二身同体

トーヤ

二身同体

 下腹部に痛みが走って、良太は運転中なのに思わず下を向いてしまった。なんの変哲も無い灰色のスーツが見えたが、良太にとってはいっそそこに蜂でもいてくれた方が良かった。数ヶ月前に救急車で病院に担ぎ込まれる事態になった尿路結石と同じところが痛んだのだ。

 家の中でたった一人で尿路結石の痛みにのたうちまわっていた時は「いっそ殺してくれ」と思っていたし、回復した今も再発するくらいなら「死んだ方がマシだ」とすら思うほどだったので、尿路結石は良太にとって中年最大の悪夢に位置付けられている。

 どうやら今回の痛みはこれ以上広がりそうもない。少し古傷が痛んだだけに違いない。きっとそうだ。良太は微かな痛みにすら、怯えたような動きをしてしまった自嘲半分、安堵半分のため息をつく。

 ――この時良太は高速道路を一〇〇キロ近くの速度で車を走らせていて、少し脇見運転をしてしまったことになる。もちろん褒められたものではないが大抵の場合なんの問題もおこらない程度の行いである。けれど、それが彼の命取りになった。

 耳が痛くなるほどの轟音がして、良太は反射的に顔を上げる。

 前方で二台の大型トラックが追突事故を起こして、横転していた。良太の位置からは、避けきれそうにない。良太は慌ててブレーキを踏んだが、それは既に一手遅い。

(溝形鋼)

 良太の脳裏にそんな単語がよぎった。コの字形をした鋼材である。

 横転したトラックは建築資材を積んでおり、崩れ落ちて行く鋼材の山にどんな力が働いたのか、その中の一本がちょうど、良太の首に向かって跳ねた。

 猛スピードのトラックから振り落とされて、地面をバウンドした溝形鋼の持つ力は対向する良太の車のフロントガラスを突き破る。溝形鋼は良太の首に対して凵の向きでほぼ垂直に突き出された。当然、良太の首はひとたまりもない。まるでシャベルを雪の中に差し込むような簡単さで、溝形鋼は首の位置で良太を両断した。

 良太自身としては、恐怖を感じる暇もなかった。事中かろうじて認識できたのは、フロントガラスの突き破れる音と、自分の首から聞こえたパスッ、というあまり重たさを感じさせない音、シートが突き破れた衝撃、そして後方で聞こえたリアガラスの突き破れた音。溝形鋼はどうやら良太の車を串刺しにしたらしい。もう振り返ることもできないから確認もできない。

 何かの冗談のように溝形鋼は良太の車に突き刺さったまま止まったので、その横部分に良太の首は乗ることになった。まるで器に乗せられているようだ。フロントガラスは突き破れてはいるが、割れ落ちなかったので、白い罅割れが広がっており、前景がどうなっているのかもわからない。体は頭からの最後の指令を守って、ブレーキを踏み続けているらしい。車が動いている気配はなかった。

 一瞬の間。

 ブプ、という微かな音が、首元――現状の体の末端――からする。

良太が目線を下げると、鋼材に、つ、と一筋の血が流れ始めていた。さっきの音はおそらく血泡だ。このまま出血量は上がって行くことだろうし、今更良太にはどうすることもできない。

 拷問じみた光景を直視する気も起こらず、良太は目を閉じる。悪態ひとつ付けやしない。失血と呼吸ができない苦しみが長引かないことを祈りながら、無理矢理眠ろうとするかのように良太は積極的に意識を手放そうとしている中、突然車が強い衝撃を受けて、良太の頭は不意に前方の風を感じた。

(ああ、追突されて、飛んでいるな)

 さっきまではまだ残っていたフロントガラスも追突の衝撃で壊れ落ちたのか、良太の頭はなかなか何にも衝突しなかった。

 どうか地面に叩きつけられる前に意識を失えますように――。そんなことを考えながら良太の意識は暗闇に溶けていった。


   2


 良太が目を覚ましたのは白い部屋だった。

 白い天井、良太がそれを天国の光景だと錯覚しなかったのは天井の壁紙の継ぎ目が見えていたからだ。

 半身を起こし、思わず首に手をやる。包帯が巻かれているのだろう、布の感触がした。

 どうやら助かったらしい。良太は深い安堵のため息をついた。

 周囲を見渡す。来ている服は薄青色の入院服。白いベッドと計器類。左腕には点滴が繋がれていて、点滴スタンドが立っている。ベッド右側には小さな机と椅子。ここが病院の個室であることは間違いなさそうだった。

