第49話 凍てつく死の剣(女神暦1567年5月1日/東の山脈)

 ゼルダは迫りくる無数の肉塊をひたりと見据え、悠然と剣を構える。

 見慣れたレモン色の金髪と異なり、シルバーグレーに染まった髪の毛先が風で頬をくすぐってむずがゆさを感じる。

 ルイーゼとの『魔装化ユニゾン・タクト』の際には宵闇のような黒髪に変化したが、融合する『隷属者チェイン』が変わるとこういった色合いの髪にもなるのかとひとりごちる。

 腰元まで伸ばしていた髪はブラックのリボンでポニーテールに結ばれており、こちらの方が確かに剣を振るう時は髪が邪魔にならなくて良いのかもしれない。

 

「アレンとエルザはそれぞれの戦場で戦っている。私も彼らの足手まといにならないよう気を引き締めないとな」


 互いに横っ腹を押し付け合い、時には仲間割れするように激しく体をぶつけ合って喧嘩のような行動を取る個体もいるが、押し寄せてくる魔物達に共通しているのは強力な飢餓感だ。

 鼻を突く腐臭を放つ唾液をボタボタと地面に垂れ流しながら進軍する魔物には目はなかったが、周囲から離れた位置でポツンと立つ格好の獲物である私を発見してからは、我先にとばかりにこちらに吸い寄せられるように押し寄せてきた。

 だが、アレンから護衛役として分けてもらった樹木の騎士団が颯爽と駆け出し、近づいて来た魔物に自分の得物を突き立て、斬りつけて物言わぬ骸を量産していた。

 そのおかげでこちらは安心して魔力の錬成に意識を集中させることが出来る。

 アレンとエルザは無事だろうか……?

 闇ギルドのギルドマスターを単独撃破出来るだけの力を普通に有しているアレンを心配するのは杞憂かもしれないが、エルザに関しては今回の戦闘が初陣の筈だ。

 アルトの村では人知れず自己鍛錬に励んでいる姿を陰ながら見守っていたので、技を仕掛ける際の体捌きや俊敏な動きに筆舌に尽くしがたい程の戦闘センスがある事は事前に知りえていた。しかしながら、それは才能の兆しのようなもので、圧倒的に実戦での経験が不足している今の彼女が実際に訓練時と同じもしくはそれ以上の動きが出来るのかというは全くの別問題だ。

 刻々と状況が移り変わる戦場では、卓越した戦闘能力があってもふとした油断が死を容易に招く事は、ペルテ国の動乱期の最前線をひた走っていた自分が最も理解している。

 実戦経験が皆無なあの少女が、この醜悪な魔物の軍勢相手にどう立ち回るのかが気懸かりだった。

 しかし、今はエルザを信じて、自分は自分の戦場に立ち続ける事が最優先だ。

 体内で錬成した魔力を愛剣である『樹宝アーク』、『氷海の戦乙女スカルディア・クレメンス』に注ぎ入れる。

 所有者に害を成そうとする者を一瞬で氷の彫像に変貌させる魔剣。

 まるで草木が凍える風や雪で枯れさせる極寒の気候を思わせるその剣は、セレスとの『魔装化』状態においても姿形は変化していないが、セレスの持つ闇属性の魔力も自由に使用可能になった今ならば普段は発動不可能な剣技も放つ事が出来る。

 ルイーゼと『魔装化』した時の『隷属者』との一体感を鋭敏に感じながら、霜が降りて肌を刺すような冷気を放出する剣を大上段に構える。

 すると、冷ややかな冷風を帯びた刀身に漆黒の影のような霧状の闇が渦巻き、生者を黄泉の国へと誘う凍てつく夜風を纏った死の剣が姿を現す。


「『凍える死霊の招死剣シューネヴァルツァー』」


 金切り声を上げながら、私の肉を貪り食ってやろうとヌラヌラと光沢を放つ触手を伸ばしながら這い寄って来た魔物達に向かい、私はガッシリと握り込んだ剣を素早く振り下ろす。

 身を切るような凍てつく氷の魔力と、生者の命を嗤いながら摘み取っていく死神のような強烈な死の呪詛を刻み込んだ闇の魔力を織り交ぜた刀身から放出された一閃は、三日月形の飛ぶ斬撃となって直線状にいた魔物を真正面からチーズを切るようにあっけなくスライスした。

