第51話 終戦(女神暦1567年5月1日/東の山脈)

 天地を穿ち、かつて『ゴブリン・キングダム』のギルドマスターであったゴブリンキングの成れの果てが瞬く間に消滅させてしまった若草色の光の柱。

 夕暮れに染まった大空を刺し貫く光条が天高くそびえ立った光景に上機嫌に哄笑を上げ、飲みさしの酒瓶を放り投げ手を鳴らして喜色を滲ませる濡羽色の髪の少女は、さも愉快といった面持ちであの光を生み出したアレンを指差した。


「おい見たか、アリステス! あの野郎、ゴブリンキングを殺りやがったぞ!」


「そう大声を出さなくても聞こえていますよ冥華ミンファさん。勿論、見ていましたとも」


「俺の一太刀に必死に喰らい付いてきた時から気にはなっちゃいたが、やっぱりアイツは掘り出し物だな。是非とも、うちのギルドの勧誘してえくらいだ」


「う~ん、彼は正義感とか強そうですから闇ギルドの軍門に降る事はないと思いますよ。あの戦闘能力の高さは評価出来ますが、敵に回すと少々面倒臭そうですね」


 アリステスは目深に被ったシルクハットのつばを人差し指で軽く上げ、種子の芽生えによって醜悪な魔物の姿に変貌したゴブリンキングを一撃で仕留めた少年を見据える。

 魔力を完全に絶った状態を保っているため、こちらの位置は把握される事はない。

 ピゾナの町で邂逅した我々がこうして観戦をしているとは露知らず、巨大な肉の柱を消し飛ばした少年はしばらく辺りを見渡し、周囲に敵影がない事を確認し終わると、駆け足で他の仲間達の元へ走り去っていく。

 あの強大な力を持った少年を『狂焔の夜会ラグナスティア』にスカウト出来れば、こちらの戦力も増すが、彼が首を縦に振るとは思えない。

 後顧の憂いとならぬよう早々に邪魔になりそうな芽は摘み取っておくに限る。

 今ならば転移の力を行使して彼の背後に移動し、不意打ちを加えて葬る事も可能だろう。

 しかし、それは断念せざるを得ないようだ。

 僕があの少年を始末しようかと一瞬だけ剣呑な視線を向けたのが失態だった。

 鯉口を切る一瞬すら目で追えぬ程の速度で抜き放たれた赤椿色の刃が、こちらの首筋にピタリと切っ先を向けており、僕が少しでも身じろぎすれば即座に首を落とすと言わんばかりに鋭い視線を突き刺してくる同僚の少女が酷薄とした笑みを浮かべる。


「アリステス、余計な手出しはするんじゃねえ。アレは俺の見つけた獲物だ。勝手につまみ食いするような下世話な真似はやめろ」


「……本当に随分とお気に召したようですね、あの少年の事を」


「ああ。今のままじゃ俺の相手にもならねえが、さっきの戦いを見学した時に確信した。奴はこれから更に腕に上げる。俺との力量差を埋めたアイツを斬り伏せた時、俺はより剣の高みを極める事が出来る。

 そうすりゃ、いつか俺もあの野郎への雪辱を晴らす事だって出来る筈だ」


 刀の切っ先を微塵も揺らす事はないものの、どこか心ここにあらずといった面持ちで述懐する彼女の姿に僕は軽く嘆息する。

 片手で荒々しく髪を掻くこの少女の強さへの執着は僕が『狂炎の夜会』に入った時からあったが、ギルドの脅威になりうる人材の始末よりも、自分が強くなるための糧として強者を生かしておく事を決めたのは今回が初めてだ。

 彼女は以前とある一件で、他の『十二冥神ラグナレク』の幹部と戦い敗北している。

 傲慢で己の力を過信しすぎるきらいのある彼女にとって、その一敗はかなりこたえたらしく、当時は手の付けようのない程荒れていたが、ここ最近は八つ当たりも兼ねて暴れまくっていた時期に比べると落ち着いてきたかと思っていた。

 しかし、どうやら過去の敗北を未だに引きずっていて、今回出会ったあの少年の強さを実際に目の当たりにし、己の強さへの飢餓感にも似た執着心が再熱したらしい。

 『狂焔の夜会』には彼女よりも強い人間もいるが、自分の職務を放り出してまでこの戦闘狂の少女との流血沙汰必至の手合わせに付き合ってくれるような物好きもほとんどいないため、フラストレーションが蓄積していたのだろう。

