第35話 マダムという女

 レティリエの毎日は連日のパーティーで構成されていた。

 マダムは商売人だ。各地から珍しいものや高級品を買い付け、お客相手に売りさばいている。客層は専ら上流階級の人達である為、マダムは定期的に自宅でパーティーを催し、客人達をもてなしていた。

 このパーティーは顧客との結びつきを強固にすると共に、自らの羽振りの良さを見せつけ、商売が順調であることをアピールする場でもあった。レティリエを三億という破格の値段で買ったのも噂に箔をつける為だ。マダムの思惑通り、大枚をはたいて買ったという美しいペットを一目見たくて、連日パーティーには人が押し寄せてくる。

 レティリエは毎日のように豪奢なドレスを着せられ、大勢の人に撫でられて、目が回る思いだった。


「レティリエ、あなたをそろそろ夜の社交界にも出してみようと思うのよ」


 ある初冬の日のことだ。マダムがレティリエを自分の膝に侍らせ、銀色の髪をいじりながら楽しそうに言った。正直に言うと、昼のパーティーだけでもかなり負担だったのだが、レティリエは黙ってコクリと頷いた。どのみち自分に拒否権は無いのだから、素直に従っておく方が良い。

 マダムはレティリエの反応に満足したのか、笑顔で頷くと手を叩いてメイドを呼んだ。


「今日の夜会に出すわ。仕度を」


 メイドはかしこまりました、と返事をすると部屋を出ていった。


「レティリエ、今から湯浴みをしていらっしゃい。準備ができたらメイドが呼びに来るから、その通りにするのよ」

「はい、奥様」


 返事をしながらも、レティリエは内心で首を傾げた。パーティーの前に髪を洗われることは何度かあったが、湯浴みをするように言われたのは初めてだ。夜の夜会は昼間のパーティーと違うのかしら……などと思っているとメイドがやってきて準備が整ったことを告げた。

 メイドに着いて風呂場へ行く。猫足のバスタブには、香りの良い琥珀色のお湯が並々と入っていた。


「どうぞお入りください」

「あっはい……」


 メイドに言われるままに湯船に体を浸けると、メイドがレティリエの腕を取り、指先から丁寧に洗い始めた。


「あの、自分で洗えますので……」

「奥様からのお言いつけです」


 恐縮しながら言うと、メイドが無機質な声で返した。その響きになんとなく逆らえないものを感じ、レティリエは黙って身を任せる。

 体を洗い終えると、今度は香油を全身に塗ってもらった。甘くて華やかな香りがするが、鼻が良い狼にとってこのような人工的な匂いはかなりキツい。

 レティリエは香りから意識をそらそうと、黙って香油を塗るメイドに視線を移した。鼻周りのそばかすが可愛らしい女性だ。まだ若く、年齢は自分と同じくらいに見えた。


「……体、とっても気持ちいいです。ありがとうございます」


 恐る恐る声を出す。いい加減この無言の空間に耐えきれなくなってきたのもあるが、普段はマダムやパーティーの客人達とばかり話していた為、同じ年くらいの女の子と会話がしたかったのだ。

 メイドはレティリエの顔を見ることもせず、「奥様のお言いつけですので」と、相変わらずの無機質な声色で答えた。だが、レティリエもめげなかった。


「あの……私、故郷から離れてとても寂しいんです。良かったら、お友達になってもらえませんか?」


 意を決して申し出たが、メイドは返答せず、気まずい空気のまま湯浴みは終わった。



 湯浴みを終えて部屋に戻ると、マダムとその他にも大勢のメイドがドレスを携えて待っていた。いつも通りの光景に、内心ため息をつきながらメイドの前に立つ。

 真っ赤なサテン地のドレスを着せられ……そのデザインにレティリエは驚愕した。今着せられているのは、いつものふんわりとしたボリュームのあるドレスとは違い、体のラインが出るようなぴったりとしたドレスだ。おまけに襟ぐりが深く、胸元がざっくりあいている。裾は床につく程長めだが、左側だけ太ももの辺りからスリットが入っており、左足がほとんど出ている状態だった。

 驚きに目をみはるレティリエとは裏腹に、マダムは上機嫌だった。


「まぁ! やっぱりこういうのも似合うわね! 細いけど、胸は豊かだからより一層派手に見えるわ。今日の装いはこれにしましょう」

「あの、奥様……私、このドレスで人前に出るのはとても恥ずかしいです。できれば他のものにして頂けませんか?」


 意を決してお願いしたが、マダムは軽く笑って一蹴した。


「何を言ってるの。こんなに素敵な姿を見せないなんて勿体なすぎるわ。今夜の装いを見たら、皆あなたの虜になってしまうわね」

「ですが……」

「私も昔はこんなドレスを着たものよ。素敵な殿方が皆私にかしずいてくれたわ。素敵だね、綺麗だねってたくさん愛を囁いてくれたの……フフッ」


 マダムはうっとりとレティリエを眺める。

 どうやら彼女は、かつての美しい自分とレティリエを重ねて見ているらしかった。今日に限って湯浴みをさせられたのは、肌を存分に露出させる為だったのだ。


「あなたは本当に顔も体も美しいわ。狼の村にいた頃はさぞ殿方からお声がかかっていたのでしょうね」


 マダムが嬉しそうに言うが、レティリエは苦笑いをしながら首を振った。狼は本能で生きる生き物だ。勿論、ある程度の容姿の好みや相手の外見を見て美しいと思う概念はあるのだが、それはさほど重要なことではない。ましてや、容姿の美しさだけで誰かを好きになることは絶対にない。狼は、その身に宿る強さや魂の在り方に惚れるのだ。


「いいえ、私と一緒になってくれる殿方は一人もおりませんでした」


 答えながら、かつて一緒になりたいと思っていた彼に想いを馳せる。彼は今どうしているだろうか……もう叶わぬ想いに少しだけ胸が傷んだ。


「あら、そうなの。でもそれはあなたの魅力を出しきれていなかっただけだわ。もし今後昔の仲間に会うことがあったら、今の素敵なあなたを見せて見返してやりましょうね」


 マダムの言葉に、レティリエはぎこちなく微笑んだ。

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