第24話 グレイルの決意

 空が赤く染まり、日が傾き始めた。今日の作業は一先ずお仕舞いだ。

 グレイルは酷使した体を労るように節々を伸ばした。本当は今夜にでもレティリエと帰る算段をつけるはずだったが、グレイルはまだ決めかねていた。もう数日滞在期間を延ばしたとしても支障は無い。もう少し体を休めつつ考えようかと思ったその時だった。

 グレイルの鼻に覚えのある匂いが届いた。反射的に獣耳がピンと立ち、身体中の毛が逆立つ。自分の体から血の気が引くのを感じた。


 人間の匂いだ。


 匂いを根元を理解した瞬間、身体中に冷や汗が流れる。

 人狼達のことを家畜同然に認識しており、道具や薬など得体のしれない物を使って自分達を蹂躙する存在。

 思ったよりも人間に対して恐怖感を抱いてしまっていることを自覚し、グレイルは自身の情けなさに歯噛みした。人間達がすぐ側まで来ているのであれば、一刻も早くここを出なければ。グレイルは踵を返すと地下集落へ戻っていった。


「あっお帰りなさい」


 部屋に戻ると、先に帰っていたレティリエが寝台の上に腰掛けて繕い物をしていた。グレイルの姿を見るとパッと笑顔になったが、彼の真剣な表情を見て不思議そうに小首を傾げた。グレイルは無言でレティリエの横に腰掛ける。


「どうしたの? 何かあったの?」

「レティリエ、人間の気配がする。そろそろ潮時だ」


 グレイルの言葉を聞き、レティリエが一瞬ハッとした顔をする。しかし、すぐに真剣な顔つきになり、裁縫道具を片付け始めた。


「そういうことならすぐに出発の準備をするわ。明日の朝にはここを発ちましょう」

「いや、待て。どのみち人間の動向がわからないんだ。そんなに急がなくてもいい。お前がもう少し居たいなら、あと数日は様子を見ていてもいいと思ってる」

「どうして? だって、人間達がもっと増えたら動きにくくなるわ」

「ああ、まぁそうだが……」


 レティリエの言葉にグレイルが口をつぐむ。何か言いにくそうにしている時は、決まって自分のことを想ってくれているのだ。

 レティリエはじっと彼の言葉を待った。グレイルは、大きく息を吐くと、レティリエの目を見つめた。


「お前は多分、俺を早く村に帰してやりたいと思ってるだろ。俺と、村の皆の為に。でも……お前はどうなんだ?」


 グレイルの言葉にレティリエは目をしばたかせた。グレイルの言おうとしていることがわかった。彼は自分が本当に帰りたいかどうかを心配してくれているのだ。

 レティリエの胸がじんわりと温かくなる。確かにドワーフの集落に来てからの自分はいつもより素直になれた気がする。狼の村にいた頃とは違って、皆が当たり前の様に自分を必要してくれるのが嬉しかった。

 それでも……自分の答えは決まっている。


「ありがとう、グレイル。でもね、私も帰りたいと思ってるわ。心からね」


 そう言ってグレイルの金色の瞳を見上げる。男らしい精悍な顔つきの中に佇む優しい眼差し。この目はいつだってレティリエの味方になってくれるのだ。レティリエは意を決したように、寝台の敷布をキュッと掴んだ。


「……私、大きくなってから、自分がお父さんとお母さんに捨てられたことを知ってとっても辛かった。今だって、お前はいらない存在だって思われるのがすごく怖いの」


 レティリエはポツポツと話し始めた。自分のことを人に話すのは初めてだ。自分の想いを吐き出すのは、辛くて苦しい。それでも、彼には全部聞いてもらいたかった。


「昔、私がまだ小さい頃に森で迷子になったことがあったのを覚えてる? 私、その時とっても怖かったんだけど、帰れないかもしれないことよりも、このまま誰も探しに来てくれないんじゃないかってことの方が怖かったの。もしかしたら、このままいなくなった方がいいねって言われてたらどうしようって……でも、マザーが見つけてくれて、泣きながら抱き締めてくれたの。本当の親子じゃやないのに、こんなに泣くまで心配してくれていたんだって思って、私すごく嬉しかった」


 レティリエの唇がふるっと震えた。


「皆からは役に立たない狼だって思われてるかもしれないけど、マザーや孤児院の子供達みたいに、私のことを大切に思ってくれている人もいるわ。だからね、皆がここにいてもいいよって言ってくれるなら私は帰りたい。帰ってもう一度皆に会いたい……だって生まれ育った場所だもの」