 だが、死神の一振りはそこで終わらなかった。

 一体目を瞬きする暇もない程の速さで一刀両断した漆黒の斬撃は、間髪入れずに後方にいた二体目の分厚い脂肪を切り裂いて絶命させると、更にその後方にいた肉塊を真っ二つに裂く。

 直線状に存在していた魔物達は容赦なく切断され、その断面は黒く変色して腐敗し、黒々とした霜で覆われていた。

 そして、運良く斬撃の軌道から逸れていた場所にいた魔物達にも死の風は平等に贈り物を届けていく。

 飛翔する斬撃から周囲に向かって冷え冷えとした風が同心円状に放たれ、その風の煽りをその身に受けた肉塊がブルリと身を震わせたかと思うと、突如バタンとその場に倒れ込む。

 ピクリともせずに事切れた魔物は生気を根こそぎ刈り取られ、その身に一切の切り傷も受ける事無く死に至らしめられる。

 ほんの数秒で視界を埋め尽くす勢いだった魔物達の半分以上を始末してしまった即死の魔剣の効果に、技を放ったゼルダも額に冷や汗が流れそうになる。


「ま、まさかこれ程の威力とは……。つくづく『魔装化』というの規格外な力だと実感させられるな」


 『魔装化』を行った際に、使用可能となった技の概要は概ね頭の中に流れ込んでくるので、どういった技かは理解してはいたが実際に目にしてみると、やはり桁外れの力を内包した技を易々と放ててしまう事にいつも驚愕してしまう。

 だが、その常識外れの技のおかげで残敵は半分程だ。

 これなら『氷海の戦乙女』による氷の剣技と、騎士団による斬撃の嵐を以てすれば殲滅する事は可能だろう。

 アレンから供給してもらった魔力もまだまだ潤沢に残っているので、大技を連発して残りの魔物を一網打尽に出来る筈だ。


「魔女達の避難が終わるまではまだ時間が掛かるだろうが、ここでお前達を全滅させても問題はない。悪いが、手加減はなしでいかせてもらうぞ」


 仲間の死骸を貪り喰らう醜悪な魔物の群れに切っ先を向け、私は駆け出した。







 シュンと風切り音を靡かせながら振るわれた触手の攻撃を俊敏な動きで回避し、ネットリとした粘着質な唾液がアニスの頬を薄皮一枚隔てて通過する。

 腐敗した卵のような刺激臭を放つそれの強烈な匂いが鼻腔をくすぐり、思わず眉を寄せるが、幸い軍服や肌には付着しなかったので良しとする。

 一度伸び切った触手が再度口元まで戻るには数秒程度掛かる事は、ここまでの戦闘で学習した。

 その時間を逃す愚行を冒す事もなく、足裏に溜めた力を爆発させて肉塊の側に肉薄すると、両手に装着したにび色の手甲をすかさず敵の肉体に叩き込む。

 タコの身を指先で押すような生々しい弾力感を感じつつ、両手に蓄積させていた魔力を放ち『樹宝』を発動させる。


「弾けなさい」


 平坦とした口調でそう呟き、両手で掌底を放ってバックステップでその場を即座に離脱する。

 その刹那、まるで空気を入れすぎた風船が内側から弾け飛ぶかのように、ぷっくりと大きく膨れ上がった肉塊が爆散四散し、辺りに飛び散った肉片に他の魔物の触手が殺到し、同胞の血肉を美味そうに平らげてしまう。


「倒しても倒しても、ああして仲間の肉を取り込んでしまうので全ての個体を全滅させるのは骨が折れそうですね」


「そ、そこをなんとかできんのかねアニスくん! 君の『貫き犯す堕獣の鉤爪ベスティア・グガル』なら、連中の気色悪く無駄に頑丈な皮膚の奥にある内臓を破壊出来るのだから、相性抜群ではないかね!」


「私の『樹宝』は完全な対人戦特化型で、こういった集団戦は不得手なのです。それから伯爵は戦闘能力皆無なんですからホイホイと前線に出てこないで下さい。ぶっちゃけ、足手まといです」


 こちらの腰元に縋りつくようにして小刻みに震える肥満体型のちょび髭ににべもなく言い放った。

 実際、『貫き犯す堕獣の鉤爪』は体内で練り上げた魔力を衝撃波として敵の内側、つまり臓器や血管の直接打ち込んで破壊する『樹宝』だ。

 どれほど強固な外殻や鎧に身を包んでいても、肉体の外側には傷一つ付けることなく、体の内部を粉砕、破壊する事が可能だが、今回のように溢れ返る程の外敵を一度に相手をする時はかなり骨が折れる。

