第3話 嘘から出た実②

「本当だ。顔色悪い」


 しばらくじっと俺の顔を覗き込んでから、香月は体を起こして皆へ視線を向けた。


「ごめん。俺ら、帰るね」

「は!?」と、思わず、身を乗り出していた。「いや、大丈夫だって! てか、『俺ら』って……!?」

「大丈夫じゃないだろ。見たら分かる」香月は俺を睨みつけ、はっきりそう断言した。「家まで送る」

「送るって……大げさだ! 俺が顔色悪いのは、ただ――」

「センパイ、そんなに体調悪いんですか!?」


 いつからそこにいたのか、香月の背後からひょっこり心配顔を覗かせ、口を挟んできたのは絢瀬だった。


「まさか、ずっと無理してたんですか!? ごめんなさい、気づかなくて」

「いや! 別に、体調が悪いわけでは――」

「香月」と、今度は冷静な声が割り込んできて、「それなら、俺、送るよ。陸太の家、この辺だろ。どっちにしろ、俺、氷上練習までぶらぶらしてなきゃならないし。お前は残ってろよ」


 ハッとして見れば、護が腰を上げるところだった。

 ああ、そうだった――と、ざわっと胸騒ぎを覚えて、


「いいって!」


 気づけば、とっさに立ち上がっていた。


「一人で帰れるからさ」


 いや、そもそも、体調悪くないんだけど。すこぶる健康なんだけど。顔色が悪いとすれば、遊佐の三文芝居で作られたこの重たい空気のせいなんだけど。

 とはいえ、もう何を言っても無駄な気がした。誰も聞く耳を持ちやしない。

 仕方ないよな。遊佐があんな芝居を打つなんて(倉田くん以外)夢にも思わないだろうし。いくら順番がだったとしても、だ。香月があそこまで断言するんだ。よっぽど、今の俺は顔色が悪いんだろうし。そりゃあ、遊佐の言葉を信じるよな。

 もう諦めて帰るしか選択肢はない、と俺は悟った。

 このまま、ここに残っても気を遣わせるだけだ。それに……これ以上、香月が護の隣で笑っているのを見ているのも、正直、耐えられそうになかった。それこそ、本当に体調を崩しかねない。これはこれで結果オーライなのかもしれないな――と、心の中で皮肉交じりに呟きながらも、ギロリと遊佐を睨みつけ、「じゃあ、学校でな? いろいろ話そうぜ」と含みを持たせて言い残す。

 白々しく憫笑を浮かべて「お大事にな」なんて思ってもないことを言う遊佐を横目に、


「ありがとな、護」と護に言い、俺は香月に視線を向けた。「香月もせっかくだし、残れって。な?」


 心配させないように、笑って言った――つもりだったが。いったい、どんな有様になっていたか、分かったもんじゃない。

 頰は引きつって、声は上擦る。

 遊佐の三文芝居よりずっとひどい。無様なもんだ。

 せっかくだし、残れ――なんて、思ってもないもんな。本心は、このまま香月を連れ去りたい、なんて身勝手なこと考えてる。これ以上、護と一緒にいて欲しくなくて……。

 最低だよな。護の気持ちを知っていながら。楽しそうに護と話している香月を見ていながら。それでも、残って欲しい、なんて思えない。そんな自分にひどい嫌悪感を覚えて、嫌気が差す。

 香月の顔を見ることもできなくて、「陸太」と呼ぶ声も無視してその横を通り過ぎ、


「絢瀬もごめんな。また学校で――」


 香月の背後に佇む絢瀬にそう声をかけた瞬間、ぐっと腕を掴まれた。

 はっとして振り返れば、


「一緒に……帰ろ」


 俺を見つめる眼差しはまだ鋭く、脅すようなのに。俺にだけ聞こえるようなそのか細い声は、頼りなくて。ムッとしたその表情は、今にも泣き出しそうで。

 その様は、まるでワガママ言っていじける子供みたいだった。

 途端に、身体中が一気に熱くなって、本当に熱でも出るんじゃないか、と思った。高熱に浮かされるみたいに頭がぼうっとして、良心とか倫理感とかそんなものさえ狂わされていくようで。

 間違っている、と分かっていても。こみ上げてくる罪悪感を胸のうちに感じながらも。しがみつくように俺の腕を掴む香月のその手を振り払えるわけもなかった。

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