第8話 覚醒

 山小屋の中は簡素な作りだった。部屋の中央に小さな机と数脚の椅子が置かれ、捕獲に必要な網や短剣、弓矢などがあちこちに散らばっている。部屋の奥には頑丈そうな二つの檻が並んで備え付けられていた。どうやら人間達はここを拠点として活動をしているらしかった。

 二人の男は、グレイルとレティリエをそれぞれ別の檻へ入れ、首の鎖をしっかりと壁に繋いだ。同時に四肢の拘束も解かれる。グレイルの方の拘束を解くかはかなり迷っていた様子だったが、弱られてしまっては売り値が大幅に下がると結局は戒めを解いた。


「ところで、他のやつらはどうしてるんだ? 今日が期日だろ? まだ帰らないのか?」


 男が檻の鍵を掛けながらもう一人の仲間に問う。ガチャっという鈍い音がして、外界へ通ずる扉は完全に封鎖された。


「あいつらは人魚の捕獲に行っている。人魚が住む入り江は見つけたんだが、人魚共が意外とすばしこくてな。捕獲に苦労してるんだ。あと数日かかるかもしれねぇから俺がひとまず報告だけしに来た」


 問われた男が襟首をガシガシかきながら答えた。

 男達の話から推測すると、どうやら人間たちの目的は異種族の人身売買であり、その為にいくつかのチームに分かれてそれぞれ目当ての種族の捕獲に向かっているらしい。拠点を山小屋に定め、三、四日毎に戻って現状報告をすることをルールとしているようだ。


「俺はそろそろ戻って人魚の捕獲をする。人手が足りないからお前も来てくれないか?」

「そうだな。さっさと捕まえて早めにずらかろう」


 レティリエの耳がピクッと動いた。チャンスだ。どうやら人間達は二人とも出払うつもりらしい。人間達がいない間になんとか逃げなければ。

 レティリエは隣の檻に入れられているグレイルをそっと見た。拘束を解かれて自由になったとは言え、腹に巻かれた包帯はじんわりと赤黒く、辛そうであることには変わりない。早くここから逃げ出してきちんと手当てをしなければ……