 あれ、ここには来たことがある。と良太は思った。尿路結石で担ぎ込まれた病院だっただろうか、いや、あれはそもそも個室じゃなかった。などと良太が記憶を掘り起こそうとしていた時、コンコン、とノックの音が聞こえた。

「平沼さん、入りますね」

 ドア越しに男性の声がした。良太が起きていることを疑っていない様子で、どうやらモニタリングされていたらしい。

 入ってきたのは医師と警備員の二人組だった。なんとなく良太は医師の男に以前会ったことがある気がした。

「平沼さん、お目覚めになられたんですね、本当に良かったです」

 その医師の良太の回復を喜んでくれている調子に少し良太の戸惑いも和らぐ。

「助けていただいたみたいで……本当にありがとうございます」

 挨拶を交わしつつ、田中と名乗った医師は良太のベッド脇にある椅子に腰掛けた。

「さて、平沼さんに適用された再現医療について説明させていただきたいと思います」 

「再現医療ですか」

 聞きなれない言葉に良太は戸惑う。田中は微笑んだ。

「ええ、平沼さんにフルボディマップの情報があったためなんとか身体を再現することができました。本当に幸運なことです」

 そこまで言われて、目の前の田中と病院に対して感じていた既視感の正体に良太は気がついた。ここは勤めているグループ保有の企業立病院だ。

「先生はボディスキャンの時にいらっしゃいましたよね? 確か開発プロジェクトの医師側の総責任者をされていたと思うんですが」

 田中は頷く。

「その通りです。今回の件には医師であり、プロジェクトの最高責任者の一人でもある私が平沼さんへの説明をすべきだと思いまして」

「それはそれは……丁寧にありがとうございます」

 深々と良太は頭を下げる。下げながら思う。

(――超お偉いさんじゃないか)

 良太の働いている会社は世界的プレーヤーでもある大きさのグループ企業の末端であり、仕事は上の無茶振りに泣かされることだ。

 良太からみて田中医師の所属する会社は曽祖叔父会社であり、グループの直系子会社である医療機器メーカーである。

 良太の会社は医療とはなんの関わりもないが、前回の健康診断の時にそのメーカーの大型プロジェクトである『フルボディスキャン』を受けさせられたのだった。マイクロメートル単位まで人間の体を精密に把握しておくことで再生医療の枠を超えた、人体の『再現』を可能にするとか。健康診断の一環扱いだったが、集められた他のグループ社員達と「これじゃただの実験台じゃないか」と笑い合ったものだった。

 グループ名すら冠していない末端会社にいる良太に拒否権などあるはずもなく一週間もかけて詳細に体を測定されて、全身の身体地図を書かれたのだった。健康診断時に配布された分厚いファイルに閉じられた紙束をパラパラとめくってみた覚えはある。記号の羅列でさっぱり意味がわからなかった。当時の良太にとっては仕事が滞った分、面白くなかったのだが結果的にそれが良太の命を救ってくれたらしい。

 

「それでですね。直裁に申し上げますと、現状の平沼さんのお身体のちょうど包帯を巻いてある首の半ばより下は法律上の取り扱いは平沼さんの体ではなくて義肢と義胴、人工臓器扱いになっています」

「なんですって?」

 良太は自分の両手を見た。皺からシミまで、どうみても自分の手だった。これが自分の手じゃないと言うのならどうやってここまで再現したんだ、と考えて少し良太は得心がいった。

「あー、再現医療。そういうことですか。たしかに健康診断の時に聞いた気がする」

「ええ、あらかじめ身体情報を立体の構造物として保存しておいて、いざという時にその情報を元に臓器を再現することによって、移植治療をより身近なものにする。それが我々のプロジェクトでした」

「へぇ……」

 言われて良太は両手を開いたり閉じたりしてみる。何の違和感もない。

「ええ、その点で平沼さんに詳細に説明しなければならないことがありまして……今回の事故を説明しても?」

「大丈夫です。続けてください」

「今回の高速道路での事故ですが、どこまで覚えられていますか?」 

「首が切れたと思うんですが」

「そうですか……。その後ですがあの交通事故はここ十年で一番大きな追突事故になりました」

 田中は手元の医療用らしい分厚いタブレットを良太に見せた。それはさまざまな記事のスクラップ画像だったが、良太の目を一番引いたのは大見出しは『多重追突事故、死者十一名』という大見出しだ。

