれたことや、エルフの薬がレティリエの命を救ったことから、村長が異種族と交流を持つことを決めたのだ。

 狩った獲物や、狼の村で作られる衣服や嗜好品を贈る代わりに、ドワーフ製の金物や工具などを分けてもらうのだ。異種族と関わりを持つ狼の群れはおそらくここが初めてだろう。

 村長と仲間の狼を引き連れてドワーフの集落に行き、村を代表してドワーフの長老やマルタと話すレティリエを、グレイルが誇らしげに眺めていてくれたことを思い出す。 周囲から必要とされるということは、なんと喜ばしく、嬉しいことだろうか。


「レティのおかげでドワーフ製の道具が手に入ってるんだ。俺にとっちゃそれが十分お礼だよ。そいじゃ頼むな!」


 そう言ってまた作業に戻るテオに挨拶をし、レティリエは森の奥に向かって歩きだす。


 小高い丘があるいつもの場所に来て、レティリエは歩みをとめた。目の前には、今しがた仕留めたであろう野ウサギを咥えた黒い狼が立っている。


「おはよう、グレイル」


 声をかけると、グレイルが振り向いた。野ウサギを地面におろし、人の姿に戻るとレティリエの側に寄ってくる。レティリエも笑顔で駆け寄った。


「おはよう、レティリエ」


 大好きな黒い狼は、顔をほころばせて笑った。


 二人で揃って腰をおろし、サンドイッチを頬張る。


「うん、うまい」

「本当? 良かったぁ」


 嬉しそうに返すと、グレイルが微笑んだ。そのいとおしむような優しい眼差しにレティリエの胸がドキリと高鳴る。彼の温もりを感じたい、そう思った。


(……もっと近づいてもいいかしら……)


 グレイルの顔を直視しないよう視線をおとしながら、少しだけ距離を詰めてみる。彼との距離が縮まるにつれて、心音が大きくなっていくのを感じた。これ以上近づいたらドキドキしすぎて耐えられない、そう思った瞬間、グレイルがレティリエの肩を抱いてぐっと引き寄せた。

 「きゃぁ!」と声をあげてグレイルを見ると、彼はいたずらっぽく笑いながらレティリエを見つめてきた。くすぐったそうにしている所を見ると、彼も照れているのかもしれない。そう思った瞬間、愛しさで胸がきゅうと締め付けられた。


(そんな顔ずるいわ……)


 今まで見たことがない彼の表情に、先程から翻弄されっぱなしだ。これから一緒に住むなんて……一体私はどうなってしまうのかしら?

 密着した体から熱を感じながら、レティリエはおずおずとサンドイッチに口をつける。きゅんと甘酸っぱいヤマモモの味が口に広がった。


「……俺、お前が作る飯が一番好きだ」


 ふいにグレイルがポツリと呟く。思いがけない賛辞にレティリエの心も温かくなる。


「本当? 嬉しいな……明日からは毎日作ってあげられるのね」


 幸せに満たされながらふふっと笑うと、グレイルが不思議そうな顔をする。


「何を言っているんだ? 今までの朝食も、マザーじゃなくてレティリエが作ってくれていたんだろ? 毎日嬉しかったよ」

「えっ……気づいてたの?」


 びっくりして見上げると、グレイルがニッと口の端を持ち上げた。


「とっくに知っていたよ。だってあの時と味が一緒だったから」


 酸っぱいヤマモモを食べやすいようにしてくれた優しさの隠し味。母の味だと泣いたその日から、レティリエは必ず砂糖を混ぜてくれている。グレイルにとっては、それはもう彼女の味になっていた。

 グレイルの言葉を聞き、レティリエの顔がぼっと熱くなる。


「やだ……どうしよう。私、恥ずかしいわ……」


 真っ赤になってうつむくレティリエを、グレイルが笑いながら抱き締めた。

 嬉しい、恥ずかしい、くすぐったい、色んな感情がごちゃまぜになって体を熱くする。だが、全て幸せに基づく感情だ。

 心に温もりを感じながら、レティリエは自分を抱き締めるグレイルの腕をぎゅっと握り返した。


 朝の狩りが終わると、レティリエとグレイルは村長の元へ向かった。夫婦になるのは簡単だ。村長の前で愛を誓い合い、認められれば良い。

 村長の家が視界に入った途端、扉が開いてレベッカとローウェンが出てくるのが見えた。何を言っているかはわからないが、顔を赤らめながらぎゃぎゃあとわめきたてるレベッカを、ローウェンが笑いながら交わしている。

