第9話 決意

 レティリエは男に連れられて山小屋の外へと出た。山小屋の中が薄暗かった為に時間の感覚が薄れていたが、外はまだ日が高く、周囲の様子がよく見えた。

 外には背の高い木々が広がっており、木に隠れるようにして山小屋が立っていた。男はレティリエの腰に繋いでいる荒縄をしっかりと手に持つと、山小屋の裏手に流れている小川を指差した。


「ここで水浴びをしろ」


 有無を言わせない傲慢な言い方にレティリエは眉を潜めた。耳の形や尻尾の有無は違えど、ほとんど自分達と同じ姿をしている種族の雌に向かって裸になれとは、なんという不埒な男だろう。日の高い昼間に水浴びをさせることも、恐らくは意図してやっている。


「……嫌です」


 歯噛みをしながら男を睨み付ける。男は雌狼の威嚇なぞ怖くもなんともないとでも言いたげに、ふんと鼻で笑って一蹴した。


「体を美しいままにしておく為に毎日水浴びをさせろという指示だ。言うことを聞け。さもなくば、力付くでやらせるぞ」


 レティリエは返事をしなかった。なるべく男から距離をとりながら水の中に入り、男に背を向けたままうなじの結び目をほどく。布が肩から滑り落ち、細く白い両肩が白日の元に曝された。

 後ろを振り向かなくとも、男が下卑た目で自分を見ているのがわかった。腰まである長い髪と尻尾で覆い隠すようにしながらなんとか体を洗い終える。こんなに悔しくて惨めな気持ちは初めてだった。

 体を隠しながら衣服に手を伸ばし、絶対に後ろを振り向かないよう細心の注意を払いながら服に手を通した。だが、体を抱えるようにして着ようとすると、なかなかうまく進まない。


「何をノロノロやってるんだ。俺が手伝ってやる」


 いつの間にか男が背後に来ており、ニヤニヤと笑いながらレティリエの肩に手を置いた。


「いやっやめて!」


 ゾワゾワとした不快感と恐怖が身体中を駆け抜け、レティリエは反射的に身を翻した。はずみで男の爪が肩を掠め、チリッと痛みが走った。途端に男の顔が青ざめる。


「しまった! き、傷が……!」


 見ると肩に一筋赤い線が走っていた。かすり傷にもならない程の小さな傷だが、男は本気で慌てている。よほど商品価値が損なわれることが怖いのだろう。


「チッ、それなら早く服を着ろ。俺は気が短いんだ」


 あわよくば体を触ってやろうという思惑が外れ、男は苛立ったように吐き捨てる。男の身勝手な態度に憤りを覚え、レティリエはグッと拳を固く握りしめた。けれども今重要なことはプライドではなく、少しでも多くの情報を集めることだ。

 レティリエはツンと澄ました顔で着替え終わったことを報告すると、男と共に山小屋へ戻って行った。



 山小屋へ入ると、また檻へと向かわされた。

 レティリエの姿が目に入った瞬間、グレイルが弾けたように立ち上がった。弾みで首の鎖がガシャガシャと耳障りな音を立てる。男はレティリエを檻に繋ぎ直すと、隣の部屋へ消えていった。