 本来であれば僕が彼女を諭して、アレンという少年をここで殺害しておいた方が良いと助言するべきなのだろうが、悲しい事にこの少女はギルドの安全や安泰等は知ったものかという思考回路をしているので、自分の欲望を押し殺して自重するような殊勝な行為はしない。

 【冥炎十二将クリュメノス】の12位と4位。

 互いの実力の差は一目瞭然。

 僕が力づくで彼女をどうこうすることが出来ない以上、ここから黙ってアレン少年を見送るしか選択肢は残されていない。

 あの少年の命がいつ収穫の時を迎えるのかは不明だが、いづれ必ず訪れるであろう死神の一刀に首を刎ねられるその日まで生を謳歌させるのもせめても情けになるだろう。


「……分かりました。彼には手を出しませんから、その物騒な刀を仕舞ってください」


「分かりゃいい」


 ニンマリと笑みを零して刀を下ろした相方の少女は、走り去っていく少年の背中を見詰めながら刀を収め、


「さて、そろそろギルドに帰るとするか。アリステス、送って行ってくれ」


「ギルドに帰還するのは構いませんが、もう観覧しなくていいですか?」


「気色悪い化物共に変化した『ゴブリン・キングダム』の残党共も、大将格を失った以上、遅かれ早かれ全滅させられるだろうよ。俺が上から命令されていた『ゴブリン・キングダム』の粛清と、お前の命じられていた新兵器の情報収集も完了した今、これ以上ここにいても別段面白れえ事も特にねえし、ギルドに戻っても誰からも文句を言われる筋合いもねえだろ?」


冥華ミンファさんは、任務よりも自分が楽しむために色々と自由に動き回っていた気もしますが、結果だけでいえば僕達が冥主様ギルドマスターに命じられた任務は達成しましたし、その提案には異論はありませんよ。僕の手に掴まってください」


 『狂焔の夜会』の幹部である【冥炎十二将】は、ギルドの繁栄と安泰を守護するためにそれぞれ特定の使命を冥主様から与えられている。

 【冥炎十二将】の中でも高位の実力者である序列4位の冥華さんは、裏切者や背信行為を働いたと断じられた者や傘下ギルドの粛清。末席であり世界各地を単独で自由に移動する事が出来る12位の僕は、『狂炎の夜会』にとって有益な情報の収集やギルドの構成員達を任務地へ迅速に送り届ける事が主だった。

 今回は上納金を払う事無く、『狂焔の夜会』の後ろ盾だけを欲しがった『ゴブリン・キングダム』の壊滅と、寄生した者を異形の怪物に強制的に変異させる新兵器の種子のデータ収集が与えられていた任務で、両方共に問題なく達成出来た。

 魔物化したゴブリン達はグレゴール伯爵擁する翼竜ワイバーン部隊と、アレンという謎の少年とその仲間の少女達に後始末させる事になり、以前からギルドに対しての反発心を募らせ遂に脱退したダガン将軍とその部下達は残されたが、その程度なら特に大きな問題にもならないだろう。

 ダガン将軍は『狂焔の夜会』の権威に縋りつき、甘い汁だけを啜ろうとしていたゴブリンキングや他の二人の将軍達と異なり、こちらとは距離を置いていたのでほとんど僕達に関する情報も持っていないので捨て置いても支障はない。

 こちらの差し出した手に、日々の過酷な鍛錬で鍛え続けている割にはほっそりとした手をした少女の掌が重ねられる。


「アリステス、あのアレンって奴の事も一応調べておけ。だが、一切アイツとその仲間に干渉する事はするな」


「はいはい、分かりましたよ。彼らに気取られない程度に色々と調査はしてみます」


 眼前の向こうでは、火炎を纏った獣人の少女の蹴りが炸裂し、シルバーグレーの髪色の少女騎士が漆黒の斬撃を放ち、真紅の髪の少女の拳と薄紫色の少女の細剣レイピアが唸りを上げる。

 そして、その中に若草色の髪をした少年が飛び込み、上空に展開した魔法陣から先程も発動させた木の葉の刃を現出させ、一斉に地上に向けて苛烈な絨毯爆撃を行っていた。

 『ゴブリン・キングダム』の終焉を目に焼き付けながら、傍らの少女の肩に手を載せ、


「今の貴方達では、僕達『狂焔の夜会』の脅威となるには弱すぎます。ですが、もしまた邂逅した時に僕達を脅かす程強くなっていれば、その時は全力でお相手しましょう」

 

