第3話 ぷろとたいぽ
電車に乗ろうとホームに立っていた。
えのきを喉に詰まらせて、口から吐き出せよ。それが白身だろ。きたねえ言葉だ。
黄色人種特有の白過ぎない白さ、細くはあるが日本人らしい寸胴体型、少々エラの張った顔を隠すような髪型はスーパーに売っている茶えのきに似ている。
歯ごたえだけの鍋の邪魔者。しかし、食べるのは容易い。時に喉につかえるのは彼女なりの犯行である。だから会わずにはいられねえし、吐き出してやりたいんだ。
「滅亡しようとしている。だから電車が止まっている」
「ただの人身事故。それよりもポールシフト、太陽の放射線で焼かれる」
目の前のスーツの男女が真面目な態度でふざけた話題を言い合っている。疲れているのか。
社会が疲れているのか、この代表的な社会人が滅亡について話す。疫病のように蔓延してやがる疲れ。戦い。そうして吐き散らした飲み屋街の地面。
滅ぶなら、その最後をえのきちゃんと一緒に過ごすのは違うような気もしている。乳房を紙に書いてオナニーでもしていた方がマシだ。
滅んでいくオレの精子とぐわっと頭を殴る倦怠感の中で滅されたいもんだ。
『ただ今……線路内の安全を…………復旧は……』駅員の放送は途切れ途切れで聞こえ辛く、スピーカーはザラザラとノイズがずっと乗っている。
ここは、古い駅でも、資金繰りに苦しむ地方でもない。どこか変な感じがある。
それか、オレも『疲れ』にやられてデモ行進ゾンビになったのか。
「電磁波攻撃だ! 俺たちは電子レンジの中に!」
背の低いオッサンがそう叫び、バンバンと手に持ったファイルを脚に叩きつける。負荷の高いクソみたいな社会、短絡した労働者だ。あれはオレの末路だ。
オレは定期的な仕事をしたことがないから、その辛さを妄想する。スーツを着て、毎日会社に通い、親の言いつけのように仕事を取り出す。表向きの人の良さをいつも周囲へ見せつける、金を稼ぐ、出世する、やり甲斐が重石のようにオレを深海へと引き込み、疲れ切った表情を列車の窓に見る。
親になったんだ。親になったんだよ。お母さん、お父さん。そうやって、家庭があることだけが自分を上昇させてくれるんだと学生の頃から何も変わっちゃいない生き様を垂れ流してああなる。瑕疵が広がり、痂疲は
そんなことを続けて、気付けばあのオッサンがオレと同化していく。だから他人事とは思えない。
オレだって、歳を取ればわからないからだ。歳を取るのがわからないんだ。
しかし、あの、周りの哀れな目はない。気のせいと気遣いのグレーな悪意。
こんな風に短絡した人がいれば、それを撮ったり、居ないものとして振る舞う。面倒に遭いたく無いから、ハンバーガーとコーラを持っているから、パロディ化して消費したいから。そんな叫びは日常に消音されて誰にも聞こえない。
「あ、電車来た。やっぱりポールシフトで皆死ぬんだよ」
駅の放送はノイズを垂れ流すだけとなり、電車が非常にゆっくりとした速度でホームに入ってくる。中は墨が詰まった様に真っ黒だ。
素直に受け止めるなら、電車は動いていないはず。それを無視して動いている。労働ゾンビ。または指示語が壊れた正常な機械。
電車には人間がいっぱい詰まっていた。だから彼らは墨だ。
「人間爆弾だ! 七十億の破裂を仕込んだ宇宙人め!」
子供たちが走って来た。彼らは笑って水風船を電車に投げ付ける。見た人は注意しない。中の液体は手の込んだメロンソーダ。電車はシュワシュワ炭酸気分。
きっと駅員が注意するだろ。そんな無関心か普段なら共有されるものの、今日は違っている。誰もが個人的埋没で無関心を殺した。
