第48話 樹竜と炎纏いし少女(女神暦1567年5月1日/東の山脈)

 ゼルダとエルザの二人と別れた俺は、僅かな手勢の騎士達を引き連れて疾走する。

 視線の先では、金切り声を上げて咆哮する肉塊が無謀にも突出してきた獲物を発見して嬉しそうに身じろぎしており、俺を食い殺そうと腐った卵のような強烈な腐臭を放つ唾液まみれの触手を一斉に伸ばしてくる。

 だが、俺もみすみす連中の腹に大人しく収まるつもりなどサラサラない。

 騎士団のほとんどはゼルダとエルザのサポート役として割いたため、こちらの手持ちの兵力は心許ない。

 魔力も彼女達にほとんど分け与えてしまったため、本来の三分の一の魔力量しか残されていない。

 今の状態はベストコンディションとは到底言えないが、それなら喪失した魔力を他の場所から調達すればいいだけの事だ。

 今の残存魔力なら首から上は喚び出せるか! あの明らかにラスボスじみた巨大な肉塊と戦う前に、取り巻きの怪物達を駆逐する!

 視界を埋め尽くすほど大量にこちらの全身を絡め捕ろうと飛びだして来た触手の波を前にして、その醜怪な津波に生理的嫌悪を覚えながらも、桜色の琥珀を先端にあしらった木杖を掲げる。

 今から発動する魔法はかなり高燃費の魔法だが、チマチマと一体一体倒していくよりはかなり効率的に敵を殲滅出来る。

 体内に残されていた魔力の大半を杖先に注ぎ込む。


「『樹竜砲焔・樹海降誕ジェレイディア・グランデ』!」


 宝珠に収束した魔力が一気に解き放たれると共に、俺の頭上に巨大な若草色の魔法陣がゆらりと出現する。

 唐突に虚空に現出した魔法陣が不気味に鳴動すると、その中心から馬鹿でかい頭部を有した巨竜の首から上半分が表出する。

 巨竜の表皮は分厚い樹皮で覆われており、所々に濃緑色の苔が生えていたり、青々と色づいた広葉樹の枝葉が飛び出している。

 竜種の特徴である縦長の瞳孔の眼球が収まっている筈の眼窩がんかには、平屋の家一軒分はあるだろう巨大な翡翠が収まっており、眼なき深緑の双眸をジロリと不機嫌そうに肉塊に向ける。

 大地に宿る樹属性の魔力を多量に内包した宝玉の瞳に射竦められるように見下ろされ、肉塊達が不快そうに「ギィイイイイイイ!!」という耳をつんざくような奇声を上げる。

 彼らは精一杯の威嚇の意味合いで咆哮したのかもしれないが、その虚勢に魔法陣から首より上だけを現界させた樹竜は気分を害したように「グォオオオオオオオオッ!!」と雄叫びを轟かせる。

 翡翠の眼球を大きく見開いたと思うと、ガバッとあぎとを開く。

 すると、喉奥に灯った微細な濃緑色の光源が瞬く間に肥大化し、溢れんばかりの翡翠色の輝きが辺りを幻想的に照らし出す。

 樹竜は大きく首を揺らすと、己の腔内に蓄積させた光を大口を開けて吐き出し、翡翠色の光の束が扇形に発射される。

 一気に解放された光の帯に抵抗する隙を与えられる事無く飲み込まれた肉塊は、「ギィイイイイイイイッ!」という断末魔を上げていき、翡翠色のブレスが巻き上げた地面の砂埃や砕けた岩盤が周囲に散乱する。


「うおっ、あぶねっ!」


 上空に跳ね上がった岩石に驚嘆して、俺の頭部に直撃コースだったそれをからくも回避しつつ、ブレスを吐き終わった樹竜が不機嫌そうに漏らす唸り声に冷や汗を流す。

 魔力にもっと余裕があれば、コイツの体全体を現界出来るんだけど、短気ですぐにキレる性格だから、デリケートに扱わないといけないせいで無駄に気疲れするんだよな。

 この樹竜の破壊力抜群の攻撃力は非常に頼りがいがあるのだが、先程のように敵に威嚇されたり挑発的な行動を取られたりするだけで一方的に殺戮行動に移行してしまうのが難点だ。