「そして我々は救命医療に自分たちが保有していた平沼さんの体の情報を基に体の再現に取り組みました」

「ええ」

「私どもはまだ再現医療のプロジェクトチームであり、救急医療としての業務フローは未だ確立していなかったんですね。……平沼さんの命を何としても救わねばとプロジェクトの人員を全て割り振り、総花的に救命を行った結果、平沼さんの元の体の欠損を補い、義頭を接合したチームもこちらの平沼さんの救命にも成功してしまいまして……」

 おかしな沈黙が流れた。田中の眉間の皺は深々と三本になっている。

「つまり私は今もう一人いると?」

 田中の眉間の皺は五本になった。

「……はい」

「どちらかが助かると分かった時点で、どちらかの治療をやめれば良かったのでは?」

「何もかもが未知の状況下ではどちらも失敗する可能性の方が高かったんですね。それに頭部再現の方が目覚められたのは体を再現したあなたの三時間前でした」

 頭良太さん先着順で間に合わなかった貴方の負けです潔くもう一度死にましょう。――冗談じゃない。とはいえ、体良太の方も同じ気持ちだろう。誰だって死にたくはない。

「でも、頭の私が本当の私ではないんですか?」

「そうですね……例えば頭に意識が存在しているというのが、現在の常識であり、平沼さんもその考えに基づいていると思いますが、未だに意識というものがどこにあるのかはわかっていないんですね」

 田中は頭痛を堪えるように額に手を置くと、眉間を揉んだ。

「例えば腸にも一億個の脳細胞があるんですよ。そして昔から人はむしろ心は頭ではなく、心臓にあると考えてきました」

 田中は自らの親指で心臓のあるあたりを指した。脳と腸と心臓。むこうは二つあるし、頭良太さん一対二で貴方の負けです粛々ともう一度死にましょう。――冗談じゃない。

 淡々と田中は続けた。

「結局のところ、現代医学でもその人個人、を定義しきれないんですね。定義しようとすると長い時間をかけて生命倫理の再定義を行う必要が出てくる。正直に言えば、誰もがそれを直視したくない」

「なるほど」

 これまで人を分けることなどできなかったのだから、生命倫理と言う奴についてそんなことは考えなくても良かったに違いない。

 ほんのしばらく良太は悩んだが、結局この件に関する自分の考えというものを持てなかった。だから偉いお医者さんであり、会社の上層人である田中という権威を頼った。

「どうしましょうか、先生」

「安心してください。今回の件はグループが全て責任を持ちます。良太さんもまずはお体の回復に専念していただいて大丈夫です」

 良太は平凡な会社員だが、大企業に良くある自社語のリスニングはちゃんとできる。

 ――上の描いた絵に従っている限り悪いようにはしないから、黙っていろ。

「妻はなんと言っていますか?」

 良太の発言に医師は少し目を見開いたようだった。

「あー、奥様には……未だ詳しい話はお伝えできていません」

 どうやら田中先生の痛いところをついてしまったらしいと、良太は思った。

「そりゃそうですよね。確かに妻も突然、夫が二つに増えましたと言われても困るでしょうし。ひょっとして喜んでくれたり……しませんよねぇ」

 良太が冗談めかして言っても、田中は曖昧な苦笑いを返すばかりだ。

「無事であることを伝えてもらえますか」

「ええ、もちろんです」

 朦朧とした記憶の中で、そういえば妻が声をかけていてくれた気がする。事故の報があってから駆けつけてくれたのだろうか。首だけになって全置換型の人工心肺に繋がれた自分をみるのはさぞ辛かっただろう。

 良太はこの問題を解決できない限りは外には出られないし、妻に合うわけにもいかない気がした。


   3


 点滴が外れてからの一ヶ月程度、良太の生活は実に順調だった。

 精密検査を受け、さらに再度のフルボディスキャンを受けさせられて(最初の時よりも明らかに研究者の数が多かった。)、やっと点滴の外れた良太に課せられたのは運動である。最初は理学療法士の指導を受けた。立ち、座り、物を持ち上げ、という基本動作能力のテストを受けて、動作がなんの問題もないことを証明すると、通常の常人と変わらない運動を課せられたのだ。

 良太の首と胴体の接合手術は無事成功したとは言え、微細すぎて接合できていない部分や、接合した断面自体にもやはり自然による「一体成型」と比べると脆かったり傷がついていたりもするらしい。