「亡国のスパイが遂にここまで……」
それを見た厚化粧のおばさんは言葉を失い、周囲の人も「やはり人はもう奴隷化している。「大丈夫さ、明日には全員人の生を終えるよ、もう地底人が用無しだと「チップを仕込まれた者達が核戦争を始めたんだ「黙れ偽人間ども、殺してやる」と、最後に殺意を露わにした男はどこかへ駆け出して行った。
電車の扉が勢いよく開くものの、降りる者はいない。ぎゅう詰めの車中で、人々の顔は恐怖に歪んでいる。
分子結合が離れない様に、墨でありたい。オレもそうありたい。外に飛び出さないように、どこへも行かないように。
「早く閉めてくれ、早く早く早く。息が出来ない!」
みんな口をしっかり閉じているものだから電車が話しているように聞こえた。
これは無理だ。尋常じゃない様子がここから離れろと言っている。
どうせ、まあ。離れても、同じなんだろうけどさ。
オレは改札を出る。改札は壊れていた。
どうやら今日はヤバい日らしい。
だから〝えのきちゃん〟に会うより他にない。
安アパートに住むえのきちゃんは、貧しいながらも日々を楽しもうとしている。何重にも取り付けた錠、防犯センサー。すりガラスの窓に取り付けられたカメラは動いている。その側に人の姿が見える。
えのきちゃんは部屋にいるようだ。
ドアをノックする。事前に取り決めた回数とリズムを刻み、えのきちゃんの納得を誘う。カッコカッコカカカコタタテ。
カメラで見ているわけで、分かっているが必要な儀式。友人達は「ヤレる女の子なんて他に腐る程いるだろ」と言い、オレは「他人と世界を共有してない女の子は少ない」と返した。
独特な警戒心はカメラとノックの儀式で和らぐ。
「レッツ堪らんの儀! 致すのじゃ」
ドアが開き眼前にノートPCが差し出されている。簡便に表現された妖狐の絵は薄暗い地下室で描かれたものだろう。デフォルメされた声はえのきちゃんのものでもない。エロデジタル紙芝居。浮き世のデンタルフロス。
「さては買ってないな」
このデジタル芝居は男向けで、こいつの趣味とはかけ離れている。だから買うはずがない。強調された性、単調な白赤の服、パッケージングされた声とノイズ。
情報犯罪。えのきちゃんは時々スリルを感じるために悪事に手を染める。この作品自体に興味があるわけでもなく、もしかしたら逮捕されるんじゃないか。そういった気分を味わいたいと言っていた。
ごくごく小さなものがこいつの対象だった。中でも悪魔の所業と呼ぶ「本屋の万引き」をした時の罪悪感はかなりのものだと嬉しそうに話していた。
「滅ぶんだからいいでしょうに」
興味を無くしてPCを隣の洗濯機へ置く。顔を染めた狐娘は壁に向かって笑顔を見せている。誰かのリビドーの目的地は無駄に消費された。
「なにが」
「人間」
えのきちゃんは深緑の部屋着だけを身にまとい、その安っぽい体を晒している。オレはそれを見ても何も思わない。悪びれもしない差別主義者だからだ。知り合いは馬鹿にしていたが、この色気の無さが良い。
人間は滅ぶ。それがどの程度のスケールを持っていてもまず間違い無い。
「テレビ、見た?」
オレは見ていない。今日の朝まで酒と頭痛薬を回していたから、今も現実は浮いている。えのきちゃんの部屋の奥にあるテレビがニュースを流している。
「本日のニュースはこちらです。順を追って見ていきましょう。アナウンサーの笠沙さんは昨日神と一つになりました」