 魔力の供給元である俺にも別段恭順を誓っている訳でもないし、従順に俺の指示を唯々諾々と従うような忠誠心も持ち合わせていない。

 フローラとの『魔装化ユニゾン・タクト』で召喚可能となる最高位クラスの大技の一つなのだが、どうにも扱いづらさが否めない。

 樹竜は自分に喧嘩を売って来た奴らを始末した事を確認すると、これで仕事は終わりとばかりに勝手に魔法陣の中に引っ込んでいき、それと同時に魔法陣も霧が晴れるように虚空に溶けて行った。

 唯我独尊を地で行く巨竜の相変わらずの自由奔放さに半眼になりながらも、俺はブレスの直撃をまともに浴びた肉塊達に視線を移す。


「アイツの性格に難があるのは事実だけど、荒れ地を埋め尽くすように殺到してきた魔物をこうも変貌させるんだから大したもんだよな」


 先程まで鼻を突き刺すような刺激臭をまき散らしていた唾液まみれの触手は植物の蔓に変化し、その先にいる肉塊は醜悪な姿をそのままに、青々とした葉を茂らせた樹木に変貌していた。

 同様の姿になった肉塊だった木々が所狭しと扇状に広がっており、ブレスの直撃を幸運にも回避する事が出来た肉塊は十数体程で、数百体以上の肉塊が物言わぬ植物に成り果てていた。

 『樹竜砲焔・樹海降誕ジェレイディア・グランデ』。

 あらゆるものを植物に変化させてしまう樹竜のブレスを浴びた者は、強固な結界術を使用しない限りは瞬く間にその血肉を生命力あふれる樹木へと変換されてしまう。

 そして、樹木に変わった者達には更に使い道がある。


「樹竜の憤怒を浴びた者達よ! 我が魔力となれ!」


 俺がそう声を発すると、樹木が翡翠色の粒子に変化し、俺の体の中に雪が溶けるように吸い込まれていく。

 すると、樹竜の召喚でかなり枯渇していた俺の魔力が泉が湧き出すようにみるみるうちに回復していき、本調子の状態の三分の二程度の魔力が戻って来た。

 樹竜がブレスで木像に変えた敵は、俺の魔力源としてこうして再利用する事が可能となるのだ。

 ゼルダとエルザに分割して激減していた魔力をすぐに回復させるには、あの樹竜によるブレス攻撃が最適解だと判断したが、それは正解だったようだ。

 残存する肉塊達の数もごく少数。

 これなら本丸であるあの巨大な肉塊に集中攻撃を叩き込める。

 魔力も充填したし、これならまだまだ戦える!


「残りの取り巻きをぶっ倒して、大ボスの首級を挙げるとするか」







「『紅炎纏う、火流彗星スカーレット・プロミネンス』!」


 ピジョン・ブラッドと称される最高品質の深い紅色のルビーの如き、鮮やかな輝きを煌きを放つブーツが深紅の火炎が纏い、業炎を宿した私の蹴りが不気味な見た目の魔物のあごを蹴り上げる。

 相当の重量があると思っていた魔物だが、ブーツ越しに伝わってくるのは想像以上に軽い重さで、自分の蹴りの威力がかなり向上しているのを実感した(ブヨブヨとした肌の質感は絶対に好きになれないけれど)。

 火精霊サラマンダーの火炎を帯びた蹴りで強制的に下顎を閉ざされた魔物は、蹴り飛ばされた箇所から全身に燃え広がった炎の熱さにくぐもった悲鳴を不揃いな歯並びの歯の間から零しながら錐揉みするように吹っ飛んでいき、後方にいた仲間達を押し潰すようにしながらド派手に火の玉となって消えて行った。

 また、燃え盛る火球と化した仲間に激突された魔物の肌にもルビー色の炎が噴き上がり、瞬く間に全身に延焼し、周囲に肉が焼けただれ炭化していく異臭が広がる。

 