 そしてそんな神経的な入出力の精度を上げるには運動が一番らしい。適切に神経と筋肉も使ってやり、迷走神経を減らしてうんぬん。専門的な説明はあまり良太にはわからなかったが、要は運動しながら栄養満点であまり美味しくない病院食を食べて、お医者さんのいうことを聞いていればいいことはわかった。

 病院内に設置されたジムに通い、高校生以来のプールで泳ぎ、エアロバイクを漕ぎ、ヨガに参加して体の隅々までの一体感を取り戻すメソッドを行う――毎年インドで修行しているインストラクターが指導してくれる本格派だ。

 避けているのは首に負担のかかる三点倒立などの一部運動だけだ。おかげで、基本的に体育会系出身者の多い理学療法士たちとはみるみる打ち解けて来ている。

 実際、今後の不安なども運動している間は忘れられるし、物事を楽観的に考えられるようになってきていた。お腹も引っ込んできているような気がするし。現代の再生医療の力でマイクロメートル単位まで再現されているというこの体は中年のだらしなくなった腹部や目尻の皺までまで再現されているのだが、実感として肉や骨、その根本となる細胞自体が若い感じがする。

 そんな具合で運動がいい感じなので、良太は機械を使った筋トレも考え始めている。一丁、痩せるどころか腹筋を六つに割ってやろうか、なんて。けれどもやはり一番やりたいのは首を太くすることだ。

 首回りがラガーマンみたいになって、腹筋が六つに割れている自分と再会したら妻を驚かせられるかな、などとバカなことを考えたりしながら、良太は院内ジムのシャワーを浴びに行く。入院患者向けに貸与されている運動着脱いで、さらに首ガードを外す。そう、首ガード。

 首ガードはデザイン性も考えられているらしく、外見はウェアラブルデバイスのように見える黒いリングの形状をしていた。良太がこの首ガードを外していいのは入浴中くらいのものだ。とはいえ、一度本当に首がもげた良太としてはあまりそれを不快とは思わなかった。というか、首ガードをしていないと落ち着かない。なんといっても二度ももげるのは嫌だ。

 首ガードを外したあと、良太はあまり鏡を見ないことにしている。接合部分の肌はその上下と明らかに色が違っており、首をぐるりと取り巻く術後創の痕が残っているのだ。体は再現医療の産物とはいえ、首から胴体を生やしたわけでもなく、作り上げた胴体を外科医が顕微鏡を見ながら繋げたのだから、当然外科手術の後が残っていた。

 清潔な入院服に着替えて自分の個室に戻ると夕方ごろだった。適度な運動に適度な食事、空調の微風が良太の頬を撫でる。なんとなくベッドに腰掛けて良太はあくびをした。

「これでビールがあればなぁ」

 月並みな独り言を呟いた時、ノックの音が響いた。

 看護師さんが個室に顔を出す。おずおずと姿を見せるその姿はあまり職業的な態度には見えなかった。

「すいません、頭部の方を治療された方が面会を求められていますが……」

 それを良太と言わなかったことは、気遣いだったのか。


   4


 良太が病院の重役室に入った時、もう一人の良太はすでにソファーに腰掛けていた。足を広げて座り、太ももに肘を乗せて背中が丸くなっているその姿はとても不機嫌そうに見える。いかにも入院生活に鬱屈した陰気な中年男性といった雰囲気で、良太は彼にあまりいい印象を持てなかった。

(自分にそんなことを思ってどうするんだ)

「久しぶり、って言うべきなのかな」

 苦笑しながら良太はもう一人の良太に声をかける。しかし彼は不快気に良太を睨めつけた。

「どうも」

 体良太は無愛想だった。彼はそれきり何も言わない。困った奴だと自分も口数の少ない方だが、無口なやつというのはこんなにも扱いに困るものなのか。

「君が呼んだんだろ?」

 足音が消えるほど毛足の長い絨毯に重厚な机が置いてある上等な応接室。この部屋に入るのも時間がずらされていたし、監視カメラもない。というか二人いる良太を映像に残したくないのか、良太の個室はおろか、廊下やトレーニング室にも監視カメラはなかった。天井の角辺りの色が変わっていたり、ネジ穴らしきものはちらほらあったのだが。