塗装の剥げかけた簡易丸机にスマホを投げ出し、星があしらわれたクッションに尻を乗せる。しゃり、じゃり、と中の詰め物が端に追いやられる。座ったオレも窮屈に感じる。他人のいる部屋は狭い。二酸化炭素が倍だからだ。ヴィーガンになろう。
画面に映っているのは気の触れた男性キャスターで、目を見開いて笑っている。もちろん表示されている項目もこれまで見たことがないものだ。
・昆布が大量増殖!? 汚染された海は今
・謎の奇病の死者が十万人に到達、感染を予防するには
・三日後に隕石落下の可能性
・人類滅亡デモ、参加者十億人突破
・敗れた正義をもう一度
・人間を食べよう法案可決へ
昆布に滅ぼされる人類。出汁人類は自動販売機を全部出汁に変えてしまった。
オレ等はコーラを飲めずに憤死するのだろう。炭酸出汁なんてゴメンだから。
「みんな滅ぼうとする。シミュレーションでしかないのに」
電熱線のコンロが赤くなり、湯が沸かされる。これもシミュレーションか。
時間を見れば、もう夕方だった。ここまで歩いて来たものの、それほど時間はかからない。酒のせいか時間感覚は曖昧だ。
ただ、オレはえのきちゃんが何を言っているのか、時々わからない。お遊びとでも言いたいのか。滅ぶのも宇宙のくしゃみだって。
「シミュレーション?」
文脈の無い会話、なにかの反射のようなオレ。反芻をしたことが一回だけ有る。あれはマジに気色悪い。牛さんごめんなさい、沢山食べるから許せよ。
それも、この奇妙な今日が人を変えているのか。人間は適応障害の生物である。毛を剃り、臭いを忌避し、肉体が異常だと骨を削る。骨延長の恐怖をレントゲンに添えて。ぐがが。
「挿入された意識の自己逃避、滅びたいのは誰だろう」
全員がそれを願う。オレでもこの状況がおかしなものだと分かる。耳に開けたピアスの穴に指を入れても、酔いが覚めるわけでもない。
「虫だ」
うねうねとしたそれを指で押し潰す。そのまま付いた体液を壁に擦る。オレは何をしに来たのか。酒、ソシャゲ、女、この虫と同じ。クソみたいなループだ。
駅で見た連中も、ここへ来るまでに見かけた連中も、変わらない。湯は注がれるし、えのきちゃんはノックのルールを守る。
「ところで、スープ飲む?」
有無を言わさず粉末スープを湯で溶いて渡してくる。
オレの嫌いなトマト味。トマトは吐しゃ物の味。吐き気がする。
「いらない。……ありがとう」
口をつければ毎度吐きそうな味が舌を転がる。人の嫉妬みたいな味がする。だからえのきちゃんの所でなら飲み込める。アレキサイミシアと意気込んだえのきちゃんがただ語感で生きる生き物だって、知らない人はオレくらいだ。
二口飲んで机に置いておく。放っておけばえのきちゃんが飲んでしまう。こいつは貧しいから。鈍するのは社会から逃げる為だろ。
「でも、急に隅田川の花火が見たいだなんて」
オレはそんなことを言ったような、覚えていない。予定表に行き先が書いてあったから来た。醜い場所取りのヤカラにはなりたくないと、知り合いとWデートをした時に三人とも気持ち悪くなって切った記憶しかない。
ばあちゃんが言っていた。我利我利な人にはなるなと。
自堕落な今でも、その言葉が浮かぶ。妄想だからだ。
そんなばあちゃんがいれば良かったなと。そうすれば人生はもう少しマシになっていた筈だ。じいちゃんではダメだ。社会を見て回っちまうから。
「ここからでも見えるだろ」
「ほとんど音だけ」
カーテンを開ける。オレはどこから花火が上がるかもわからない。ビルとビルとビルと平成を象徴した白い鉄塔。東京スカイツリー。三十二メートル足りないのは本当に残念だ。どうしてオーメンを頂きに仰がない? それが終わりだろうが。
