第10話 コイビトつなぎ②

 そういう雰囲気……に俺がする?

 つまり――え? どうやって……!? ぎょっとして視線を戻せば、


「てか……そもそも、そういう雰囲気にするためにまず手を繋ぐもんなんだけどな!? つまり、お前は今、スタートラインにも立ってねぇんだよ」頬杖つきながらぶつくさ遊佐は続け、冷ややかな目で俺を睨みつけてきた。「お前がいつまでも『お友達』気分じゃ、香月ちゃんだってやりたくても誘いづらい――」

「遊佐先輩!」


 突然、絢瀬が悲鳴のような甲高い声を上げ、遊佐の言葉をかき消した。

 何事か、と見やれば、絢瀬は珍しく顔を強張らせて、俺たちに何かを訴えかけるようにチラチラと隣に座る瑠那ちゃんへ視線を向けている。俺も遊佐もしばらくそんな絢瀬を見てから、ほぼ同時にハッとして、


「う……腕相撲の話ね、瑠那ちゃん! 手を繋いだら腕相撲をやりたくなっちゃうよね、ていう――なあ、笠原くん!?」と遊佐がいきなり見切り発車しやがったので、腕相撲ってなんだよ!? と心の中で叫びながらも「そうそう」と慌てて飛び乗った。「俺も香月も腕相撲が好きで……」


 背中に嫌な汗が伝っていくのを感じる。俺も遊佐もきっと情けないほどに顔が引きつっていることだろう。高二の男二人が小学生の女の子を前に慌てふためく姿は、いったい周りからどう映っているのやら。想像もしたくない……。

 視界の端でカブちゃんの様子を伺えば、口元を固く引き結んで険しい表情で瑠那ちゃんを横目で見ている。心なしか顔色が悪く、生きた心地がしない――と言わんばかり。

 でかい図体に、彫りが深く貫禄ある顔立ち。金剛力士を思わせるような迫力あるその見た目に反して、内面は雄大な草原を思わせるほど穏やかでおおらか。昔からお人好しなほど優しい奴で、それは今も変わっていないのだろうと今日会ってみても思った。そんなカブちゃんのこと。小学四年生の女の子には全くもってふさわしくない話をしだした俺と遊佐に「やめろ」とも言えず、内心はあたふたとしながら石像のごとく座視していたのだろう。

 心底、申し訳ない。

 あとで遊佐とともにちゃんと謝ろう、と固く心の中で誓った。

 そのときだった。

 じっと黙って俺と遊佐の腕相撲トークを聞いていた瑠那ちゃんが、おもむろに口を開き、


「香月ちゃんは腕相撲がしたいわけじゃないと思うよ、陸太くん」


 曇りのないガラス玉をはめこんだような透き通る瞳でじっと俺を見据え、きっぱりとそう言った。

 え……と俺も遊佐もあんぐり口を開けて凍りついた。


「男の子っていつまでも子供なんだね。遊ぶことしか頭に無いの? 陸太くんがそんなんだから、香月ちゃんに寂しい思いをさせるんだよ」


 物憂げにため息吐かれ、「ご……ごめんなさい」と遊佐まで一緒になって謝っていた。

 そんな俺たちにカブちゃんは「いやいや、こっちがごめん!」と慌てて言い、「瑠那、失礼だぞ!」と今度は瑠那ちゃんに振り返って叱りつけた。しかし、瑠那ちゃんはそんなカブちゃんの諌める声など何処吹く風で気に留める様子もなく、


「陸太くん、香月ちゃんのこと好きなんでしょ。もっと香月ちゃんのこと、考えてあげなきゃだめだよ」


 キラキラと輝く瞳をまっすぐに俺に向け、瑠那ちゃんは優しく諭すようにそう言ってきた。

 胸が痛い、なんてもんじゃない。

 悪意も邪気もなく、純真そのものの瑠那ちゃんの言葉は、澄み切った刃のごとく切れ味抜群に心を切り裂いてきた。

 ぐうの音も出ない。その通りだ、とつくづく思って、「はい……」と力無く答えていた。そんな俺に瑠那ちゃんは不思議そうに小首を傾げて、「もしかして」と呟くように言った。


