止まない雨
結羽
1 それは忘れられない記憶。
周囲のざわめきが遠く聞こえ、耳障りな雨の音しか聞こえない。
見慣れたはずの場所が知らない場所のように感じた。
暗闇の中、赤い色だけが鮮明に浮かび上って目に焼きついた。
傷ついた人々から流れる赤い色ーー。
これは夢だ。
あの雨の日の夢。
弥生はこのあとに起きることを知っている。
もう何度も夢に見ているからだ。
「やめて、もう見たくない」
祈るように願う。
それでも、弥生の祈りは届かない。
あの瞬間が繰り返される。
弥生を呼ぶ声が、伸ばされた手が、雷鳴にかき消されて目の前が真っ赤に染まる。
そして、冷たい爪に貫かれた身体は人形のように力なく崩れ落ちていった。
スローモーションのようなその瞬間を、弥生はただ見てることだけしかできなかったーー。
繰り返される悪夢。
なんど見ても変えられない現実。
傷つき倒れた大切な人と何もできなかった自分自身。
自分の弱さを目の前に突きつけられた、忘れられないあの雨の夜。
激しい雷の音がふいに静寂を破る。
反射的に身を起こした。
急に現実に戻され、頭がくらくらする。
荒い呼吸に合わせて身体が揺れ、玉のような汗が顔を伝う。
脳裏に焼きついた夢の光景が頭を離れない。
「またあの夢……」
夢をかき消すように頭を振った。
ふと外を見ると激しい雨が降り、雷鳴が鳴っている。
あの時と同じ雨のようだ……。
こんな雨の日にはいつも同じ夢を見てしまう。
それは忘れられない記憶ーー。
弥生は人を襲う魔物を退治する退治屋だ。
弓矢を得意としている。
女性にしては長身。
華奢ではあるが、筋肉のついたしなやかな体格をしている。
腰まで伸びる長い髪は普段は1つに束ねていた。
弥生は支度を整えると部屋を出た。
少しずつ小降りになっていた雨は止んでいた。
しかし、じっとりと湿り気を帯びた空気がまとわりつきうっとおしい。
弥生はため息をついた。
ゆるやかに下る道を里の入口まで歩いた。
ぬかるんだ道のあちらこちらに水たまりが残っている。
高い塀に切り取られた鈍色の空を見上げた。
小高い丘の上にある里の回りには1つの門を残して高い塀に守られている。
ある意味閉鎖的な里。
弥生の住む里の人たちは魔物の退治を生業にしている。
そのため、逆に襲われることも多い。
もちろん全ての人たちが退治屋なわけではなく、年寄りや子ども、怪我人もいる。
また、前線に出るわけではなくサポート的な役割を果たしている者も多い。
そんな里の人たちを守るため、守りを固めているのだ。
里の子どもたちは幼い頃から退治屋になるための訓練に励んでいる。
魔物を倒すための知識や戦闘能力を磨き、16歳で素質があると認められた者のみ退治屋になれる。
弥生もまた幼い頃から退治屋になるために訓練に励んでいた。
得意とするのは弓矢であるが、1通りの戦闘術に精通している。
18歳を迎え、弥生は里の若手の中心的存在だ。
里の出入口である門が見えてくる。
そのそばに1人の青年が立っていた。
スラリとした長身に栗色の髪。
弥生の相方の暁斗だ。
里の退治屋は2人1組で動くのが習わしだ。
暁斗とは幼馴染でもあり子どもの頃からの相方だ。
歳は弥生と同じ18歳。
腰には得意の剣を差している。
弥生が来たのに気づいたらしい暁斗が顔を上げた。
「おはよ。今日の依頼は?」
「麓の村からの依頼だ。森に魔物が出るそうだ」
先に暁斗が依頼を聞いてきている。
里への依頼はそれぞれの実力に合わせて割り振られているのだ。
2人は里のある丘から麓へ降りる道をたどる。
道すがら弥生は暁斗から依頼の内容を聞いていた。
丘の麓には村があり、そのそばには大きな森がある。
この森は昼間でも薄暗く、魔物が住み着いている。
村には森で仕事をしている者もいるが、普段は森の奥に入らない限りは魔物に襲われることはなかった。
しかしここ最近、村人が出入りする辺りでも魔物が出るようになったそうだ。
何人かが魔物に襲われ、怪我人が出ているらしい。
村人を襲った魔物を退治するのが、今回の依頼だ。
「なぁ、弥生。今朝の雨すごかったな」
少し前を歩いていた暁斗がちらっと曇った空を見上げ、弥生を振り返る。
憐れみを帯びた視線に少し苛立った。
どんよりした雲が弥生の気持ちを表しているようだ。
「そうね」
弥生は短く答えた。
「まだあの日の夢、見るのか?」
暁斗が真っ直ぐと弥生を見て聞いた。
弥生は無言で歩き出した。
それが答えだ。
「ちょっと待てよ。弥生……」
「大丈夫。仕事には支障は出さないから」
暁斗を遮って前に進む。
背中に暁斗のため息が聞こえる。
心配されているのはわかっている。
だけど触れられたくない。
今はまだ。
その思いも伝わっているのだろう。
暁斗もそれ以上は何も言わなかった。
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