「酒、ある?」
オレは飲みたい気分でもない。えのきちゃんの変な顔で思い出す。この家には日々を楽しめる最小限のものしかない。水と少しの肉、傷みかけの野菜。
「ないな。買って来て」
そういってオレが財布から取り出した千円札をえのきちゃんは受け取る。そしてそれを丁寧に畳んで貯金箱へ落とした。
「罰金、今回で十七回目」
すっかり忘れていた。あまりにも酒を飲むものだからオレとえのきちゃんで取り決めた唯一の約束。つまりはばあちゃんだ。
それでもオレは酒が欲しかった。飲んでいれば、クソ真面目な精神と向き合わずに済むから。これはばあちゃんの知恵。罰金とお小遣いと百点満点のテスト用紙。
「もう人が沢山いて、売ってないよ」
立ち上がるとえのきちゃんが冷静な判断を下す。分かっていてもオレは玄関のドアを開けて、外を見る。
外には沢山の人が集まっている。ただただ、花火を見る。それだけの理由で集まる。単なる言い訳作り。言い訳で世界は回っている。デモグールの濁っためだま。
いつものイベントとは違って共有するものがもう一つ。
「月が落ちてくる」大地は水没する」この日、核戦争が起きる」哀れな弱者の印象操作で戦争が」微笑生物に乗っ取られる意識、もう人間なんていないのさ」一緒に死のう「焼かれて死ぬ、怖くない?」
全員なんらかの〝終わりのイメージ〟を本当に起きることとして捉えている。ポップで、芸能人のゴシップのように消費される話題として。消費者は消費そのもの。人間はヴォルプタス。早くヌーメンを抽出しろ。
残念ながらオレはそのイメージを共有していない。疎外されている。えのきちゃんは常に無表情でいる。そんな演技がオレ等人間の病。
今のえのきちゃんはどうだろうか。ドアを閉め、彼女に向き直ると、二十円かそこらで買える駄菓子屋の粉末ジュースを水で溶いている所だった。
「外に出れない」
「始まるまで待てば行ける。飲む?」
差し出されたコップの中は薄い水色で、粉末ジュースの袋にサイダーと書かれている。サイダーとはなんだ。薄い青色がサイダーなら、薬品の橙がオレンジジュースだ。
「飲まない」
甘みだけのまずい味。この部屋にはオレの嫌いな物が揃っている。歯槽膿漏のように湿った室内も、壁に空ろな笑みを浮かべる妖狐も、トマトも、罰金もだ。
でも何故か、えのきちゃんの部屋がそうなっていることを嫌いになれなかった。彼女がここで小さく居を構えているのが、オレはいいと思っている。
「そう。どこで聞く?」
どうせ見えないだろうと考えているのか、えのきちゃんは興味があまりなさそうな様子だ。実は見たいくせに。
「聞こえてから、適当で」
オレはタバコを探したが見当たらない。これもばあちゃんのなんとやら、だろう。
「吸う?」
えのきちゃんはそんなオレを見かねて手製のタバコを渡してくる。
曰く「そこら辺の草を厳選してます」と自信アリだ。オレは手を振って断る。以前試したところ、一瞬にして体が拒否したのを覚えている。やはり吐き気だ。蟹め。
「オーガニックは水だけで十分だって」
人間だから人間が作った物を食う。シンプルに文化的だ。
パパン、パララ。花火の試し打ちか何かの音が聞こえる。ドン、ドン、ドン。これは、玄関を叩く音。
「また来た。出て」
「ぇーい」
えのきちゃんはその手製タバコに火を点ける。焦げ臭く、タバコらしくない奇妙な匂い。オレは違法なものを心配したが、その点はぬかりないようだ。何がだ。
ばあちゃんを呼ばないといけない。
戸口に立っていたのは人の好さそうな老人だった。