 そう誰も聞く者もいない荒れ地に言い残し、濡羽色の髪の死神と白髪の道化師は唐突にその姿を消し、それが霧散した場所にはもう誰もいなくなっていた。








「アニスくん、珈琲が苦すぎるのだが、角砂糖かミルクはないのかね?」


「我慢してくださいお子様舌の伯爵様。砂糖もミルクも常備して置いた分は町民達への配給用に回してしまいましたので、城に戻るまでは豆の風味をストレートでお楽しみください」


「伯爵様の前に何か余計な一言が添えられているのが気になるが……むう、民衆への配給分に分配したのであれば致し方ないか。私は砂糖とミルクをたっぷりと淹れた珈琲が一番好きなのだが」


 ピゾナの町の集会所の応接室に置かれた賓客用の豪奢なソファに腰掛けながら、そうブツブツと未練がましく呟き、恐る恐るといった感じでチビチビ舐めるように珈琲を飲むグレゴール伯爵に謎の愛嬌を感じながら、俺とゼルダとエルザは、対面に隣り合って着席している伯爵とアニス、エリーゼと対談の席に着いていた。

 東の山脈に何の前触れもなく唐突に出現した醜悪な姿をした魔物の群れ。

 それらとの戦いに終止符が打たれたのが昨日だ。

 翼竜隊による魔女の避難活動も戦闘中に完全に完了してからは総軍での殲滅戦を行い、多くの負傷者とごく僅かな戦死者こそ出たが、視界の端から端を埋め尽くす程大量にいた魔物の群れを駆逐する事が出来た。

 来襲すると思われていた『ゴブリン・キングダム』の本隊の影は戦闘終了後も一向に姿を現す事もなく、屍冥華とアリステスも遂に参戦をしてくる事もなかった。

 前者の行方がどうなっているのかは調査が現在も続けられてはいるが、目ぼしい情報は見つかってはいない。

 後者についても同様で、完全に足取りが途絶えた状態だ。

 脅威が完全に去ったのか、そうではないのか。

 魔物の群れを討滅し、避難の完了した魔女達をピゾナの町に移送し終わり、外壁の外に張った天幕で寝起きしている現状は、そんなどっちつかずな不安と恐怖に支配されている。

 ダガン将軍や森羅教の首領を務めていた姫島綴という少女から色々と昨日のうちに話をしたので、ピゾナの町の『ゴブリン・キングダム』の襲撃事件にダガン将軍達が関与していない事は理解しているが、人間とは理屈と感情をきっちりと住み分けする事が難しい生き物だ。

 生き残ったピゾナの町民達の心の中には、家族や友人、恋人を殺し尽くしたゴブリン達への底の見えないほど深い憎悪が渦巻いていた。

 珈琲をチビリチビリと飲む伯爵に対し、俺は軽く挙手をして発言する。


「グレゴール伯爵、町民達の様子は今どんな具合ですか?」


「……あまり芳しいとは言えないのが現実だな。君達の助力で多くの民衆が生き残ったが、草の根を分けてでも復讐をしてやると怒髪天を衝く勢いで山狩りに向かおうとする男衆や、後追い自殺をした者まで出始める始末だ」


「ダガン将軍達は東の山脈の砦に今は匿われているんですよね?」


「ああ、あの砦は『ゴブリン・キングダム』の強襲を受けて落城して死体だらけの廃城になってしまっていたが、仮にも伯爵領の軍用施設だ。流石に民衆達も容易には手は出せんだろう」


「ダガン将軍達は、亡くなった砦の者達の埋葬も手伝ってくださっているんですよ」


 悩ましげに額に手を当てて俯く伯爵と、普段は腰にいている細剣をソファに立て掛けているエリーゼがそう言った。


「今は民衆の精神面もかなり不安定ですので、破壊された建築物の修繕と同時並行でメンタルケアも行っていこうと考えています」


「ダガン将軍とその部下達も『ゴブリン・キングダム』に所属していた事実は変えられんが、彼らの献身的な行為がなければ魔女達が悲惨な末路を迎えていた事は明白だ。出来る限り穏便な処遇となるようにするつもりだよ。また、森羅教の人々とルスキア法国の魔女達のこれからも考えなければならないのだが……そこでだ」


 言葉を区切り、ゴホンゴホンと咳払いをして居住まいを正した伯爵は俺達の目を真っすぐに見詰め、


「諸君達、『四葉の御旗フォルトゥーナ』に私から依頼がある。森羅教、ルスキア法国の魔女達、ゴブリン部隊の皆を救うためには君達の力が必要なのだ」

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