第8話 目

 目がある。しばらく見ていなかったものだ。

「あなたは一緒に来ましたか?」

「いえ、わたしは昨日からいましたよ」

 目がある。それは、わたしがここに来てから現れた。視線を感じるのはわたしの肌が、表層がその光の反射を磁力の乱れとして検知するからだ。

 明日ガソリンスタンドへ行ってもらえませんか、沢山の灯油が必要なので。

「一緒に来たんですよね?」

 だって、灯油の話を聞いていたんですから。そう言わんばかりに車を停められた。

 バイパスは狭いから、離合りごうが必要になる。ガガキキ、バツン、なんて時折車を擦ってしまう人がある。わたしの車幅感覚は完璧なので、そんなことはしない。

「いいえ、それは明日のはずですよ。ふふ」

 少し先に行くと道の駅崩れの駐車場がある。トイレと飲食店だったもの、ぶうぅぅんと動くさびだらけの自動販売機。缶コーヒーを飲もうと立ち寄った。

「でも、でもでも、一緒に来るって言ってましたよ、ね。ね?」

 見知らぬ女の人が声をかけて来た。非現実的な髪色、ああ、わたしも不思議とそうなっているからおかしいことじゃない。

 その女は<目>に同意を促す。わたしはそんなものは見たくないから、コーヒーをあおる。苦みと甘味のバランスが悪く気持ちが悪くなる。嫌いなのに何でこれ買ったんだろう。

 それは何も言わず、こちらを見続けている。ああ。あぁ。ちくしょう、わたしはこんなもの知らないから、見ないでください。

「ほら~、やっぱり、一緒じゃないですか」

「ですです。なんで、隠すんです?」

 おかしいな、わたしの乗っている車から誰かが顔を出している。

「明日の予定が今日になったんです。寝ててすいません」

 わたしは知っていた。誰だったろうか、見覚えがあって、明日灯油を運ぶ約束をした人。名前は分からない。わたしがわかるのは<目>だけだ。

「ああ、そうだった。すみません、行きましょうか」

「へぇ。携行缶は家にあるんですけど」

 もうすぐに済ませたかったのに、今日灯油を運ぶと決めたのに家にあるなんて言われて少しイライラする。なんで頼まれたわたしが気をつけなきゃいけないのか。

「だから、声を掛けたんです。一緒に来たのなら、灯油だって」

 その女の人はリモコンを操作して、少し先の駐車場に停まっていたバンのリヤドアを開く。詰め込まれた携行缶。これじゃ後ろが見れない。なにかの違反じゃないか。

「おー、気が利きますね。十個貰いますけど、いいです?」

「あれ、くれますよね~? だから声を掛けたんですよ、うへへ」

 車の中で回る金属は完全体磁石。自己完結しているからずっと回り続けて自我がある。あんなものを車に入れた覚えはないのにと同乗者を見ればすまなそうにウィンクをしている。

 わたしは溜息しか出なかった。

「どうぞ、サッと交換してしまいましょう」

「ありがとうございますー。一緒に来たんだから、よかったよかった」

 完全体磁石はそれを聞いていたからかふわりとドアを開けて、バンの中へ。丁寧にも携行缶を十個取り出して地面に置き、その間に収まる。

 携行缶は持ちにくく四ついっぺんに持とうとしたけど無理だった。

「二つずつでいいですよー、ほら手伝います」

 倒して重ねて五つ持って行った。わたしより小さいのに手慣れている。

 それにならって五つ重ねて持とうとすると、四つ目がつるりと落ちてしまう。がしゃ、ィぃーん……と金属の余韻が残り、何とか膝と車の間で挟まる携行缶。

「気を付けてくださいね、灯油、傷と凹みがあると怒りますよ」

「はい、すみません。ふふ、怒られない様に気をつけます」

 そうだ灯油は怒るのだ。綺麗な携行缶を持って行かないと。だから、家にあるやつは使えなかったんだ。

「遅いですね、慣れていないでしょうから、ゆっくり行きましょう」

 残念ながら、わたしはこういうことは苦手だ。両手に一つずつ持って、荷室に携行缶を置く。鈍い緑色で滑った光を保つ十個のそれは、一つ一つに<目>がある。

「では、さようなら。あなたは、誰かと一緒の方がいいですよ~」

 去って行くバンはキィィーンと馬鹿みたいな加速で幹線道路に飛び出していった。危ないのにな、数秒で100km/hに達する車ばかりが広い道路を席巻せっけんしているから、わたしは怖い。

