20-2 どうしても会いたくて

 扉を開くと白衣を着た大人が壁際の机に向かっていた。

 窓から入る風がカーテンを揺らしている。

 その大人は風の流れた先を目で追うと、後ろの僕たちに気が付いた。


「今日も来たんだね火山君。後ろにいるのは、徳地カルマ君か?」


担任の天道てんどうあおいが微笑みながら語り掛ける。


「ああ。悪いがまた時間くれるか?」


「いいよ。彼もその方がきっと嬉しいと思う」


 天道は席を立ち、机の上に置いたノートとペンを手に持ちながら部屋を出ようとこちらに歩いてくる。


 すれ違いざまに僕の肩に手を置いたあと、廊下の奥へと去ってしまった。


「カルマ、入ってこい」


 俊也に呼びかけられ教室へと入る。

 普段僕らが使っている教室の半分くらいの広さで、部屋の真ん中には四角で大きなテーブルが置いてあった。


 椅子は三つずつ向かい合って並び、テーブルの下にしっかり収納されている。



 だがそれ以上に変わったことが一つある。


 黒板を背に、右奥隅に置かれた机で眼鏡の少年が絵を描いている。


 クレヨンで描く線の整っていない落書きを、少年は黙々と続けていた。


「織田九太……」


 僕が言葉を漏らすと、少年は音を立てて机から飛び退いた。


 肩をすくめ、上目遣いになりながら恐る恐る僕に訊ねる。


「だ、誰ですか……?」


 どうやら彼にとって初対面らしいのだが、僕はすぐに違和感を覚えた。


 他にも戦ってきた異世界転移者、メイドの源美紅やテレビ局の足利熱児は、現実に戻った後も僕たちと出会った記憶を持っていた。


 だが織田にはその素振りが見えず、ましてや冗談で言っている様子もない。


「こいつは俺の友達だ。悪い奴じゃない」


「ひ、火山くんの友達なんだ……よかった」


 大きく息を吐き、安心したのか、ぺこりと会釈をする。


 僕も合わせて頭を下げると、織田は再び席について落書きを始めた。


「記憶喪失らしい」


「え?」


「王国の異世界でこいつを倒した後、織田を問い詰めた話は知ってるよな?」


 僕は縦に頷く。異世界での記憶の確認と、飛鳥という少女の行方を聞きに、俊也一人で織田に会いに行った話だ。



「でもたしか……飛鳥っていう人の記憶だけなかったって」


「違う。正確には異世界で起きたことだけを記憶していたんだ」


「異世界で起きたことだけ?」


 黙ったまま俊也が頷き、また話し続ける。


「異世界で勇者となり、神に騙された後、誰かに倒されて心を入れ替えた……こいつの中ではそういう結末になったまま、俺やお前の名前すらも忘れているんだ」


 目の前の織田を見つめる。無邪気で楽しそうに絵を描いている様子には、勇者となって暴走していた面影がどこにもなかった。


「正直言えなかった。倒したら出会う前に元通り、それどころか異世界転移者を倒すことは、そいつの記憶を奪う危険なことなんだからな」


 いつも以上に眉間にしわを寄せている。

 織田から目を逸らして、黒ずんだ木の床を見つめていた。


「ずっと嘘ついてたの?」


「……すまねぇ。飛鳥にどうしても会いたかったっていう俺の問題なのに、異世界転移者を倒した後のリスクを言わないまま、お前らを巻き込んじまった」


 拳を力強く握りながらも、覇気が無い声で俊也は申し訳なさそうに話した。



 飛鳥がどこにいるかもわからない。手掛かりは異世界転移者しかいない状況で、彼らを倒すことでしか情報は得られない。


 俊也は葛藤にどれだけ悩まされていたのだろう。異世界転移者が現れない時、どれだけの焦燥感があったのだろう。


 僕はいつの間にか俊也の立場になって考えていた。


 落ち着いた口調で俊也に応える。


「話してくれてありがとう」


「え?」


 俊也は目を丸くしてこちらに視線を向ける。


「もしそれを言ってしまったらみんな踏みとどまってしまう。疑念で判断が遅れていたら、今度は僕たちが危険な目に合っていたかもしれない」


「カルマ……」


「それにもし言ったとしても、みんなリスクを承知の上で戦ってくれたと思う」


「……そうかもしれねぇ。なんでずっと黙ってたのか馬鹿みてぇだ」


 小さく笑みを浮かべて自嘲する。



「ありがとう」


「どういたしまして」


 俊也はどこか憑き物取れたような顔を浮かべていた。


 しかし織田だけが記憶喪失という事実は残ったままだ。

 当の本人はこちらの会話にも触れず、クレヨンを握りしめたまま紙に描き起こしている。



「そういえば先生が今日も来たんだねって言ってたけど、何度かここに来てるの?」


「ああ。織田に会いにな」


 俊也は織田の元に近づいて、しゃがんで目線を合わせる。


「織田、今日も遊ぶぞ」


「ほんと!? うん、遊ぼう!」


 机に広げていたクレヨンと紙を机の中にしまい、織田は立ち上がって壁際の個人ロッカーに向かった。



「遊ぶの?」


「ここ最近の話なんだが、遊んでいるうちに異世界で戦ったのが俺だということを思い出してきたんだ」


 もしかしたら、織田と仲良くすることでだんだん記憶を取り戻していくんじゃないだろうか。


 そう考えた俊也はこの教室に通うことを決めた。そして思いついた方法が、遊びだったということか。



「とにかくお前も混ざれ。やってることはトランプだけどよ」


「いいよ! 君も一緒にやろうよ」


 織田も席に着きながら嬉しそうに僕を誘った。


 席に近づいて僕は織田に尋ねてみる。


「トランプ、好きなの?」


「トランプというより、ゲームが好きって感じかな。黙々とやれるし」


 トランプの束をシャッフルし、カードを全員に配っていく。

 織田の希望でババ抜きをやるらしい。


「テレビゲームもやってるよな」


「やるよ! テレビゲームなら『ダークネスクエスト』が一番好き!」


 確か織田の異世界の元となったゲームだ。ストーリーや登場人物が多少異なっていたが、ゲームに登場する怪物や魔王が異世界に登場していたのだ。


「あんな風に剣を使って戦ってみたいなぁ……あ、でも神様に騙されたり、負けるのはもう嫌かな」


 眉をへの字にして落ち込んでいた。


 彼の記憶では、自分は異世界で敗北した勇者という結果だけが残っている。


 記憶喪失の自分と嫌な記憶が、思い出すことの阻害に拍車をかけているようだ。



 記憶を取り戻すことが出来て、それを遊びながら楽しんで行うことが出来る方法──。



「そうだ。剣を振ろう」


「なんだ、どっかのキャッチコピーみたいなこと言って」


 僕は織田の肩を掴んで、声を大にして話した。


「外で遊ぼう」


「へ?」


 突飛な僕の提案に、織田は思わずぱらぱらとトランプを落としていった。

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