第5話 狸寝入り

 最悪だ。どうすりゃいいんだ。

 あんな待ち合わせの仕方ある!? 俺、うんともすんとも言ってないんだけど。あれで待ち合わせが成立するの? あれが陽キャの待ち合わせなの?

 しかも、よりにもよって、なんでスケートなんだよ?

 ヴァルキリーを辞めてから、一度も氷の上に立ってもいないのに。

 それに、『妖精』だって――と、ふと思う。

 

『絢瀬セナがフィギュアを辞めるんだってよ』


 そんなニュースを聞いたのは中三のときだった。

 どこから移ってきたのかまでは知らないが……絢瀬セナは俺が小五のときに引っ越してきた。前住んでいたところでもフィギュアクラブに所属していたらしく、大会にも出ていて、そこそこ名も知れていたらしい。練習に現れるや否や、須加寺アイスアリーナに美少女現る、なんて話題になって、ローカル番組でも『氷の妖精』と紹介され……地元では結構な有名人だった。だから、フィギュアを辞めたときも俺の周りでは騒ぎになった。大人たちは残念がっていたが、クラスの男どもは『東京でモデル活動を始めたらしい』と嬉々として、絢瀬が載った雑誌を教室に持ち込んで喜んでいた。それを虚しい気分で俺は眺めていた。

 俺の女性恐怖症のきっかけをつくったのは『妖精』に違いなくて、信用ならない奴だと思ってはいたけど……それでも、必死に練習していたのを俺は見ていたし、その努力する姿に嘘はないのも分かっていた。だから、そんな『妖精』がフィギュアを辞めたと聞いて、凹んだんだ。

 調べてみると、中学入ってからの『妖精』の成績は伸び悩んでいて……ただでさえフィギュアは金もかかる上、リンクを貸し切っての練習は夜も遅く、学校生活に支障は出るし、学業にも負担がかかる。単なる趣味で続けるには限界があったんだろう。とはいえ……『妖精』もきっと悔しかったに違いない。それなのに、よくあそこで滑りたい、なんていう気になるよな。しかも、なんで俺と……?

 そもそも、だ。スケート滑りながらスマホをいじるわけにもいかない。スケート場なんて『ラブリデイ』のデートには向いてないと思うんだが。

 分からん。本当に分からん。『妖精』の考えることは全く分からん。もう『妖怪』だよ。


「なに、寝てるフリしてんだよ」


 一人、悶々と考えていると、馬鹿にしたような声が降ってきた。


「今朝のあれはなんだったんだよ? お前、セナちゃんとどういう関係なわけ? 二年の教室回って、お前を捜してたってよ? どういうことだ?」

「……」


 今朝の一件で、はた迷惑な注目と憶測を招き、教室でも好奇な視線が一極集中。もはや針のむしろ状態。周りでは、女子のヒソヒソ声や、今にも『妖精』への質問事項を胸にどっと押し寄せてきそうな男どもの気配がして、俺は授業が終わるとともに机に突っ伏し、寝たふりをするという秘策で三時限目までなんとか躱してきた。

 それなのに。こいつは構わず、話しかけてくるんだ。分かってはいたが、無神経にも程がある。遊佐め。


「狸寝入りか。腹立つな」苛立ったようなため息が聞こえて、ガタッと前の席に座る物音がした。「まあ、俺をいくら無視しようが構わねぇけど。香月たんには早いとこ白黒はっきりさせてあげろよな」

「白黒って……なんだよ?」


 顔を伏せたまま、ぼそっと訊ねると、


「やっぱ、起きてんじゃねぇか」と吐き捨てるように言ってから、遊佐は珍しく真面目な声で続けた。「ずっと男友達だと思ってた奴が女だったなんて、ショックなのは分かるよ。そう簡単に切り替えられないだろうさ。でも、赦せないなら赦せないで、早くそれを伝えてあげろよ。だらだら音沙汰もなく待たせるのが一番、タチが悪いぞ」