「レティリエ……お前……」


 レティリエの憂いた顔が目に入ったのだろう。グレイルの顔が強張った。レティリエはふるふると首を振って彼の想像を否定した。


「大丈夫。水浴びをさせられただけよ。隠しながら済ませたから、そんなに見られてない……と思うわ」


 途端にグレイルの顔が怒りで歪んだ。グルルル…と喉を鳴らし、「あいつめ、殺してやる」と低く呟く。


「でも私に傷がつくことにすごく怯えていたわ。よっぽど値が落ちるのが怖いのね。多分、これからも無理やり酷いことをされたりはしないと思うの」

「程度は関係ない。不快な思いをしたならそれは同じことだ」


 グレイルが目に怒りを宿しながら唸った。いつも冷静な彼が、感情を昂らせるほどに憤っている。レティリエの胸に熱いものが込み上げた。

 種族の尊厳ではなく、レティリエ自身の感情を思いやってくれることに救われた気持ちになる。


「グレイル、ありがとう。怖かったのは事実よ。でも貴方がいてくれたから、もう大丈夫」


 確かに肩に手を触れられた時は、何をされるかわからない恐怖があった。だが、思ったよりも事態を冷静に受け止めることができているのは、グレイルの存在が大きい。

 自分の存在を大切に想ってくれる誰かがいることは、それだけで生きたいと願う理由になるのだ。

 レティリエはグレイルが捕らわれている檻の方へ身を寄せた。

 二つの檻の距離は二メートルに満たない程度だ。近くにいるようで、触れられない距離にもどかしさを覚える。叶うならば、今すぐグレイルの側に行きたかった。


「レティリエ、大丈夫か? 俺の前では気丈に振る舞わなくていい」


 レティリエの切ない眼差しに気付いたのか、ふいにグレイルが檻の外へと右手を伸ばした。無意識下の行動だったのか、ハッとした顔をして慌てて腕を引っ込める。

 彼が何を考えていたかはわからないが、檻の距離が近ければ、ともすると頬に触れていたかもしれない。彼も自分を恋しく思ってるのかと我ながら都合の良い想像をしてしまい、レティリエは自嘲気味に微笑んだ。





「おい、接触を許可した覚えはないぞ。いちゃつくんじゃねえ」


 苛立った声と共に男が現れた。小声で話していたつもりだったが、小屋が小さい為に二人が会話をしていることに気づかれてしまったようだ。

 話の内容を聞かれてはいないだろうかと、レティリエは思わずグレイルの方へと目をやった。その瞬間、男は苛々した様に近くの椅子を蹴倒した。


「だからいちゃつくなって言ってんだろ!! 離れろ!!」


 どうやら男は先程の一連のやり取りを見ており、そこに腹を立てているらしかった。

 檻の端と端で互いに見つめ合いながら会話をする雌雄の狼。恐らくはグレイルがレティリエに手を伸ばしたことも見ていたのだろう。確かに端から見れば人間達によって引き裂かれた哀れな番に見えなくもない。おまけに、支配下に置いていたと思っていた雌が、他の雄に好意を寄せている姿を見せつけられたとなれば当然面白くはないだろう。


「申し訳ありません。つい故郷を思い出してしまいまして。以後は気を付けます」


 グレイルが何かを言う前にしれっと謝り、その場を収める。

 素直に頭を下げるレティリエに、男は満足したようだった。それ以上は何も言わず、ふんと鼻を鳴らして大股に去っていった。

 話の内容は聞かれていなかったようだが、山小屋の中が狭い為、会話をしている「事実」は把握されてしまうようだ。

 本当はお互いに知恵を出しあって脱出の算段を考えるべきなのだが、この状況下において会話は危険だ。怪しまれ、警戒されてしまっては元も子もない。

 レティリエは檻の中から山小屋の中を観察した。部屋の中央には大きな机と数脚の椅子、そして部屋の最奥に鉄製の檻が備え付けられ、向かって左側に自分、反対側にグレイルが収監されている。

 小屋の出入り口はレティリエから見てななめ右方向、グレイルがいる側の壁のみにしかなく、あとは木製の窓が左右の壁に二つずつあるのみだ。

 檻の鍵さえ開けられれば小屋からの脱出はそれほど難しくないだろう。


 レティリエは左側の壁を見た。檻から二、三メートル程離れた壁に吊り下げられている鉄製の大きい鍵が、部屋の灯りに灯されて鈍く光っている。

 おそらく、人間達の都市から取締の役人が来た場合や、他の密漁者に狙われるなど、逃げる必要がある際に素早く脱出できるように、わざと檻の近くに鍵を置いておいてあるのだろう。


 レティリエは鈍い光を放つ鍵をじっと見つめた。

 ほんの一瞬だけでも自由に動ける時間を作るしかない。例えこの身を危険に晒してでも。レティリエはぐっと拳を握りしめ、瞳に決意を宿した。


「グレイル」


 男に気づかれないように小声で呼び掛ける。レティリエの声を聞き、グレイルはすぐに檻の端ににじり寄ってきた。


「レティリエ、どうしたんだ?」

「ここから出る算段を思い付いたわ。私がなんとかして檻の鍵を開けるから、グレイルは少しでも休んで怪我の回復に努めていて。その……何があっても驚かないでね」

「あ、ああ。わかった、問題ない」

「警戒されると動きにくくなるわ。だから会話はもうこれっきりにしておきましょう」


 グレイルは無言で頷き、驚きと共に幼馴染みの顔を見つめた。レティリエの眼差しは先程の恐怖に満ちた顔とはうってかわって強い光を灯している。

 彼女のこのような凛々しい表情は、グレイルも初めて見るものだった。


「レティリエ」


 彼女の名前が思わず口をついて出た。


「……頼むから、無茶をするなよ」

 

 レティリエは返事をする代わりに、黙ってそっと笑みを返した。

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