 なお今日に至るまで、良太が何かの料金を請求されたことも一度もない。しかも無期限の傷病休職扱いで給料は五割増で振り込まれている。

 向かい合って座ると、体良太が口を開いた。

「事故が起きる前にさ、少し下腹部が痛かっただろ?」

「そういえば……そうだったかな」

 良太は曖昧に頷く。良太としてはその後が激動すぎてあまり印象に残っていない。が、体良太はそうではなかったらしい。一段とうつむきがちになり、顔に陰りが増えた。

「再発しちまってな。石。しかも体外破砕できないタイプで」

「あー、そりゃ御愁傷様」

 ぼんやりと良太は事態を察した。たぶん再生医療は人体の再現まではしても尿道の中にあった石までは再生しなかったのだろう。そして体良太の体の半分残っていたという部分に尿道は含まれていたということか。その態度が体良太の癇に障ったらしい。彼は上目遣いに良太を睨みつけた。

「他人事なんだな」

 おもわず、良太はたじろいだ。

「いや……」

 何かを言おうとしたが、良太もあまり口が回る方ではない。気まずい沈黙が流れた。良太は机に用意されていたコーヒーを飲んだ。部屋は体良太の希望で他に誰もいない。ということはコーヒーを用意してくれていたのは体良太らしい。体調が悪くて気分が塞いでいるだけで、案外悪い奴じゃないのかもしれない、自分だし。

 しかしコーヒーを飲む良太を見る目つきがこれまた悪い。というか、じっと見ないで欲しい。

 今度は良太が口を開く。

「とりあえず妻には交代で面会したかったんだが……」

「妻ね。いいぜ、好きにしろよ」

 体良太は鼻で笑った。良太にとっては最重要案件だったので鼻で笑われたのは不愉快だった。良太の体が妙に若い感じがするように体良太の頭も少し若いのだろうか? なんであれ良太からすると彼は生意気に見えた。ややこしいことに外見こそそっくりだが、あまり彼は自分と似ていないのかもしれない。

「拗ねていてもしかたないだろう? 俺たちにはどうしようもない事故の結果だったんだから。そんなことより、これからどうするのか考えていかないと」

「この体はあんたの体だろ? 俺の体じゃない。なんで俺がお前の自堕落な生活のツケを引き継がなきゃいけないんだ。なぁ?」

 中年男性の絡み口調ほど鬱陶しいものはない。体良太の詰りに良太もカチンと来た。

「そんなこと言ったらお前の体なんてものは最初からなかっただろ」

 声を荒げた良太と体良太はしばらく睨み合った。

 体良太は口を開く。

「少しだけれど、話して分かったよ。俺はあんたを自分だと思えないな」

「ああそうかい、俺もだよ気が合うな。じゃあもう今後は病院のスタッフを立てて話し合おう」

 良太はソファーから立つと、ドアに向かって歩き出した。

「待てよ――」

 体良太が背後から声をかけるが、もはや話すこともない。良太は歩みを進めて、不意にこけた。

「――良かった。間に合ったみたいだな」

 こけた良太に体良太が声をかける。良太は立ち上がろうとするが足に力が入らない。

「ここのスタッフは俺たちをVIP扱いしてくれるよな。眠れないといえばすぐに睡眠薬を処方してくれたよ」

 声音に不穏なものを感じ、良太は体をひねり、何とか仰向けになった。そして見えた体良太はソファーを立ち上がっており、その右手には金槌が握られている。

 何考えてるんだお前。と言いたかったが、うまく言葉にならない。

「これくらいしか用意できなかったんだが、まぁ、あまり待ちすぎると治療と称して俺がいつ『切り離される』かわからないだろ?」

 良太は足に力が入らず、立てそうもなかった。

「会社のさ、最適解を考えたことがあるか?」

 体良太は不意にそんなことを言った。

「俺の体とあんたの頭を繋ぎ直すことさ。他のパーツは全部義肢扱いだからな。生命倫理にも抵触しない。初めから再現医療によって事故直後の各部位を生かした後、再接合に成功したと発表すればいい」

 体良太はそのまま近づいてきて、仰向けの良太に跨った。二人の顔が近づく。

「あんたの生活、なかなか快適だったらしいな。無防備に医者のこと信じ込んで生活してたわけだ。実際それで正しいよ。あんたはそれで十分助かるものな」

 体良太は自分の額――いや、脳を指差した。

「それでなんで俺は人間扱いされずに、こんなへたった体とのんきなおっさんの期間限定のお守りみたいに扱われないといけないんだ?」

 せめて叫べれば助けも呼べたのだが。

 体良太はその手に持った金槌を良太の顔に向かって振り下ろした。――その強く頭部に響く鈍い音が頭部に響き渡っても、睡眠薬にやられた良太の頭はぼやけたままだった。恐らくそれは幸運だったのだろう。続け様に体良太が次から次に振り下ろすそれはまるで、大粒の雨のようだ。違いといえば酷く響くことと、仰向けた顔に映るのは雨雲ではなくて憎悪に引き歪んだ顔をした自分であることくらいだ。鼻が潰れ、額が凹み、歯が折れ飛んで目が抉れた頃、ようやく良太は意識を失うことができた。