 突如、グレイルの大きな手がレティリエの右手に被さり、そのままギュッと握りしめた。彼女の小さな手がグレイルの体温に包み込まれ、レティリエが驚いて赤面する。

 グレイルを見ると、彼は力強い眼差しで真っ直ぐにレティリエを見ていた。


「……お前は、俺が絶対に村に帰してやる。男のプライドにかけて」


 レティリエの瞳が微かに揺れた。彼女の手を握りしめるグレイルの手に力がこもる。

 

 

 レティリエの話を聞いて、グレイルの中には込み上げるものがあった。

 幼い頃から向けられてきた冷たい視線。それに彼女はずっと一人で耐えてきたのだ。今まで彼女の孤独を理解してやれなかった自分の不甲斐なさにやりきれない気持ちになる。誰にも助けを求められない孤独と恐怖は、想像ができない程辛くて苦しいことだろう。

それでも、レティリエは懸命に生きようとしていた。強い精神力と不屈の意志を持つ彼女は、まごうことなき立派な狼の一人だ。


 レティリエの存在が、村の皆に許されなければならないことだと?

 そのような認識が間違っていることは、自分が村に帰ってから証明して見せる。


 グレイルの決意に満ちた顔を、レティリエはじっと見つめていた。胸がつんと痛くなり、目頭が熱くなる。言葉は無くとも、レティリエには彼が考えていることがわかった。 

 いつでも自分の味方になってくれる優しい幼馴染み。他の皆とは違って、いつでも優しく、自分の気持ちに寄り添ってくれるグレイルの存在に今まで自分はどれほど助けられたことか。


(ありがとう……あなたがいてくれるから、私はいつも頑張れるのよ)


 レティリエは右手を彼の手の中でそっと返し、そのままグレイルの手を握り返した。自分とグレイルの体温が、触れあう手のひらの中でひとつになる。


「一緒に帰りましょう……私達の故郷へ」

「ああ、そうだな」


 二人はもう一度かたくお互いの手を握りあった。






 早朝、二人は身支度を整えると早速長老に話をしに行った。人間達が付近をうろついている今、本来は昨晩にでも出発をするべきだったが、やはり世話になったドワーフ達に挨拶をするべきだと思ったのだ。

 長老はレティリエ達の話を聞くと、早速皆を呼び集めてくれた。


「ほっほっ。お前さん達がいなくなると寂しくなるのぉ」

「はい、皆様には本当にお世話になりました。このご恩はいつか必ず返させてください」

「いいんじゃよ、お嬢さん。ワシにとっては、かの恩人に再開できただけで満足じゃ」


 そう言うと、長老はにこやかに微笑んだ。


「ほれ、最後の診察だ。こっちに来い」


 一方で、グレイルは医者に呼ばれて傷の具合を見てもらっていた。


「よしよし、無事に完治したようだな。まぁ傷跡は残るだろうが、彼女を守った勲章だと思えばいい。もう無茶はするなよ」

「はい、その節はお世話になりました」

「ほれ、餞別だ。狼達はエルフと交流していないんだろう? またお前が無茶をする時の為に、万能薬を渡しておいてやる」


 そう言うと、医者はグレイルに首飾りを渡した。細長い筒状の石細工が紐に通されている。


「この中に薬が入っている。狼の姿でも使えるようにこの薬筒に入れておいた。中身はエルフの薬だが、入れ物はドワーフ製だから頑丈だぞ」

「こんな貴重なものを頂いていいのですか?」

「ああ。わしらはまたエルフから貰えばいいからな。まぁ、万能薬と言っても本当に深刻な病気や怪我に効くわけではないがな。せいぜい症状を緩和させる程度だ。気休めみたいなもんだがお守り代わりに持っていけ」

「ご厚情に感謝いたします」


 グレイルは深々と頭をさげた。


 ドワーフの集団の中からマルタが進み出てきて、レティリエを力強く抱き締めた。


「いつかは行っちまうもんだってわかってたけど……やっぱり寂しいねえ。二人とも元気でやるんだよ」


 マルタは泣いているようだった。レティリエの目尻にも熱いものが込み上げる。マルタの体を抱き締め返し、その肩に顔を埋めた。


「マルタさん、色々とありがとうございました。また遊びに来ますね」


 優しく言うと、マルタは笑ってレティリエの頭を撫でてくれた。側ではグレイルもギークやラウル達と固く握手をしていた。

 一通り別れの挨拶を終えると、レティリエは狼姿のグレイルに跨がった。


「皆さん、本当にありがとうございました。お元気で!」


 二人でもう一度頭を下げると、グレイルは力強く地面を駆った。ドワーフ達の別れの言葉を後にして、二人は森の中へ消えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る