第4話 十年
――と、勢いに任せて飛び出したはいいものの、どこに向かえばいいのやら。
個室を出たとは言え、そこはまだカラオケボックス。通路の両側にずらりと並ぶ部屋から漏れ聞こえる様々なメロディーが絶妙な不協和音を奏で、騒がしいことこの上ない。いつどこの部屋から人が出てくるとも知れないし、落ち着いて二人きりで話せるスペースなんて思い当たらない。
本当にトイレに連れ込むわけにはいかないし……。
とりあえず、人気のあるフロントのほうは避け、非常口の誘導灯に誘われるように通路の奥へと進んで角を曲がった。そこにはエレベーターが一基と、その前にはベンチと誰がやるんだか古びたガチャガチャが置いてある。
ここはここで、いつ誰が現れるか分からないけど……他よりは人目を避けれそうだ。歩き回ってても仕方ないし――と、覚悟を決めて足を止め、
「お前な」と俺は香月の腕を離して振り返った。「自分が何してんだか、分かってんのか?」
向かい合うなり責めるように言うと、香月はつと目を逸らしてため息ついた。その表情はいじけたようにムッとして、さっきまでの悠々閑々とした『王子様』はすっかり消え去っていた。
まるで、爽やかイケメン君がいきなり不良になっちゃったみたいな――ただならぬ豹変っぷりに、俺は思わずたじろいだ。
「分かってないと思う?」と聞き返してきた香月の声も、冷静ながらも苛立ちが滲み出るよう。「十年もやってきたことだよ」
「十年? いや……なんの話だよ? 俺は今の話をしてんだ。なんで、そんな格好で合コンなんて来たんだ? 男のふりで合コンなんて――」
「陸太が合コンなんて行くからだ」
すっぱり言われ、ぐっと言葉に詰まった。
ああ、そうだった――と思い出すなり、ニヤニヤと面白がるように笑う遊佐の顔が脳裏をよぎり、忘れかけていた怒りがこみあげてきた。
「俺がテンパってるから手伝いに来て欲しい、て遊佐に言われたんだったな。悪い。遊佐には俺からしっかり言っとく。それでも……だ」遊佐への怒りはひとまず腹の底に沈めることにして、俺はじっと射るように香月を見つめた。「俺のために何かしようとか、そういうのはもういい、て言っただろ。男のフリも、もうしないでほしい、て前に――」
「陸太のためじゃない」
力強い声で俺の言葉を遮ると、香月はさらりとした前髪の下、どこか冷たくも思える鋭い眼差しで睨みつけてきた。
「今日だって、別に手伝いに来たんじゃない。――邪魔しに来たの」
「邪魔……?」
「たぶん、陸太が思っているほど、私はいい友達じゃないよ」
「なんの話をしてんだよ?」
変だ。
言動だけじゃなくて、雰囲気まで香月らしくない。落ち着きも余裕もない。聡明さも繊細さも欠片も感じられなくて……やけくそ、みたいな。
「男のフリなんて、いくらでもするよ。今さら、なんとも思わない。だって、十年――続けてきたんだ。陸太の傍にいるために」
香月は「だから」と自嘲するように笑って、詰め寄ってきた。気迫とでも言えばいいのか。鬼気迫るものがあって……。その勢いに圧されるようにして後退ると、背中に壁の硬い感触がした。
あ――と背後を振り返るや、目の前に手が伸びてきて視界を遮った。
「だから……今さら他の女の子に譲る気ないから」
静かに囁くようで、脅すようなその声にぞくりとした。
その気配をすぐそこに感じて――途端に心臓が騒ぎ出し、呼吸が乱れ出す。
生唾を飲み込み、ゆっくりと視線を戻せば、ぞっとするほど真剣な表情で俺を見つめる香月の顔がすぐそこにあって……息を呑んだ。
やっぱり、変だ。この雰囲気はなんなんだ?
見慣れた『カヅキ』の姿でも、もうホッとすることはなくて。こうして傍にいると、胸がざわめくばかりで落ち着かない。一緒にいても空気が張り詰めて、息苦しい。
なんで、こんなことになってんだ? 俺はただ、香月と元の関係に早く戻りたかっただけなのに。女性恐怖症さえ克服すれば、全てうまくいくと思って……だからこうして合コンに来たのに。なんで、香月に壁ドンなんて――。
と、その瞬間、俺はハッと我に返って、
「って……俺に壁ドンすんなよ!」
思わず、大声で叫んでいた。
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