   4


 おおむね体良太の語っていたことは正しかった。

 良太と体良太が並存していた期間は最初の接合手術の予後の期間にすぎなかったということになったらしい。

 そんな顛末を良太は自らの個室で頭と顔中と首回りに包帯を巻いている状態で警備員を従えた田中医師兼プロジェクトリーダーから聞いた。

 良太の脳が壊れる前に警備員が体良太を取り押さえることができなかったのは田中にとって不幸だったのかもしれない。

「本当に申し訳ないのですが、これでもう万事解決しました」

「再現された頭の方はどうなったんです?」

「……あれは義肢の一種ですし、一時的に平沼さんの体を正常な状態に保つために取られた処置にすぎませんよ」

 体が『元の自分の体』に戻っていることは全身につきまとう倦怠感から簡単に分かった。別に病気というわけではない。運動していた体から急に運動前に戻らされた現状の方が、よほど一回目の時よりも違和感があるからわかるというだけのことだ。

 田中の言い訳する声すら苦し気だ。義肢を処分したのは彼しかいないだろうことは、良太にも簡単に察せられた。

 けれど、良太はその追求を行う気にはとてもなれなかった。

「まぁ、とりあえず問題が解決したのなら、妻に会いたいです」

 そして田中は眉間の皺が増えた。

「非常に言いにくいのですが……平沼さんあなたにご家族はいません」

 うつむきがちに話を聞いていた良太も思わず顔を上げる。

「どういうことです……?」

「再現医療の応用なのですが、命の危機に陥った人間の脳に働きかけて本人の生きる気力を持ち直させるため、親しい人のイメージを喚起させることがあります。それは術後にはすぐ揮発してしまう程度のものなのですが……その点の予後も責任を持ってケアさせていただきます」

「そんなはずは……ないでしょう」

 うめき声をあげる良太。それに応える田中もまた、腹痛を堪えながら無理やり笑顔を浮かべているような顔をしていた。

「平沼さん、奥様の名前を言えますか?」

 良太は金魚のように口を開閉した。その口からは何の声も出てこない。

 長い沈黙が落ちた。

「まだ何か質問はありますか?」

 田中は告げた。おそらくその言葉が口をついて出たのは医者として患者に対する義務のようなものだったのだろう。感情の削げ落ちた顔で、良太は聞いた。

「俺は後何回死ねばいいんです?」

 田中の顔は引き攣った。彼もまた自らの技術が招いたこの事態を直視する精神を持っていなかったらしい。

「あなたは一度も死んでませんよ。私の技術で助かったんです! 貴方は! とにかく、今回の件はグループが全て責任を持ちます。良太さんもまずはお体と心の回復に専念していただいて結構ですっ!」

 最後の言葉はほとんど悲鳴だった。田中は足早に個室から出て行った。

 静けさの戻った白い個室に良太は座っている。

 会社にとって良太の価値といえばどんなものがあるだろう。検体としての価値は今後もモニターする価値はあるのかもしれないが、結局のところ体が二つできるという事態はこの大プロジェクト全体を廃止に追い込めるだけのスキャンダルだ。会社にとっては良太は生きている限り口封じのために面倒は見るが、どちらかといえば早く死んで欲しい程度の何かだろう。

「……酒が欲しいな」

 良太はふらふらと部屋を出て病院の大きなロビーを通り玄関のガラスドアを開けようとした。と、その時、大きな音を立てて資材を積んだトラックがちょうど玄関前から出て行く。……それだけで良太は外に出て行く気が失せた。もう何もかもが恐ろしく、信じられない。逆恨みで人を殺せる自分すらも恐ろしい。

 とぼとぼと部屋に戻ろうとする良太の前に一枚のポスターが見えた。

 老夫婦が肩を寄せ合って、薄い色の青空を背景に微笑んでいる。

 厚生労働省所轄の尊厳死センターのポスター。安楽死ならぬ尊厳死が合法化したのはもう随分と昔のことだ。

 何の変哲も無い病院の廊下の掲示板の前。良太はそのポスターからいつまでも目が離せなかった。

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二身同体 トーヤ @hocori

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