「灯油、いるよね?」

 車に乗り込んでシートベルトを締める。同乗者は助手席で伸びをしていた。

 わたしは灯油が必要な理由を知らない。まだ冬でもなく寒くないし、何に使うのだろう。

「<目>があるから、この時期は仕方ないです」

 ガムをくちゃくちゃとやりながらそう言って、ミントの匂いがただよう。

 名前、なんだっけ。問えずにわたしは車を走らせる。


「この携行缶だと<目>の消費量にもよるけど、ギリギリだね、怒っている灯油が入った携行缶は売れるけど、まあ、いらないか」

 いつもの商売台詞。少し足りないよって不良品を掴ませるやり方。押し付けてこないからいい。同乗者はずっと睨んでいた。理由は問わない。

「早く、<目>が待ってるし」

 わたしにはそれがどの<目>か分からない。シートの下から発せられる視線か、運転している時に左後ろから感じる視線か、沢山の<目>があるから分からない。それぞれのものについている<目>はわたしを見ていないものも沢山ある。

 話の流れから別の<目>だとは理解できる。言語が通じなくとも、大まかな意図が理解できる。一部しか読めない本でも前後を読めばわかる。国語のテストみたい。

 灯油に怒られずに携行缶はいっぱいだ。「仕方ねえな、これなら合格だぜ。ただ、揺れねえようにしてくれよ」缶から声が響く。

 念入りにスポンジで挟み、ベルトで固定すると静かになった。

「どうして灯油が喋るんだろうね」

「疲れてます? 喋らないものなんてほとんどないですよ」

 そうだった。喋らないものなんてほとんどない。定規と分度器くらいだった。

 どこか外れている気もした。でも喋るのは常識だと思う。だから、納得する。

「今年の<目>は厄介ですよぉ。終わったら、鍋しましょう」

 完全体磁石があって分からなかった。後席に置いてある二つの白い袋。ネギや様々な食材が入っている。冷たいのか、袋の外側で水が滴る。

「灯油代は<目>関係なので、免除されるんで、ここにサインだけ頼みます」

 チョッ、と舌打ちしながら汚いサインを書く。ぐるぐるとしていて、判読できない。同乗者は同乗者。ただ仲が良い。それだけが残る。

「はあ、ありがとうございます」

「なんか、すみません」

 気まずいけれど灯油は問題なく手に入れた。後は帰って<目>を、、、どうするんだ?

 わたしはよく分かっていない。

「帰りも運転できますか、ぼーっとしてますけど休みますか?」

「そう、ありがとう。休ませてもらうね」

 そんなことを言いながら助手席に乗り、シートを少し倒す。

「寝ちゃっててもいいですよ、ちょっと時間ありますから」

「うん……」

 もう眠い。眠いのがどっと来た。

 カーラジオの設定をしながら車が発進する。気持ちゆったりとしたウィンカーの音がして、同乗者はわたしより若い気がするけど、それほど変わらない気もする。

 音質の悪い音楽が流れ出した。


「<目>は準備しておくので、灯油を庭に運んでください」

「はーい」

 そこら中に<目>がある。携行缶の一つと目が合う。灯油はもう喋らない。もしくはぼそぼそと何か言っていても聞き取れない。

「なにを見てるんだろう。喋れないか」

 ベルトを外して缶を持つ。灯油が入っているから重いけどなんとか二つ持てる。

 白い二階建ての家とさびれた庭がある。芝生が枯れている。ふらふらと歩けば<目>はこちらを向く。家の壁面、地面の土、車、至る所の<目>から視線を感じる。

 灯油を持っているから、これらが求める理由は分からないままについて来た。

「<目>が毎年灯油を欲しがって現れるんです」

 携行缶を全て庭に運び入れると家中の<目>を用意した同乗者が満足気な表情で立っている。もう既にやり終えた感じでこちらを見ると頷く。

「これ、取る時に面白い音がなるんですよ、ぴぷぴぷぴょーい、ぴぷぴぷぴょーい」

 真ん中が抜けたおたまのような道具で<目>を捉えると間抜けな音がして外れる。この家についている最後の一つが取れて視線を感じなくなる。

 毎回この季節になると<目>をこうやって取って回る。取り逃すと面倒なことになる。役所の人が来て、警察に怒られて、なので市街地ではいつも『<目>をしっかりと確認してください、取り切れない場合はご相談ください』と役所から車が出る。