「陸太くん、手のつなぎ方が分からないの? だから、手をつなげないの?」

「え……いや……!?」


 咄嗟に、違う――と言いかけ……言葉に詰まった。

 確かに、と思ってしまった。

 香月が手を繋ぎたいと分かった今、会ってすぐにでも繋いでやりたいと思う。でも、正直、どうやって繋げばいいのか分からない。どういうタイミングで、どんな風に手を繋げばいいのか……イメージもつかない。小さい頃は、すんなりできていたことなのに。お互い『子供』だったのが『男同士』になって、手を繋ぐこともなくなって……もう何年も経ってしまった。それで、今度は『恋人』として手を繋げ、と言われても、どう繋げばいいのか全く分からない。

 もちろん、そんなことを小学四年生にだらだらと語れるわけもなく。

 気を取り直して、大丈夫だよ、と言おうとしたとき、


「大丈夫だよ!」とまるで俺の心を読んだかのように瑠那ちゃんが元気よく言って、「分からないなら瑠那が教えてあげる。この前、瑠那も本庄ほんじょうくんに『コイビトつなぎ』教えてもらったの」

「どういうことだ、それは!?」


 かっと目を見開き、動揺もあらわに裏返った声をあげたのは、もちろん、俺――ではなくカブちゃんだった。


「本庄くんって誰だ、瑠那!?」とたちまち狼狽えて声を荒らげるカブちゃんに何か答えるわけでもなく、瑠那ちゃんは「お兄ちゃん、手貸して」とカブちゃんの左手を取った。


「いや、瑠那!? 本庄くんは何者なんだ? なんで、本庄くんが恋人繋ぎを瑠那に教える!? どういうシチュエーションで本庄くんとそんなことになるんだ!?」


 まるで娘に彼氏ができたと聞いた父親のように取り乱すカブちゃん。それをまるでBGMかのように平然と聞き流し、瑠那ちゃんは「セナちゃんも手伝って」と今度は絢瀬の右手を取った。

 そうしてカブちゃんがラップのごとく『本庄くん』を連発する中、瑠那ちゃんは目の前に引っ張ってきた二人の手首を交差させると、ぴたりと手のひらを重ね合わせた。

 その瞬間、カブちゃんの声がぷつりと途絶える。


「『コイビトつなぎ』はね……こうやって指を絡めて手をぴったりくっつけるんだよ」

 

 まるで粘土を捏ねて作品でも作りあげていくような。瑠那ちゃんはせっせと楽しげに、重ね合わせた二人の手の指を一本ずつ絡み合わせては折っていく。やがて、骨ばったカブちゃんの大きな手と、絢瀬の白く滑らかな手はしっかり繋がって――ひとつになった二人の手を満足げに眺め、瑠那ちゃんは「はい、できた!」と両手を高々と挙げた。


「これが『コイビトつなぎ』だよ。こうするとね、二人の手は固く結ばれて離れないの!」


 にぱっと満面の笑みで、誇り高げにそう言い放つ瑠那ちゃん。

 その傍らでは、カブちゃんがまさに金剛力士像のごとく強張った表情で固まっている。見開いた目で見つめる先には、がっちりと恋人繋ぎで結ばれたカブちゃんと絢瀬の手が……。

 困惑と動揺がその目の奥で渦巻いているのが見えるようだ。

 本庄くんに気を取られている隙に、気づけば絢瀬と手を繋げられていたんだ。男子高に通うカブちゃんは、むさくるしい奴ばっかで『カヅキ』の有り難みを思い知る日々だ……とか前に言ってたし。いきなりの恋人繋ぎの衝撃たるや、計り知れないものがある。

 今にも倒れるんじゃないか、と心配になりながら見つめていると、クスッと笑う声がして、


「固く……結ばれちゃいましたね」


 絢瀬が頰をほんのり染めながら、少し照れたように笑ってカブちゃんにそう言った。

 その瞬間、カブちゃんの顔は真っ赤に染まり、ぼん、と人の頭から湯気が出るのを初めて見た――ような気がした。

 目を点にして絢瀬を見つめて黙り込むカブちゃん。さっきまで金剛力士のように硬かった表情が嘘のよう。その顔はすっかり緩みきって、だらしがないほどで。魂でも抜けてしまったかのようだ。

 そうして、絢瀬と手を繋いだまま、茫然と絢瀬を見つめるカブちゃんをしばらく眺め、ふいに、隣で「な」と遊佐がぼそっとひとりごちるのが聞こえた。

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