第5話 理想と現実②

 ああ、たしかに――と、言われて気づく。

 絢瀬と目が合っても、もうなんだ。あの頃みたいに、恥ずかしくなったり、照れくさくなったり、胸が高鳴ることもなくて……そして――。


「ちょっと、期待しちゃってたんですからね」と絢瀬はふいっと顔を背けて前を向き、わざとらしくいじけたように唇を尖らせた。「保健室で再会した時も、その次の日に階段で会った時も……センパイ、私のこと見るなり逃げ出したじゃないですか。私のこと覚えてない、なんて嘘まで吐いて。だから、ほんのちょっと……もしかして――なんて思ってたんですよ。実は、まだ私のこと気になってたりするのかな、て」

「あ……それは……」


 いきなり、ひゅっと肝が縮むようだった。途端に気まずくなって、俺は視線を泳がせながら、「いきなりで、びっくりして……」とぎこちなくも必死にごまかしていた。

 言えるわけもない。絶対に言っちゃいけない。こればかりは――あのトラウマの真相だけは、墓場まで持って行く。一生、誰にも言うつもりはない。じゃないと……もし、万が一、絢瀬が知ってしまったら、きっと傷つける。絢瀬も俺を好きだった、と知った今、なおさらに絢瀬には知られたくない、と思う。知って欲しくない、と思う。

 決意を固くするとともに、「『ラブリデイ』が恥ずかしくて逃げた」だの(それは半分本当なのだが)、「絢瀬は今やモデルだし」だの、あれやこれやと思いつく限りの言い訳を並べまくる俺に、「分かってますよ」と絢瀬はやんわりと制し、


「また逢えたからって、あのときに戻れるわけじゃないですもんね」と、あっけらかんと言った。「理想ゲーム現実リアルは違う。モナちゃんやミリヤンみたいに……ずっと同じ姿のまま、同じ気持ちで、そこに居てくれるわけないんですよね」


 冗談めかして言いながらも、ヘヘッと浮かべたその笑みはどことなく強張っているようにも見えた。

 それが、痛々しいくらいで。

 そうだな――なんて、とてもじゃないが、軽々しく言えるような雰囲気じゃなかった。

 なんと声をかければいいかも分からず、黙り込んでいると、


「そう分かってはいた……んですけど」とぼそっと言って、絢瀬はジトッと俺を責めるように睨みつけてきた。「やっぱりショックです。昔のこととはいえ、『好きだった』て伝えて、あんな顔されちゃうと」

「え……」とぎくりとする。「あんな顔……?」

「『だから、なに?』て顔に書いてありましたよ」

 

 ツーンとして言う絢瀬。

 思わず、「ぬあ!?」と変な声が出ていた。


「え……いや、そんなことは……!?」


 あたふたとする俺に、絢瀬はぷっと吹き出し、「冗談です」とクスクス笑い出した。


「――困った顔、してました」


 困った顔、か……。

 からかうようでいて、少し、責めるような。そんな絢瀬の言葉を、俺は否定することができなかった。

 そんな顔をしていたんだろうな、と思ってしまった。


 絢瀬も俺のことを好きだった、と聞いて、『だから、なに?』とは思わなかった……けど。

 だから、どうしたい、と思うこともなかった。

 あのころの絢瀬への想いは、確かに胸の奥に残っている感じがする。ときめき――とでも言えばいいんだろうか。あの頃、『妖精』に会うたびに感じていた高揚感は、今も絢瀬に会うと蘇ってくる気がする。でも、その感覚はもう『愛おしい』ではなくて、ただ『懐かしい』でしかなかった。

 絢瀬を好きになって、『失恋』して、それからいろいろあった。思い返せば、赤面ものの失態ばかりな気もするが。それでも……後悔はなかった。

 自業自得と言えるトラウマのせいで、四年も俺は拗らせてしまった。そのせいで、失ってしまったものも多かったんだろうと思うけど――でも、ずっと傍には香月がいてくれた。それだけで、幸せだった、と今は思える。贅沢な日々だった、とさえ思う。

 そうして香月と過ごしたあの四年間を否定したくはなかった。

 だから、たとえ絢瀬と両思いだった、と聞いても、悔しいとか、戻ってやり直したいとか、そんな気持ちは全くこみ上げてこなくて……あの頃の自分に、少し申し訳なくなるほどだった。

 それくらいには、あの頃から自分は変わったんだと思う。立派になったかどうか、とか、成長できたか、とか、そういう話じゃなくて。絢瀬の言う通り――あのときの自分と今の自分は違うんだろう、と……漠然とだけど、そう思える。

 そもそも、あのときは――絢瀬セナを好きだったときは――まさか親友の『カヅキ』を好きになるなんて、夢にも思ってもいなかっただろうし。


 そんなことを考えながら、つい、ふっと苦笑がこぼれそうになった、そのときだった。


「でも……困った顔されて、ホッとしたところもあるんです」


 ふいに、隣で絢瀬がすっきりしたような清々しい声でそう切り出した。


「両想いだった、て分かった途端、もし、センパイが『それじゃあ』って私に乗り換えてくるような男だったら幻滅ですもん。自分が好きだった人には一途であってほしい、なんて思っちゃうんですよね。いくら、失恋したから、て……すぐには他の女の子にいってほしくないんです」

「なるほど、それもそう……」


 そうだよな――なんて呑気に納得しかけて、ぎょっとして振り返った。


「失恋って……誰が!?」

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