 レティリエが脱出の算段を考え始めた時、突然男が壁に向かって大声で叫んだ。


「おいお前、起きろ! こっちに来い」


 キィィィィィィィ……と音がして壁だと思っていた部分から扉が開き、中から太った男が大あくびをしながら現れた。

 山小屋の中が薄暗い為に見落としていたが、どうやらもう一部屋あったようだ。おそらく寝室代わりに使っているのであろう。ドアが閉まる前にちらりと寝台と敷布が見えた。


「へえ。なんでございますか」

「俺達は人魚の捕獲に行く。三日後には戻るからその間この狼共を見張っておけ。都の方から取締りの役人が来たら別の場所へ隠せ。いいな?」

「狼ですか。へえ、わかりましてございます」


 狼、と聞いて太った男は興味無さそうに返事をしたが、檻の中にいるレティリエの姿を認めると目を見開いた。男の目に一瞬怪しい光が宿ったのを、グレイルは見逃さなかった。

 グレイルは怒りと共に低く唸った。雄狼から発せられる畳み掛けるような殺気に男達はたじろぐ。


「随分と気性の荒い狼でごぜえますね」

「ああ。だが二匹とも商品だ。間違っても傷つけるなよ。特に雌狼の方は高値で売れる可能性がある。お前も取り分が減るのが嫌ならば丁寧に扱え」

「へえ。わかりました」


 太った男はぺこりと頭を下げた。その他にもいくつか詳細な指示を出し、今度こそ二人の密漁者達は山小屋から出ていった。

 一人残った男は他の仲間が出ていくのを見届けると、大きな足音を立てながらレティリエのいる檻の前まで歩みよってきた。

 檻の前で屈み、不躾な目でじろじろと眺める。その視線に嫌なものを感じ、レティリエはうつむいた。


「はぁ、こりゃまた綺麗な狼を捕まえたもんだなぁ」


 顎を撫でながら感嘆する。男はレティリエをひとしきり眺めた後、鍵を取り出し、錠前に差し込んだ。カチリと冷たい音がして錠が開き、男が檻の中へと歩み寄る。

 そのままレティリエに近づき、鉄製の首輪を外すと同時に別の荒縄を腰に巻き付けた。


「おい、外に出るぞ」

「貴様、何をするつもりだ!!」


 異変を感じたグレイルが檻の柵に掴みかかった。弾みで鉄の柵が派手な音を立てる。

 立ち上がった雄狼の大柄さに男は一瞬怯んだ様子だったが、へっと笑うとグレイルの檻を足で蹴った。ガシャガシャと檻全体を揺さぶる派手な金属音に威嚇され、レティリエは恐怖でビクッと震えた。


「おめぇには関係ねぇよ犬っころ。そこで這いつくばってキャンキャン泣いてろ」

「彼女に手を出したら只じゃおかないぞ!!」

「あぁ? なんだおめぇは。こいつのツレか?」


 男はグレイルの言葉に刺激されたようだ。苛立った様にレティリエを繋いだ荒縄を引っ張り、グイと引き寄せる。


「立場がわかってねぇようだから教えてやる。お前ら犬ころは人間様の家畜と一緒だ。したがわねぇなら……」


 そう言うと、男はグレイルを横目で見ながらレティリエの首に指を当て、そのまま下に滑らせる。男の指は首を伝って胸の膨らみをなぞりながら鳩尾、臍まで滑り降り、臍下で挑発するようにトントンとつついた。


「身体に教え込ませてやる」

「貴様!! 殺してやる!!」


 グレイルが咆哮した。額に青筋が浮かび、金色の目は憤怒と憎悪で爛々と輝いている。怒りと共に強く握りしめた拳の血管が今にも弾けそうに浮き上がっていた。


「てめぇの女をどうにかされたくらいでガタガタ騒ぐんじゃねぇ」

 

 男はそう言うとニヤリと笑った。番の雌を奪い支配下におくことで、征服欲の快感に酔いしれているのだろう。

 だが、レティリエにはわかっていた。自分の女を傷つけられたなどという理由でグレイルは怒っているのではない。

 その種族の雌を蹂躙するということは、ひいては種族全体の誇りを傷つけることになる。その尊厳を踏みにじられていることに彼は激怒し、種の威光を取り戻そうと敵に立ち向かっているのだ。

 今、狼達の誇りは、気高き人狼から人間達の慰み物へと失墜しかけている。そしてその原因は間違いなく自分だった。

 レティリエは自分を恥じた。自分のことが大嫌いになりそうだった。一族の力になれないどころか、一族の誇りを傷つけてしまう足手まといな自分は何の存在価値も無いだろう。

 レティリエはそっと目を瞑った。このまま消えてしまいたかった。


「おい、外に出ろと言っているだろう。早く立て。立たないならこのまま引きずり倒して連れだすぞ」


 男は苛立った様子でレティリエを繋ぐ縄を強く引っ張った。はずみでよろめき、床に倒れこむ。身を起こすと同時に、グレイルの金色の瞳と視線があった。

 眉をひそめ、気遣わしげにこちらを見ている金色の目は驚く程優しかった。非難の色は無く、ただ純粋にレティリエの身を案じていることが伝わってくる。


 目が離せなかった。

 

 いつだって自分の価値を信じてくれている優しい幼馴染み。彼だけは一族のお荷物ではなく、普通の女の子として扱ってくれる。そしてそれがいつだって自分の心に勇気をもたらしてくれるのだ。レティリエの目に強い光が灯った。

 


 奪われた尊厳は、自分の手で取り返さなければ。



「おい、俺の手を煩わせるなよ、早く来い」


 男が苛立った様にレティリエの肩に手を起き、立ち上がらせようと腕に力をこめる。レティリエはその手を力強く振り払った。


「やめて。自分で立てるわ」


 レティリエはキッと男を睨み付けて立ち上がった。背筋を真っ直ぐに伸ばし、不屈の意を表す。現状、外に出られるのは自分だけだ。少しでも脱出の糸口を見つけなくては。

 レティリエは檻を出る際に振り返ってグレイルの方見た。

 心配しないで、目でそう訴えてレティリエは檻へ背を向けた。

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