「彼氏さんか。家賃滞納分、三か月になるんだよ」
家賃の支払いが滞っていた。えのきちゃんは貧しい。大家さんは先が短い。オレは部外者だ。
「三か月分」
「そう。三か月分で十五万円。流石に払えなければ、三日以内に立ち退いて貰いたくてねえ」
柔和な顔は更に柔らかくくしゃくしゃとなった。そのまま丸めてやりたい。
「オレも持ってない」
「今はこれだけしか。‥‥駄目ですか?」
えのきちゃんはオレの罰金一万七千円を持って来る。ばあちゃんはたった今亡くなった。荼毘に伏した。悲しみの涙にくれる間もなく。
「たったの一割。貴女ね、生活を舐めちゃいけない。三日以内に払えなければ、終わり。この世のようにね」
受け取らず、微笑んだままドアを閉められた。カツ、カツ、とゆったりとした足で去っていく。
「どうすんだ?」
「出てく」
えのきちゃんに先は無い。日々を楽しむ貧しさも取られてしまう。口調は淡々としている。
オレにはあまり関係がないし、家に来られても困る。
「ま、あんま気を落とさず、やってこう」と、適当な慰めを口にする。
「どこでも生活は出来るよ。人間は頑丈だから」
そうかもしれない。今日はみんな〝終わってる〟から。
ドーン。パララ。花火大会が始まった。
安い丸テーブルには変な匂いのタバコもどきが置いてある。オレはその臭いがやっぱり嫌いだ。えのきちゃんの部屋だから、嫌いだ。
唾を吐いて、火を消す。唾からタバコが入ってくるような感覚がある。口を濯がないと。
「外、行こうよ」
「いいね、酒とタバコ買わないと」
えのきちゃんはお手製のタバコを取り出したが、吸わなかった。オレは流しで口を洗う。ただ、タバコが入ってくる感覚は消えなかった。
「これもシミュレーションか?」
「コンマ一秒前にね」
オレは冗談のつもりだった。えのきちゃんは真面目だった。例のクソ真面目な精神。じろじろと見るめだまを洗浄しなくちゃな。
外では花火が立て続けに上がり、空気を震わせている。まだ少し明るい。
花火師達も〝終わりのイメージ〟に急かされているのだろうか。そもそも、花火は終わりの権化、それを固定したいだなんて言わねえから。
バックに浴衣の男女でも載せて、地球ごと爆破してしまえばいい。
「ほら、ゆっくりしてないで」
オレはゆっくりしたつもりはなかったものの、えのきちゃんからすれば遅い。
「どこだよ」
ドアを開けて、空を見る。明るさのせいか、どこで打ち上がっているのか見えない。今は音の方が早いらしいが、スカイツリーだけは良く見えた。刺され。
沢山の人ががやがやと深刻な面持ちで何かを話している。
「どうしてだと思う? 元型だなんて言わないでね」
オレはえのきちゃんの少し後を歩く。ゆったり歩くのが好きだから、誰とでも自然とそうなる。それを疎外感と言い、悲しむ男の子は卒業式にパイプ椅子をぶん投げた。宙を舞う椅子。みんなの見て見ぬめだま。タピオカ。
「タピオカみたいなもんだろ」
ああいったアホらしさがオレ等には必要だろう。客観視するつもりもない。
えのきちゃんはこちらをチラリと見ただけで返さない。喋る手間が省けた。
「あ。あれ」
周囲から歓声が上がる。「俺達の終わりだ! 遂にやったぞ!! ほら!!!」
「……は?」
何事かと思い、えのきちゃんが指さし、盛り上がっている連中の視線の先を辿る。
飛行機がスカイツリーへ真っすぐ突っ込んでくる。ダルマ落としのように展望室と入れ替わろうとしている。おかしの空き箱のように簡単に潰れて爆発する飛行機。オレは正気なのか?