 最近じゃ、業者に任せてしまう人が多い。それが出来ない場合は、こうやって自分でやらないといけない。なんとも面倒だ。

「ほら、<目>が、早く済ませよう」

 ふわりと飛ぶ<目>は庭の中央に据えられた大きな四角い鉄の箱に入る。下に管が繋がっていて中身を抜き取ることが出来て、大きさに合わない小さなボウルが置いてある。

 浮き出さないようにサラダ油まみれにまった<目>はどこも見ていない。視線はない。ここら一体の<目>は全部取り終えた。感覚的にすぐわかるからあまり見失うことはなかった、と思う。

「……どうするんだっけ?」

「ここに灯油を入れるんですよ、今日はいつにもましてぼんやりですね」

 目があった。色々なものが抜け落ちている。ルールは頭にあるけれど、自分の物でない様に感じる。

 ぴぷぴぷぴょーい、間抜けな音だけが残っているし。

 携行缶のふたを先細りのホースに付け替えて鉄の箱に灯油を注げば<目>は溶けだして沈んでいく。白とも黒ともつかない色で泡を出しながらぷつぷつと不定形になる。

 注ぐ先から消えていく灯油は、混ざっているようには見えない。<目>に触れては消えていく。すぐに一缶分がなくなる。溶けだした分はかなり少なく<目>の山に紛れた。

「混ぜるからどんどん入れてくださいね」

「ええ。しばらくぶりだから」

 跳ねない様に静かに縁から注ぐ。鉄の棒を使って混ぜられ、溶けて空ろな<目>が消えていく。ぴぷぴぷぴょーいの後ではもう溶けるより他ない。

「あと何缶残ってますか?」

「二つだけ」

 黙々と作業をして、もう腕が痛く箱の縁を支えにして携行缶をゆっくりと倒す。不意に震える腕で溢しそうになる。嫌な灯油の臭いが漂う。火事にならないように気をつけないといけない。

 危ない。可燃物を大量に扱うには資格が必要だったはず。<目>だから、特例があったかな、わたしは<目>をこのように処理するルールだけが頭にある。

 やらないといけない。ぴょーい。

「あー、足りるかな?」

「どうだろうね」

 残り一缶。箱の中の目ももう数えるほど。しっかりと混ぜて灯油が表面に残っていないのを確認すると同乗者は下の管に繋がるコックを開く。だばだばと流れ落ちていく。そうやって残りの<目>だけが残る。

「大丈夫そうです、最後入れちゃいましょう」

 コックを閉め、入れるように手ぶりで示される。わたしはもう腕がだるく感じるから、ゆっくりと動く。最後の灯油を流し込む。ぷつぷつと泡立ち、溶けて消えて最後の<目>は消え去る。

「おわったー。ふふ、疲れた」

 目はなくなった。またしばらくは見なくても済む。腕を振って、置いてあったプラ製の椅子に腰を下ろす。どうして手伝ったんだろう、やはり同乗者との関係性に思い当たらない。親しいから名前を聞けない、変な遠慮があった。

「これからがお楽しみです! 缶は端に投げといてください」

 コックを開き残りの粘土の高い液体を取り出すと、しっかりと小さいボウルに収まった。最後に鉄の箱の内側に火を点けて灯油を燃やす。

 オレンジ色の火が箱の周りから見える。少し熱い。

「危ないな……それ、どうするの?」

 ボウルいっぱいの灰色の<目>から溶け出したもの。どうするんだったろうか。

「いっぱいの砂糖と混ぜて焼くんです。年に一回のケーキじゃないですかー」

 同乗者はにっこりと笑い、家に引っ込む。

「食べるのか、食べちゃうのか」

 鍋の後に出て来るケーキは<目>で、あの嬉しそうな様子。おいしいってことなら、そう考えようとしたけれど拒否反応が出て、駄目だった。


 不意に、腕から視線を感じた。

「え……?」

 見ても<目>はない。気のせいだったろうか。


 目の季節は終わった。


~終~

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