「す、凄い。アレン様とアールタお姉ちゃんの力を借りているとはいえ、私がこんなに強力な技を放てるなんて……」


 脳内に流れ込んできた使用可能な技の情報にあった技を試しに使ってみたが、あまりにも破壊力の高い技の威力に呆然としながら、エルザはゴクリと息を飲む。

 幼い頃に母を亡くし、母の遺した武術(特に母の得意としてた蹴り技)を身に付けようと独学で鍛錬に明け暮れ続けた日々の中でも、これ程強力な技を会得するには至らなかった。

 『従僕せし餓狼ヴァイ・スレール』の奴隷となってからは鍛錬なんてさせてもらえる時間も与えられなかったし、両手両足を拘束する枷で拘束され続けて自由に運動する事も許されなかった。

 アルトの村に身を寄せるようになってからは、かつての体の冴えを取り戻そうと、北の大森林やコントラルト平原でこっそりと自己鍛錬に励んでいるが、まだまだアレン様やゼルダ様と一緒に肩を並べて戦えるだけの力はない。

 絶望の沼底にいた私を掬い上げてくれた大切な二人。

 彼に、彼女に私は人生を救われた。

 生きる喜びを再び思い出させてくれた。

 『従僕せし餓狼ヴァイ・スレール』が村を襲撃してきた時も守ってもらった。

 だけど、私はそんな二人に守られてばかりだ。

 自分も二人を守れるくらい強くなりたい。

 そんな風に自分を奮い立たせて稽古に力を入れていたが、『魔装化』した今の状態はそんな理想としていた力そのものだった。

 勿論これはアールタお姉ちゃんの能力と、アレン様から大量に分け与えてもらった魔力によって底上げされた力だとは理解しているが、どうしても頬が緩むのを抑えきれない。

 だが、突然手にした力に耽溺して、周囲への意識が薄まったのが悪かった。

 炭化した仲間の死骸を押し潰しながら這い出てきた魔物の口から触手が飛びだし、私の腰元目掛けて襲い掛かる。

 しまった!? 今からじゃかわせない!

 戦場に立っている以上、眼前の敵から意識を逸らす等絶対にしてはいけない事だった。

 そのツケを自分の命で支払う事になるのかと、身を強張らせた刹那、全身をポカポカと温める心地良い感覚が胸元から噴き出してくる。

 な、なにっ?

 唐突に発生した謎の熱に困惑していると、全身に行き届いた熱の塊が体の内側から弾けるように燃え盛ると同時に、体全体を深紅の炎が包み込んだ。

 猛然と襲い掛かって来た触手がその炎に触れた瞬間、「ギィイイイイイイ!!」と激痛に喘ぎ、触手を伝って燃え広がって来た火炎に飲まれてすぐさまボロボロと炭になった肉体の輪郭が崩壊していった。

 『火精霊女王の羽衣サラマンドラ・ベール』。

 己に害を成そうとする者の攻撃を火炎のオーラで防ぎ、この身に触れた者を焼き尽くす防御と攻撃の両面を兼ね備えた火精霊サラマンダーの恩恵を受けた自動発動型の防御魔法。

 頭の中に流れ込んできたその情報に目を白黒させながらも、自分の不注意で敵の攻撃を受けた事は事実なので猛省する。

 アレン様もゼルダ様も戦ってるんだ。私が足を引っ張ってなんかいられない!

 今度はあんな醜態を晒す訳にはいかない。

 自分が助けを呼べば、心優しい二人はきっと大急ぎでここに駆け付けてくれるのだろう。

 だけど、それじゃダメなんだ。

 私はこの国に来てからまだ何の役にも立っていない。

 絶対にここで魔物の群れを食い止めて見せる!


「魔女の皆の避難が終わるまで、絶対にここは通させない!」


 アレン様から貸してもらった騎士団は、私の側を離れて私の手が行き届かない場所の魔物の相手をしてもらっている。

 彼らは主の命令に忠実に従おうと、私の側から離れる事を渋るような仕草を見せたけれど、何度もお願いしたら素直に従ってくれた。

 彼らも懸命に剣や槍、斧といった多種多様な武器を振り回して魔物達相手に大立ち回りを繰り広げている。

 私の側には沢山の仲間達がいるという事実が、とても心強い。


「よし、いくぞ! もうさっきみたいな隙は見せないから覚悟してね!」


 秀麗な深紅の火の粉を舞い散らせながら、獅子耳の少女は赤い流星となって大地を蹴った。

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