ジェットエンジンの轟音が聞こえたと思った瞬間に激突し、破片をまき散らして展望室を飲み込む。
その砕けた航空機は9.11を思い出させた。意義のない破壊、恐怖だけがそこにある。あの時オレのガキも青春も大人も老人も終わった。朝四時ごろの
途中から折れて巨大な鉄塔はこちら側に倒れる。離れていても目の前の建物がそれに押し潰されるのは気分が悪い。煙と、人々の叫びと、炎と、サイレンと、花火どころじゃない。
「この最期にですね、VXガスの爆弾が破裂してみんな死ぬんです」違うね、隕石墜落を誤魔化す花火だ、そうやって俺たちは死ぬんだ」
しかし、周囲の人々は恐れていない。むしろ嬉々としている。
オレが子供の時に見たあの現実感のない現実がそこにあった。にも関わらず人は騒がない。変わらずに滅亡の話をしているだけだ。
「ほら、この体もデータでしかない。皆、作ってあるだけだから」
えのきちゃんは手すりを握れない。クソ真面目なデータだから現実世界に干渉できない。阿呆か。
握り損ねた。それは本気か冗談か分からない。
「叫び声が聞こえない。本当に〝終わってる〟のか?」
途中で分離していたのか、飛行機のエンジンが爆発音を響かせ火の手が上がる。
ここも直に危なくなる。オレはえのきちゃんの手を引いて、ここから離れようとする。手は硬直して、クソ真面目なデータのようだ。バグれ。
「どこへ?」
「どこでもいい」
崩れたスカイツリーは展望台から上がなくなっていた。
オレはさっきから現実感がない。ああ、シミュレーションって、こういうこと。
「どうして滅亡するってのにこんなくだらない男と一緒にいなきゃいけないの!?」
「ああ? 汚ねえ顔で泣くんじゃねぇよ」
惨状の中、殴り合いを始めるカップル。血と飛び出す前歯。とても個人的な行動で、滅亡だなんだと騒ぐ人より好感が持てた。
オレ等が通り過ぎた後ろで叫び声と暴力が哭く。オレはそれに少し安心した。
彼等の叫び声はサル、オレ等が霊長類だと教えてくれる。ばあちゃんも喜んでくれるはずだ。二酸化炭素になったばあちゃん。今はみんなから嫌われちまった。
「これは人間を陥れるバイオテロ。凶暴になるのも死ぬのも全部、私の手で打ちのめすしかない」
駅で見たナイフを持った男がぶつくさと呟きながら歩いていた。
ゆったりとした歩行の男はナイフを両手で持ち、何かに祈っていた。
ばあちゃんの声だ。まだ、嫌われちまったわけじゃないんだ!
「やってみろよ阿呆」
オレはえのきちゃんから手を放してその男を蹴り飛ばす。
だからオレは、馬鹿馬鹿しさを感じてそうした。
「偽人間め、私は知っているぞ!」
男はナイフを取り落とした。よくよく見れば小さく、錆ついて用の成さない果物ナイフだった。
「静かに花火でも見てろや」
それでオレはそのクソみたいなナイフを拾い、その丸まった背中を鼓舞するように叩く。
そいつはそのまま地面に横になり、動かなくなった。
「私の手で、私の手が欲しい」
パン、パパパパパパパパパ。ソイツから煙が上がる。持っていたらしい爆竹に着火したみたいだ。
下町は墜落した飛行機で燃え、男と女は殴り合い、阿呆は爆竹を鳴らす。
「花火、誰も見ていない」
えのきちゃんは相も変らぬ真面目さで打ち上がっている花火を指さした。
後ろの酷い人災に張りあうように、息つく間もなく打ち上げる。怒ってんのか?
