第8話 女の子

 ぽかんとしている俺に気づいたようで、『妖精』もきょとんとして俺を見つめ、それから突然、ぎょっとして慌て出した。


「え!? うそ……思ってました!? 図星なんですか!? 私、汗臭かったですか!?」


 必死な形相で問い質してくる『妖精』に、俺は呆然としつつも「いや……」と否定した。

 すると、途端に『妖精』は「よかった〜」と今にも溶けてしまいそうな声でつぶやき、真っ赤になった両頰を両手で押さえた。


「超焦った〜。心臓バクバク」


 無邪気に笑って、そんなことを言う『妖精』を、狐につままれたような……そんな気分で見つめていた。長年、胸につっかえていたものが、不意打ち食らってぽろりと落ちたような、そんなあっけなさ。

 もしかして――いや、もしかしなくても、だ。

 全部、誤解だったってことか……? 汗臭いから嫌だって……俺らに対して言ったんじゃなくて、自分のこと? だから、練習の後は俺たちに会いたくない……て、そういう意味だったのか?


「急に暑くなってきちゃいました。早く、リンクで涼みたい」


 ぱたぱたと自分の顔を手で煽ぎ、『妖精』は恥ずかしそうに顔を赤くして笑った。

 あたふたと慌てたり、恥ずかしがったり、コロコロ表情変えて、きゃっきゃと笑ったり……目の前の彼女は、まるで無邪気な女の子で。

 ふっと身体から何かが抜けていくような感覚がした。

 バカだ、俺。四年も、俺はに怯えていたのか――?

 なんで……と、ふっと冷笑が溢れていた。

 知ってたのに。ちゃんと見てたのに。『妖精』がどれほど真剣に氷の上に立っていたのか。汗だくになって、必死に練習しているその姿も見ていた。同じリンクで練習する奴を馬鹿にするような子じゃないって……俺は知ってたはずなのに。

 そんな『妖精』に――憧れてたのに。

 たった一言。盗み聞きしただけの一言で、勝手に頭の中で創り上げた『妖精』をホンモノだと信じて、ずっと怯えてたんだ。何度も励ましてくれた『妖精』の言葉はウソだと決めつけて。

 そうやって、勝手に怯えて逃げたんだ。一度も、向き合って話したことすらなかったのに……。

 今もそうだ。また、俺は同じことをしようとしてる。カヅキに――。


「ごめん、絢瀬」


 ふっとそんな言葉がこぼれ出ていた。心臓の高鳴りは感じつつも、不思議と、息苦しさもなく、喉が締まるような感覚もなかった。

 懐かしい、なんて言うには恥ずかしいことのようにも思えるが……こうして、しっかりと目を見て女の子と話すのは、小六以来。もう四年ぶりだった。だから、まだ慣れない。緊張もある。でも、前ほどの恐怖はなかった。


「はい?」


 突然謝られたからか、急に俺がまともに話したからなのか、絢瀬は意外そうにきょとんとして小首を傾げた。


「俺も嘘吐いた」と、気恥ずかしくて、俺は口元を歪めて言った。「絢瀬のこと、覚えてるよ。『がんばってください』て、よく声かけてくれた子……だよな」


 すると、ぱあっと絢瀬は目を輝かせ、「それです、私です」と飛びついてくるような勢いでぴょんと詰め寄ってきた。

 さすがに、いきなり物理的に距離を縮められるのはまだ無理だ。俺はひいっと条件反射のように声を上げて後退ってしまった。


「覚えててくれたんですね!? じゃあ、もうここで言っちゃいます。本当はリンクの真ん中で言うつもりだったんですけど……実は、私、あのときからセンパイのこと――」

「あの、で……ごめん! それなんだけど」と、興奮気味の絢瀬を俺は右手で制しながら、「急用ができた……かもしれない。今日は……その、一緒に滑れない」

「はい?」


 あからさまにがっかりする絢瀬に罪悪感を覚えつつも、俺は傍らで重々しく佇む建物をちらりと見やった。


に戻る前に……謝らないといけない奴が、絢瀬以外にも結構いるんだ」


 そんなことを言われても、当然、絢瀬に伝わるはずもない。ぽかんとする絢瀬に、まだ頰に緊張を覚えながらも俺は精一杯笑って見せた。


「また、今度、ミリヤ先輩紹介してくれ……な」

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