 直接体に触れない限り能力は発動しないし、悠長に攻撃の隙を窺っていれば瞬く間に他の敵に取り囲まれてしまう危険性がある。

 なので、秘書兼護衛役という職務を賜っている身としては、その護衛対象に気軽に死地に足を踏み込んでほしくないというのが偽らざる本音である。


「なっ、君、それは明らかに上司に対する態度ではないのではないか!? 私はこうしてあえて危険な最前線に身を置く事で兵士諸君を鼓舞しようと……!」


「その殊勝な心掛けと実行力は素直に感心致しますが、皆が『伯爵、後方で大人しく待機しててくれないかな。何かあった時に救助に向かわないと思うと、目の前の敵にイマイチ集中出来ないんだけど』と目で訴えかけているので、早々に後退してくださると私も気兼ねなくあの魔物の横っ面をぶん殴れて非常に嬉しいのですが」


「君、本音をぶっちゃけすぎだろう!? もう少しオブラートに包むというか、遠回しに言えんのか! エリーゼくんは、どう思うのかね!?」


「えっ、私ですか!? あの、その、伯爵様は翼竜ワイバーンの騎乗が大変お上手ですから、魔女の皆さんの退避のお手伝いに回って頂けると非常にありがたいです」


「ほら、これだよアニスくん! こういう気配り上手な返答こそ、私の待ち望んでいたものなのだよ!」


「伯爵様、あれは遠回しに『後ろの方で大人しくしてろ』という意味ですよ。

 あと、兵士達の士気高揚はもういいですから、翼竜隊の避難活動の陣頭指揮を最優先にしてください。それから、私はこのように無愛想な性格ですので、伯爵様のおっしゃった配慮はあまり期待しないでください」


「むう、分かった。翼竜隊の避難活動は順調に進んでいるが、ここは私自らが彼らのサポート役を担うとしよう。……死ぬ事は許さんぞ」


「夏のボーナスを受け取る前に死ぬ予定はありませんので、問題ありません。適切に問題を処理しますから、ご安心ください」


 背を向けて走り去っていく上司の後ろ姿を見送りながらそう冷淡にひとりごちていると、クスクスと笑い声を押し殺す声が近くから漏れ聞こえてきた。

 


「どうしたのですか、エリーゼ。何かおかしい事でもありましたか?」


 自然と憮然とした口調になっている事を自覚するが、これは致し方ないだろう。

 彼女は伯爵様との会話を隣で聞きながら、何やら微笑ましい物を見るような視線を送ってきていたのだから、どうにも気になっていた。

 二十歳にも満たぬ少女でありながら、幼くして翼竜の騎乗センスを認められて南の国境の砦の隊長を任命されている同期にジトリとした視線を向ける。

 すると、細剣レイピアを手に戦線に参加していた同い年の少女はからかい混じりの微笑を浮かべ、気心の知れた砕けた口調になり、


「いや、アニスと伯爵様相変わらず仲が良いなあと思って」


「どこをどう見たらそう思えるのですか?」


「だって、確かにアニスはいつもぶっきらぼうな感じだけど、伯爵様に対しては素の自分で接してるから」


「……そんなことはありません。それよりも貴女は翼竜から降りて戦っていますけど、大丈夫なのですか? 貴方は翼竜で翔る空中戦が大得意だったでしょうに」


「まあ、確かに翼竜の背中の方が落ち着くけど、国境警備隊の隊長を拝命するまでは竜好きのただの細剣使いのしがない騎士だったからね。私の愛竜は部下に任せて避難民の運搬に使ってもらってるし、森羅教やゴブリン軍の人達も必死に歯を食いしばって戦ってるんだから、私も微力ながら手助けしないと」


「……貴女が敵を引きつけ、私が隙を突いて拳を打ち込みます。翼竜に夢中で腕は鈍っていないでしょうね?」


「剣術の稽古や地上での戦闘訓練は毎日欠かさずしてるから、大丈夫よ」


 かつて共に切磋琢磨し合った同期の笑顔に内心で安堵を得ながら、アニスは両拳を握り締め、揺れ動き肉塊の波の中に友と共に特攻していった。

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