「じゃあなんで集まってるんだ」
喜び勇んで墜落現場へ走っていくヤツ、花火に仕組まれた〝終わり〟を語るヤツ、没入世界で〝終わってる〟ヤツ。オレとえのきちゃん。クソ真面目でむいみな精神ども。
目的地は分からない。花火はオレ等を急かすように低音を響かせ、背後から煙が追ってくる。
「花火を見たくないから、こうして集まって来た。違う?」
「意味不明だな」
オレ等は小走りでとにかくこの喧騒から離れようとしていた。
爆発も粉塵も妄想も。とにかくここから離れないと。
ばあちゃんはその中で消えた。そもそも生まれる前から施設の中に居たからほとんどいないようなものだ。
人の少ない小道を進み、曖昧に歩く老人と子供はけん玉をぶら下げていた。
「じいちゃん。この玉で地球、粉砕出来ないかな」
「いいかい、おれが突撃銃を持っていた時は、全部粉砕してきたんだ」
老人はけん玉を振り回し、子供は羨望の目つき。
「「あれも粉砕だ!」」
勿論、彼等も騒動の発端、事故の現場に向かう途中だった。
そこから離れるオレとえのきちゃん。他に似たような人がいないか気にしているが、見かけない。
「近づいてくる」
「なにが」
オレの方が先に息が上がる。少しペースを落としつつ、視線は休める場所を探していた。
えのきちゃんの言うことはうっすらと分かる。聞きたくはないが、オレの中から聞こえてもくる。
「終わりが」
「なんで」
それなら走り続けないと。しかし、どこへ。そもそもどうして〝えのきちゃん〟に会いに来たんだ。隅田川花火大会なんて、柄にもない。ばあちゃんだっていないってのに。
何か、えのきちゃんが言っている。反射しないと。
空気が足りない。オレの頭が酒でいかれた。この〝終わり〟の雰囲気に、オレは反抗する。ちくしょう、デジタルエロ紙芝居の妖狐が笑いながらキレちまってる。
オレはどこからむかって来た。ughhh.
「家は三日前からなかったって言わなかったっけ?」
オレはどこからいしきを向けている。
「酒とタバコで曖昧になってるだけだって」
オレはどこからみている。
「ここから、逃げないと」
オレはなにかがちがっている。
「もうシミュレーションは〝終わってる〟よ」
オレはどうすりゃいいんだ。
「とにかく、花火も飛行機も集まる為だから」
オレはここで死んじまうのか。
「タバコならあるよ。吸う?」
とにかく、息が切れて走れなくなるまで、走った。
「ちょっとまって」
えのきちゃんは貧しかったが、運動だけは出来た。もう三十分くらい走った気がする。目の前にはずっと貧相な背中があった。半裸で、そのしょうもない背中がどうしようもなく性的に見えて、それだけが走る理由だろうが。
オレはよくわからない公園のベンチに座っている。ベンチ以外ない公園。
えのきちゃんは涼し気な顔で、お手製のタバコをやり始める。もう陽は落ちていた。花火はもう聞こえないし見えない。折れた象徴と火の赤だけが遠くに見える。
「なんだかよくわかんないけどさ、吸うよ」
嫌いなもの。えのきちゃんと一緒に居ると必ず目の前に出される。
それは苦く、煙ったく、酷い代物だ。オレの目の前が煙の中で明滅する。
ここはあのお祭り騒ぎから離れている。
「オレ、タバコ止めてたんだよね。どうしてくれんの」
けど、それは嫌いじゃない。
こいつがいる時、オレは素直になれる気がしている。ばあちゃんのお陰だ。
「〝終わってる〟んだから、そんなシミュレーションも」
「ああ」
確かに終わってる。こんな意味不明なことばかりあってたまるか。
「だからさ、わたしは樽野ヒノキだって」
「ああ?」
今更ヒノキちゃんだなんて、オレは許さない。
「どっちも同じだろ」
「ふーん」
オレは変わらず、えのきちゃんは携帯灰皿を差し出す。
ぼろぼろと落ちる灰は受け止めきれず、オレの服にくっ付いた。
「腹へった。こんなの」
灰を払って立ち上がろうとすると、えのきちゃんは手を引く。
「なんだよ」
サムズアップ。初めて見た。
仕方なくベンチに背中を預けて空を見る。
「ほら、あれが最後」
オレは花火の終わりを見た。
おそらく、これが最初で最後だろう。
~~終~~
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