「別に……赦せないとかじゃねぇよ」

「は」と、なぜか、遊佐は心底意外そうに間の抜けた声を漏らした。「じゃあ、もういいじゃん。そう伝えてあげろよ」

「で――どうすんだよ?」


 ぽつりと言って、俺はそろりと顔を上げた。

 訝しそうに眉を顰める遊佐を睨みつけるように見上げ、


「前みたいに友達に戻んの?」

「戻れば?」

「どうやって、戻んだよ」と、独りごちるように俺は呟いていた。「やっぱ、俺は……『カヅキ』を女だと思えない。俺が知ってるのは『カヅキ』で、女の――本当のカヅキがどんな奴かも分からない。今、会ったとして……どう接したらいいかも、想像つかないんだ。それで、どうやって前みたいに戻るんだよ」

「ああ、そっか」

 

 ややあってから、遊佐は納得したようにぼんやり相槌打った。


「つまり、女の子バージョンの香月たんが未知すぎてビビってるわけだ。とんでもない淫乱かもしれないもんな」

「そんな心配はしてねぇよ!」

「冗談だよ」と遊佐は俺の机に頬杖ついて、憫笑のようなものを浮かべた。「とりあえずさ……それならそれでいいから、連絡してあげろよ。今日、お前がちゃんと学校来てるかどうか、香月たんが心配してる、て……さっき、菜乃ちゃんからLIME来たぜ」


 ちらっと遊佐が得意げにスマホを見せてきて、そういうことか、と悟った。

 変だと思ったんだ。合コンのあと、俺がカヅキに連絡一つしてないことは遊佐に言ってないはずなのに。やけにカヅキへの連絡をしつこくせっついてくるな、て……。

 そういえば、あの日、合コンに来ていた他の女子二人とは連絡先も交換した、て言ってたっけ。そうか、そっちのルートで情報は筒抜けなわけな。


「生きてるかどうかだけでも教えてやれよ。かわいそうだろ、


 皮肉めいた言い方でもなく、からかうふうでもなく、同情でもするような声色でそう言い残し、遊佐は自分の席へと去っていった。

 遊佐にしては珍しく、なんの嫌味もないまっすぐな正論だった。

 俺は机の木目をじっと睨みつけながら、そうだよな、と心の中でつぶやく。打ち負かされたような気分だった。なんとも言えない情けなさとふがいなさに襲われた。

 そうして、四時限目の地理の授業が始まると、俺は机の下でこっそりスマホをいじって、カヅキにLIMEを送った。連絡しなくてごめん、生きてます――て。地理の授業の半分をかけて作り上げた渾身の一文が、結局、それだった。

 相手はカヅキなのに。女子だと意識するだけで、どう送ったらいいのか、さっぱり分からなくなって……それだけで緊張して指先が震えた。結局、何度も打っては消してを繰り返し、出来上がったのは遊佐のアドバイスまんまの文章だった。

 とりあえず送信して、黒板を見上げたそのとき。すぐにスマホが震えるのを感じて、ちらりと確認すればもう返事が来ていた。

 

『よかった』


 たった一言、それだけ。

 向こうも当然、授業中のはずなのに……。その返信の早さも、絵文字もスタンプも何もないシンプルな文も、あまりにいつものカヅキのLIMEで……懐かしいような、寂しいような、なんとも言えない郷愁に駈られて胸が軋んだ。そのまま、つい、『妖精』のことをぶちまけたくなって――すぐに、スマホをしまった。

 まるで癖みたいに。カヅキに甘えようとする自分に呆れた。

 もうカヅキには頼れないんだ。自分でなんとかしないと。

 俺は睨みつけるように黒板を見つめ、シャーペンをぐっと強く握りしめた。

 どっちにしろ、女性恐怖症はもう治すつもりだった。いい機会じゃないか。『妖精』に一人で立ち向かうんだ。今日の放課後、待ち合わせ場所に……須加寺アイスアリーナに会いに行って、はっきり断ろう。君とダブルデートをする気はない、と。まずはそこからだ。

 まさか、『妖精』がスケート靴で襲いかかってくるわけでもないんだし、何も恐れることはないはず……だよな?


――――――――――――――――――

*LIME: SNSで、メールやチャットが送れるアプリ。つまり……アレです。本作では呼称をLIMEとさせていただきます。

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