賽の河原
朝霧
石の塔を崩す
「賽の河原の石積み、ってご存知ですか?」
手術台の上に拘束され、すでに片目を抉られた男の右の人差し指の爪の間に裁縫用の針をさしながら彼はそう言った。
片目を抉られた男は濁声のひどい絶叫を上げたが、彼は構わず言葉を続けた。
「別の国の宗教の、あの世に関するお話なんですけどね。その宗教ではあの世とこの世の間に流れる三途の川と呼ばれる川があって、賽の河原っていうのはその川の手前にある場所だそうです。そこには親よりも先に死んだ子供たちの霊魂が連れていかれて、鬼って呼ばれる化物に石の塔を積み上げられるように命じられるのです」
そう語りながら彼は男の左の手の爪を、全てペンチで手早く引き剥がした。
男は絶叫を上げながら口から白い泡を吹き始める。
それに全く頓着せず、男は静かに語り続ける。
「ですがその石の塔が完成することはありません。何故なら完成する直前に、鬼が石の塔を壊してしまうからです。そうして子供達は石を積んでは壊され、石を積んでは壊され、というのを永遠に繰り返すのです……それが、親よりも先に死んでしまった子供達へ与えられる罰なんだそうですよ?」
彼はそう言いながら、人差し指以外は綺麗な状態の右の指にハンマーを振りかざす。
計4回、肉が潰れる音が響いた。
男には最早悲鳴をあげる余力もないらしい。
そんな男の様子を見て、彼は深々と溜息を吐いた後、男に治療魔術をかけた。
忽ちに男の潰れた両手と、抉られた片目が綺麗に元通りになる。
「……もど、った……戻った戻った戻った!! 痛くねえ!! もう痛くねえぞ!!?」
男は痛みの消えた自身の身体に歓喜の声を上げるが、ダン、という強い音が響いた直後に再び悲鳴を上げる。
悲鳴を上げながら、男は今しがた大きな包丁で一息に断ち切られた自らの左足首を見る。
その直後に男の口の中に何か硬いものが押し込められ、黙らされる。
「つまり、これはそういう話です。といっても賽の河原の石積みとは逆で、コレはいくら崩しても完全に壊れる前に直されてしまう、っていうことですけど……あなたはこれから、死ぬこともできないまま延々と延々と、キリなくその身体をぐちゃぐちゃに崩されては直されるというのを繰り返すことになるのです」
そう言われた男は、油汗を滝のようにかきながら彼の顔を見る。
「ですけど、賽の河原の石積みと違う点が一点だけあるんです……お分かりですよね?」
彼は少しだけ苛ついた様子で男の顔を覗き込む。
「あなたが知っている"すべて"を話してください。それであなたはこの苦痛から解放されるのですよ」
そう囁かれた男は、大きく、そして激しく首を縦に振った。
最近になって拷問の仕方が雑になったな、と上司でもあり仕事の相方でもある男にそう言われた彼は「そうですかぁ?」と首を傾げた。
「ああ。ここ最近は特に。昔は丁寧に丁寧に肉を潰して、治療して、皮を剥がして、治療して……って感じにニコニコ笑いながら仕事してたのに……最近はなんつーか……若干イラついてないか? お前」
そう言われた彼は少しの間考えて、口を開いた。
「あー……確かにそうかもです。あまり話を長引かせたくないんですよねぇ。さっさと帰りたいので」
「帰りたい? お前が? 拷問大好き人間なお前が? なんで?」
嬉々として人を痛めつけ、裏の仕事がない時には子供のように駄々をこねる普段の彼からは考えられない言葉に、上司は目元をひくつかせながらそう聞いた。
「最近ですね、かわいいのを買ったんです。表の仕事の同僚が疲れとストレスによく効くって言ってたんで、お試しで。効かなかったら殺せばいいと思ってたですけど、覿面でした」
彼はよくぞ聞いてくれた、とでも言いたげな表情でそう言った。
その目は欲しくて仕方がなかったオモチャをようやく手に入れた子供のそれと同じようにキラキラと輝いている。
「は、はあ…………かわいいの、って、なんだ?」
上司は恐る恐る彼に問いかける。
彼の表の仕事は
殺せばいいということは十中八九生物だろう、おそらくは犬猫の類か……できれば魚類や虫類などの殺してもそれほど猟奇的にならない生物である事を上司は願った。
しかし、そんな上司の願いとは正反対に、考えうる中で最悪の答えが彼の口から告げられた。
「およめさんですよ」
「……………………なんだって?」
上司は目頭を押さえながら自分の頭のおかしい部下に問いかけた。
「ですから、およめさんですよ。すっごく可愛いんですよ、髪の毛ふわふわで、肉はあったかくて柔らかくてー……」
