第3話 都合と思惑

 ようやく、少しずつだが落ち着いてきて、思い出したように腹の底から怒りがこみ上げてくるのを感じていた。わなわなと震える拳を握りしめ、今にも爆発しそうなを必死に堪え、遊佐を睨みつけていた。

 遊佐の軽口や悪ふざけなんて日常茶飯事。一年からの付き合いでもう慣れた。思ったことをズケズケ言って、やりたいことをやりたいようにやる。それが遊佐らしい、と思うし、そういう裏表のなさそうな性格が一緒にいて楽だった。

 でも、今回ばかりは度が過ぎている。

 荒療治がなんなのか、さっぱり分かんねぇけど……香月を勝手に巻き込んだのだけは許せない。

 そりゃ、みっともないほどテンパっていたよ。合コンに来るだけで今にも失神しそうだった。でも……それでも、こうして来たのは――どんだけ醜態を晒すことになろうと構うもんか、と覚悟を決めてやって来たのは、もう香月に無理させたくなかったからだ。

 俺のために何年も男のフリして、女だと知れるや「どこでも、触っていいから」て自分の体を差し出すような奴だ。俺がいつまでも変わらなかったら、きっと香月はまた体を張ってまで俺のために何かしようとする。そうして、俺はまた香月を追い詰めて、傷つけてしまう。そんなのはもう厭だから……だから――自分でなんとかしよう、と思った。

 それなのに……なんでまた、香月は男装なんてしてるんだよ?


「俺は……香月に、させたくなかった。男のフリなんて、二度とさせたくなかったんだ。それなのに、なんで勝手に――!」

「それは、お前の都合だろ」と遊佐は此の期に及んでも、悪びれた様子もなくさらりと言ってのけた。「香月ちゃんには香月ちゃんの考えがあんの。香月ちゃんがどんな格好しようが、お前がとやかく言う権利はねぇよ。ちなみに、男装してる香月ちゃんも俺は好き」

「そういう問題じゃ……」

「そもそも、香月ちゃんがなんで男のフリなんてしてたのか、お前はちゃんと分かってんの?」

「は……?」


 なにを今さら……?

 香月が男のフリを始めたのは――発端は、俺が男だと勘違いしたせいなのだが――当時、男だらけだったチームの中で孤立したくなかったからだ。そのあと、ホッケーを辞めてからも男のフリを続けていたのは……俺が女性恐怖症になって、女だと言い出せなくなったから――だよな。


「お前よりはちゃんと分かってるよ」


 嫌味っぽく言うと、遊佐は「ああ、そうですか」と子供でもあしらうように相槌打った。


「じゃあ、もういいんじゃね? 分かってるようには見えねぇけど」踏ん反り返るようにソファにどっかり座ると、遊佐はふっとほくそ笑んだ。「まあ、俺としては……これで実質四対二だし、イケメンのカヅキくんのおかげで場も和んで大成功。あとは好きにして、て感じなんだけど」

「本音が漏れてるぞ!?」


 そういうことか! と、ようやく遊佐の狙いがはっきり見えた気がした。


「何が荒療治だ!? お前、香月を利用しようとしてるだけだろ!」

「失敬だな! どっちも本音だよ。九対一きゅういちだけど」

「九はどっちだ、おい?」


 脅すような低い声で問い詰めると、遊佐は「さあ」とでも言いたげにすっとぼけた顔で肩を竦めた。

 ああ、もう我慢ならん。

 ばっと立ち上がると、「あ!」と慌てたような遊佐の声を無視して、


「香月!」


 と声を張り上げた。

 まだ扉の前に立ったまま、何やら絢瀬と話し込んでいた香月は、はたりと言葉を切るときょとんとして振り返った。


「なに?」とまるでなんでもないかのように、香月は涼しげに微笑む。


 見慣れた笑顔だ。悠然として、余裕に満ちて……会うたび、ホッとさせられていたその笑みも、今は腹立たしいだけだった。

 遣る瀬無い思いに駆られ、ぐっと拳を握りしめ、


「ちょっと来い」


 と顎でしゃくって扉へ向かうが、香月は動こうともせずに「なんで?」と惚ける。


「なんでって……」


 いや。絶対に分かってるだろ。

 なんで、男装なんてして合コンに来てるんだよ。遊佐の口車に乗せられてるだけだぞ。――そう、思わず、その場でぶちまけそうになるが……。

 ちらりと部屋を見渡せば、不安げにこちらを見上げる絢瀬に、梢さんの隣に座って「やめてくれ」と言わんばかりの縋るような眼差しでこちらを見つめている倉田くん。そして、憧れの『カヅキ様』を今にも連れ去らんとする俺に不満そうな表情を浮かべる絢瀬の友達……。

 言えない。言えるわけがない。

 様々な思惑に夢や期待がうずまくこの場で、それら全てを粉々に打ち砕くようなこと、俺には言えない。そんな度胸は俺にはない。そして、おそらく……そんなことも遊佐はお見通しで、この計画を立てたんだろう、と視界の端で余裕の笑みを浮かべる遊佐を見て確信していた。たとえ、遊佐の裏工作にどれほど俺が腹を立てようと、どうせ、俺に香月のことを皆にバラす度胸などない、と遊佐はそう踏んだに違いない。――悔しいが、その通りだよ。

 皆の視線が集まる中、俺は考えあぐね、


「つ……連れションだよ!」


 苦し紛れにそんな小学生レベルの単語を言い放ち、俺は逃げるように身を翻して香月の腕を掴んだ。


「俺、連れションとかする主義じゃないんだけど」

「知ってるよ!」


 それでもしれっと食い下がる香月を無理やり引きずるようにして、俺は部屋から飛び出した。

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