20-1 暑さの前ぶれ

 六月も終わりを告げようとした頃。

 僕は放課後に、ある場所へ呼び出されていた。


「カルマ、ここで見たことは誰にも言うんじゃねぇぞ」


「え?」


 火山俊也は扉をノックして開ける。


 一方、僕は扉の上についた「養護教室」のネームプレートを目を向けていた。



 こうなったのはつい数日前のこと。





「もうホームルーム終わりましたよ」


「ん……」


 眠気まなこで突っ伏していた顔を上げる。


 目の前には僕のクラスの担任、天道てんどうあおいが肩に手を置いて立っていた。


「どうしたんですか、最近お疲れみたいですけど」


「僕はいつも通りだよ」


「授業終わってからずっと寝ている人が何言ってるんです」


 眉をへの字にして苦笑いをする。


 周りを見回しても誰も教室に残っている人はおらず、窓には夕陽の赤く灯った日差しが伸びている。


 黒板の上に飾られた時計の長針は「6」を越えている。


「もうこんな時間なのか」

 そう呟いてみると、天道はため息をついた。


「気づかないまま帰るところでしたよ……」


「すみませんでした」


 カバンを持って立ち上がり、天道にお辞儀をして教室を出ようとすると、教室に入る俊也とばったり遭遇した。


「あ? カルマなんでまだ残ってんだ?」


「寝てた」


「まだ寝てたのかよ……まぁ気ぃつけて帰れよ」


 教室に入り、俊也は天道と話し始めた。

 俊也が先生と話している姿を珍しく思いながら、帰路につくことにした。





 家に帰ると卯月が廊下をぴょんぴょんと跳ねていた。

 よほど嬉しかったのか周りを気にも留めず、しばらくして帰ってきた僕に気づくと声を上げた。


「あ! おかえりなさいカルマさん!」


「ただいま。なんか元気そうだね」


「そうです! 卯月元気です!」


 持ち前のギャグみたいに拳をにぎって顔に寄せる。


「明日、華ちゃんとお出かけなので今から楽しみなんですよ~」


「そうなんだ」


「お洋服見て、ケーキ食べて、アクセサリー見て……もうやりたいことがいっぱいです!」


 表情をゆるませながらその場でぴょんぴょんと跳ねていた。


 彼女の声を聞きつけてリビングから姉さんが顔を出す。


「あ、カルマ! おかえり~」


「ただいま」


「悪いんだけど、わたしも明日出ちゃうから、ご飯はなにか買ってきてくれる?」


「うん。わかった」


 珍しく姉さんが休みを取るらしい。たいてい買い物に出かけるかカフェにでもいくだろうから尋ねるだけ野暮だと思った。


 そして僕だけ学校なのかと思うと憂鬱にもなった。



 明日の予定にわくわくしながら談笑する二人を後にして、階段を上がり自室へと入る。


 カバンを机の上に置いて今日のことを振り返ってみる。


 朝から眠い目をこすって授業を受けて、お昼は一人で屋上で食べて、午後は体育のあとの授業をずっと居眠りしていた。


(あれ、俊也はいつ来たんだろう)


 僕が授業を受けていた時も俊也がいなかった。放課後すれ違った後、担任の天道となにやら話していた。


 わざわざ学校に来て授業の内容を聞きに来る人じゃないし、別の用事があったのか?



(俊也が学校に用事か、あの勇者に会いに行ったのかな……)


 僕が勇者と呼んでいる初めて戦った異世界転移者、織田九太は同じ高校に通う生徒だ。


 王国で勇者と崇められ、国や大事な人のためにモンスターと戦っていたのだが、神を名乗る怪物に騙されてしまった。


 俊也の説得により彼は現実世界に戻っていったはずだったが、他の異世界転移者と異なり、僕は織田九太に会えていなかった。



(気にするほどでもないか…お風呂に入ろう)


 クローゼットを開けながらタオルを取り出し、明日俊也に訊いてみようと思いながらお風呂へと向かった。



 翌日、お休みの卯月と海香姉さんに見送られて学校へと向かう。

 通学路の途中、見慣れた金髪の青年が前を歩いていた。


「俊也、今日は学校行くの?」


 後ろから駆け寄って歩幅を同じにして歩く。

彼はこちらに振り向き、眉をひそめて応えた。


「今日は……て昨日も学校に行ってたじゃねぇか」


「最初からはいなかったよ」


「……どっちだっていいだろ」


 ばつの悪そうな顔を正面に向ける。

 なんだか怒っているような、悟ってほしくないような感じがする。


「どうしたの?」


「……なにがだ」


「いつもと様子が変だなと思って」


 俊也は黙って歩いていく。これ以上訊ねて怒られるのも困るので、僕も黙って隣を歩いた。


 少しした後、俊也から「なぁ」と声をかけてきた。


「足利熱児から連絡あったんだろ?」


「あしかが……ああ、うん。明のところにメールが届いたんだって。どうして知ってるの?」


「……明から訊いたんだ。で、変な様子はなかったんだよな?」


「うん。心を入れ替えて頑張っているみたいだよ」


「そうか……ならいい」


 意図の見えない会話が続く。

 別のなにかを隠しているようにも聞こえる。


「お前は、俺がなにか隠しているように見えるか?」


「え?」


 頭で考えていることを見透かされたのかと思った。

 突然のことに驚き、道路の真ん中で立ち止まる。


 俊也も立ち止まって首だけ後ろに振り返らせた。


「お互い自分のこと話さねぇだろ。相談もなく勝手に動いて一人で抱え込もうとする」


「そうなのかな?」


「恥ずかしい話、俺は自覚ある。飛鳥のことだって俺は周りが見えなかったし、自分で何とかしようと思ってた」


 確かに俊也が勇者のストレスのはけ口になっていたおかげで他の生徒たちは無事だった。


 独りの時間が長かった分、自分の力で解決するしかなかったことを考えると、彼は人に頼るのが苦手なのかもしれない。


 でもそれ以来、俊也は積極的に卯月や他の仲間と協力しているし、周りが見えなくなっていたことを謝ったりもしていた。


 俊也は続けて声色を低くして話し続ける。


「今回の異世界で改めて思い知った。俺だけじゃ飛鳥を取り戻せない。だからこの話をお前にしなきゃならねぇ」


「話? なんの?」


 こちらに体ごと向けて、強張った表情で僕をにらんだ。



「異世界転移者、織田九太がその後どうなったか、ってことだ」



 六月が終わりを告げ、晩夏の訪れとともに、打ち明けられた言葉と暑い風がじんわりと背中を湿らせた。

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