「いやまて待て待て……ちょっと待て…………『およめさん』ってのはなんの生物のことだ? そもそも生物なのか?」
頼むからよくできた人形だとでも答えてくれと痛む頭を押さえながら上司はおそるおそる彼に問いかける。
「え? 生物ですよ? かわいい雌の人間です」
なんでそんな当たり前のことを聞くのだろう、といったていで首を傾げた彼に、上司の頭痛はさらに悪化した。
「……その『およめさん』どこで手に入れた? 一応この国、人身売買は表向き禁止されてんだけど、どのツテで買ったんだよ……?」
「陸軍の友達が『女の子ならここがいいよ』って教えてくれたお店で。戸籍もなーんにもない、生きていても死んでいても誰も文句を言わないような子しか売ってないお店みたいなので、心配するようなことはないみたいですね」
彼の陸軍の友達というと、敵兵を殺しまくることで有名なあの狂人しかいない。
狂人ではあるが狡賢いあの女の紹介であるのなら、この馬鹿が余程のことをしでかさない限り問題は起こらないだろうと、上司はひとまず胸を撫で下ろした。
上司と別れた彼は、寄り道一つせずに自分の家に帰った。
その足は意気揚々と軽く、通りすがりに彼を目撃した人々は、余程いいことがあったのだろうなと微笑ましそうな顔で彼を見送った。
「ただいまかえりました〜」
家で待つ『およめさん』にそう告げながら玄関のドアを開けた彼が真っ先に目にしたのは、縄で手足を縛り付けて寝室のベッドの上に置いておいたはずの『およめさん』の姿だった。
その手足には未だに縄の跡がくっきりと残っている。
おそらく何とかして縄を自力で無理に解いて、この家から逃亡する10秒前、といったところだったのだろう。
『およめさん』は何も言わずにひくりと顔を強張ばらせ、彼の顔を見上げた。
彼は恐怖と絶望をその小さな顔に貼り付けた『およめさん』の顔を見て、獣の鳴き声のように小さく「あは」と笑った後に、手早く彼女を取り押さえた。
「よく何かのお話で、いきすぎた恋情を持つ奴が相手を逃さないように『逃げたら殺す、逆らったら殺す』っていうのがあるでしょう? 脅し文句としては最高なものかもしれないですけど、愛が薄っぺらいですよね」
『およめさん』を取り押さえた彼は横抱きにした彼女にそう言いながらこの家の寝室に向かう。
その先に何があるのか、この先何をされるのか嫌というほど理解していた『およめさん』は手足をばたつかせて暴れるが、その程度の抵抗は無意味だった。
「だって殺すってことはその人がいなくなってもいいってことでしょう? 後追いして自殺するとか血肉を食らって一つになるとか、剥製にして取っておくとかそういう『愛』もあるのかもしれませんけど……やっぱり血肉と魂が揃った『ぬくもり』が一番大事だと思うんですよね」
寝室の中央に立って、彼は数回床を足で蹴りつける。
するとどういう仕組みなのか床板の一部がずれて、地下に向かうための階段が姿を現した。
「だから、殺す、だなんて脅し文句は使わないです。……半殺しにしてあげます。『頼むから殺してくれ』って泣き叫んでも満足するまでやめてあげません。でも安心してくださいね? そのあとは全部綺麗に直すので」
階段を降りてたどり着いたのは、少し広めの暗い地下室だった。
『およめさん』を床に放って彼は地下室の明かりを灯す。
明るくなったことでよく見えるようになった、部屋に所狭しと並ぶ数々の拷問器具を目にした『およめさん』の顔が青白くなる。
「というわけで、おしおきのじかんです」
彼は今にも悲鳴をあげそうなその顔を愛おしそうな目で見て、並べられてある拷問器具の中から、今まで一度も使ったことがないそれを手に取った。
おしおきは三時間に及んだ。
肉を削られ、抉られ、引き裂かれ、潰されても、死の淵をさまようごとにぐちゃぐちゃに壊されたその身体を完璧に直される。
そんなおしおきを受け続けた『およめさん』の涙と声が完全に枯れた頃に、彼は血まみれの彼女の身体に治療魔術をかけながらこう言った。
「痛いです? もう限界ですか? 心折れちゃいました? 逆らう気も失せてます? あなたのその反抗的な目が好きだったですけど、その絶望に満ち溢れた顔も嫌いじゃないですよ……大丈夫です、その心が壊れてあなたがあなたでなくなったとしても骨の髄まで愛してあげますから」
そう囁いた後に、白く美しい肌を取り戻した、温かく柔らかい『およめさん』の身体を彼は子供がぬいぐるみを抱くように、愛おしげに抱きしめた。
賽の河原 朝霧 @asagiri
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