 村長の家に向かうレティリエ達の姿を見て、ローウェンは笑って片手をあげた。そして二人は森の奥へ消えていった。


「レティリエ!」


 自身の名をを呼ぶ声に振り向くと、ナタリアが飛び込んできた。後ろにはクルスもいる。


「レティ、グレイルと一緒になるのね? 本当に良かった……おめでとう」

「ありがとう、ナタリア。あなたもね」


 涙ながらに二人で抱き合う。村を出る時もこうやって自分の感情を慮ってくれたことを思い出し、ナタリアを抱く腕に力がこもる。


「ナタリア、友達でいてくれてありがとう。ここを離れる時、引き留めてくれて嬉しかった……」

「ううん、レティの方こそ。私達、あなたのお陰で命が助かったのよ。それにね」


 ナタリアが顔をあげ、レティリエの目をしっかりと見つめる。


「私、あなたに勇気をもらったわ。クルスと夫婦になるのは周りからはよく思われないかもしれないけど、でも彼が私のことを好きになってくれたのも私の強さであることにかわりはないもの。いつかは私も自分の力で周りを認めさせるわ!」


 ナタリアが力強く言う。金色の瞳が光を反射してキラキラと輝いていた。


「うん、あなたならできるわ」


 そう言うと、ナタリアは嬉しそうに笑った。

 村長の家に入り、愛を誓い合う。

 この瞬間から、二人は夫婦になった。




※※※


 レティリエはベッドに腰かけて、満月を眺めていた。白銀の光が、薄暗い部屋を仄かに照らしている。窓から入ってくる心地好い冬の空気を感じていると、ギシッとベッドがきしむ音がした。


「月を見てるのか?」

「そうよ。今とっても幸せですってお月様に報告していたの」


 幼い頃から、心が痛む度に月を見て自分を慰めていた。今まで情けない姿ばかり見せていたが、やっと胸をはって顔を見せることができるのだ。

 グレイルが目を細め、レティリエに近づくと後ろからぎゅっと抱き締めてくれた。大好きな人の匂いと体温に包まれて、レティリエの胸が鼓動を打ち始める。


「そんなに固くならなくてもいいだろ? 俺達もう夫婦なんだから」

「だっ……だって、ずっと好きだったんだもの……近くにいるだけでいっぱいいっぱいだわ……」


 やっとのことで声を絞り出すと、グレイルが抱き締める腕に力をこめた。そのままレティリエの体をこちら側に向けると、静かに唇を重ねた。

 甘く激しい感情が雷のように体を貫く。思わず出た吐息と共に、グレイルの口づけが深くなっていくのを感じた。激しく、それでいて蕩けるように優しいキスだ。思わずグレイルの体にしがみつくと、そっと体が横倒しになるのを感じた。


「まっ……待って、私、このままだと身がもたないわ……」

「そうか? 俺はもっとお前に触れていたいよ」


 耳元で囁かれて、レティリエの胸がきゅうとしめつけられる。自分を見つめる力強い金色の瞳。この目に逆らえるはずもない。

 レティリエは返事の代わりに、グレイルの首にしがみついた。



 グレイルが唇を落とす度に、体中に甘い甘い花が咲く。

 熱を持った素肌が冬の風に当てられて気持ちいい。

 悦びに満たされた体から甘い吐息が漏れる度に、彼を恋しいと思う気持ちが泉のようにあふれでた。

 濡れた目で見上げると、グレイルが目をつむって大きく息を吐いている姿が映った。彼も全身で自分を感じてくれているのだ。その表情に、より一層彼を愛しく思う。


「好き、好き……大好き」


 涙混じりに叫ぶと、グレイルが優しく微笑みながら額にキスを落とした。


「俺もだよ、レティリエ」


 この日、彼女は愛し愛される悦びを知った。









※※※



「おや、そのペンダント、ヤマモモが描いてあるのかい?」


 孤児院の厨房で朝食の仕度をしていると、マザーが声をかけてきた。振り向いた瞬間に胸元のペンダントが揺れ、桃色の石が朝陽を反射する。


「ええそうよ。グレイルがくれたの」


 にっこりと笑って背後にいるグレイルをちらりと見ると、彼は恥ずかしそうにそっぽを向いた。マザーがにやりと笑ってグレイルを小突くと、彼は照れながらも口を開いた。


「その、なんだ、レティには親しんだ野山の植物が似合うと思って……下書きはドワーフの職人に描いてもらったんだが」


 華やかな彼女にはバラやユリも似合うと思ったが、控えめでいて芯のある彼女にはやはり身近な植物の方が合うと思ったのだ。

 グレイルの言葉を聞き、マザーは驚いたように瞬きした。


「おや、お前さん、ヤマモモの意味を知らないで渡したのかい? そうさね、あんた達にはぴったりの言葉だよ」


 その後に続く言葉を聞いて、レティリエとグレイルは揃って赤面した。



「ヤマモモの意味は……『一途にただ一人を愛する』だよ」









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