第19話 小六

「ご……ごめん……?」

「え!?」思わず謝った俺にぎょっとして、カヅキは慌てたように首を横に振った。「いや……陸太が謝ることじゃないから。そのときも髪短かったし、服もお兄ちゃんのお下がり着てたし。名前も男みたいだし。謝らないといけないのは……あのとき、訂正しなかった私だよ」


 そう言うと、カヅキは表情を曇らせて俯いた。


「男のくせに、て陸太に言われて……その手があった、なんて思っちゃったんだ。このまま、男のフリをしていれば、他の皆とも仲良くなれるかも……なんて。小学生だったし、単純だったんだよね。週二に一時間半くらい、男の子のフリすればいいだけだ――て。それまでだって、女子更衣室は中学生の先輩たちしかいなくて入りづらくて……防具の下は、トイレとか、車の中で着替えたりしてたから、なんとかなるだろーて」


 ああ……と今になって納得がいった。

 言われてみれば、おかしいな、と思うことはあったんだ。更衣室でカヅキを見かけることはなかったし、たまに、練習後に親も交えて飯を食べに行こう、という話になると、カヅキはやたらと必死に断って逃げた。妙に人と距離を置く奴だな、とは思ってはいたが、まさか……女だとは思わなかった。いや、思わないよな!?


「ただ、当然、監督とかコーチにはバレててさ……」

「え!?」と声を出してから、そりゃそうだよな、と思い直す。申込書にだって、性別を書く欄はあったし……。まあ、普通に考えて大人は分かるか。


「最初は、ただの『ボクっ娘』だろうと思って、気にしてなかったんだって」と、カヅキは気恥ずかしそうに苦笑を浮かべて続けた。「でも、さすがに何年も続くから変に思ったみたいで、一度、呼び出されたことがあったんだ。とりあえず、チームで嫌がらせを受けてるわけじゃない――てことだけ確認されて。ホッケーは中学生までは男女混合だしルール違反してるわけでもないからさ、『点が獲れるなら好きにしろ』て監督に言われたんだ。横でコーチは渋い顔してたけど」

「なるほど……」


 言いそうだなぁ、と当時の監督を思い浮かべて苦笑してしまった。強面で筋肉質で、熊のような人だった。自分自身、シニアでプレイを続けていて、高校時代は国体にも行ってた選手らしい。別に子供が好き、という感じの人でもなく、ホッケーが好きで、ただ純粋に強いチームを作りたい――という野心で監督をやってる印象だった。呼び出されたのがいつの話かは分からないけど……カヅキはスケートも最初からうまかったし、筋がいい、てよく褒められてたから、男か女かは監督にとっては本当にどうでもよかったのだろう。別に学校でもなんでもない。ただの趣味でやってるクラブだし。子供個人の問題に首をつっこんで保護者と揉めるのも面倒。そこまで深入りしたくもない、てのが本音だったんだろうな。


「ただ、いつかはバレるからな、て釘は刺されたよ。でも、そのときは、まだ小三とかそのくらいだったから……後悔しないように、なんて言われてもピンと来なかったんだ」

「まあ……そうだろうな」


 楽しければいい、て歳だよな――と、俺は公園で走り回る子供達を見つめた。走ってるだけで大爆笑だよ、羨ましいわ、と今やひと事で見守ってしまう。


「さすがに高学年になったら罪悪感を覚えてきて……言わなきゃ、て思った。でも、そのときには……仲良くなりすぎてたんだよね、陸太たちと」


 突然、名前が出てハッとして視線を戻す。

 無邪気に遊ぶ子供達を眺めるカヅキはどこか心ここに在らず。懐かしむようで……少し違う。その表情には哀愁のようなものが漂っていた。


「言い出せなかった。小六にもなれば、チームへの影響だって気にかけられるくらいの分別もあったし……それに、皆に嫌われるのが怖かった。だから……せめて、小学校が終わるまでは――と思ったんだ。そのあと、皆にちゃんと言って謝って、クラブを抜けよう、て。どっちにしろ、中学生になったらホッケーは辞めるつもりだったし……」


 そこまで言って、「でも」とカヅキはゆっくりとこちらを見た。躊躇うようなその視線にぐさりと胸を突き刺されるようだった。

 そのあと何があったのかは、聞かなくても分かる。いや……覚えてる。

 ざあっと春の陽気を乗せた穏やかな風が公園を抜けて、傍らにある木の葉を揺らしていった。


「そりゃ、言えねぇよな」と風に紛れ込ませるように小さな声で呟いて、俺は視線を落とした。


 小六――か。ぐっと気が沈んで、重い溜息がこぼれた。

 そのころには、チームに女子も増えていた。だからこそ、『氷の妖精』との一件があって、俺はクラブに顔を出しづらくなったんだ。女子に指示を出したり、ぶつかりあったり……そんなことが苦痛になって、練習にならなかった。小六の後半になると、俺は全くクラブに行かなくなっていた。

 そんなときに、カヅキから電話が来た。

 何かあったの――て優しく聞かれて、初めて、人に言った。女子が怖い……と男として口にするのも憚られるような、なんとも情けない悩みを。


「他の奴らには言ったのかよ?」


 ぽつりと訊ねると、「まだ」とカヅキは消え入りそうな声で答えた。

 まだ……て、もう高二なんだが。


「でも、まもる……にはもう知られてた。高校に上がってから、再会してさ。そのときに、『気づいてた』て言われた」

「へえ……そっか」


 言いづらそうに答えるカヅキに、気の無い返事をしてしまった。

 護……か。他の奴だったら驚いてたかもしれないが……護なら――と、納得してしまった。

 俺らと同じ学年で、キャプテンだった奴だ。フェードアウトする形でチームを抜けた俺をすげぇ怒ってて(当然だが)……何度も電話で「来い」と怒鳴られた覚えがある。

 人望のあるいいキャプテンで、賢くてさとい奴だった。思い返してみれば、やけにカヅキに甘かったような……。カヅキはエースだったし、キャプテンとエースはそんなもんか、とも思っていたが……だったのか!?

 まあ、他にもいたんだろうな、とは思う。カヅキを女ではないかと疑いながら、気を遣ったのか、気まずかったのか、心の内に留めていた奴は。てか……一番近くにいたはずの俺が気づかなかったほうがおかしいんだよな!?

 自分のアホさ加減に呆れてくる。

 まだ、チームの奴は仕方ない。小学生だったし、練習中はいつも防具着てて体型もよく分からない上、ヘルメットも被って、顔もゲージ越し。練習は夜遅くて、ウトウトと寝惚けながら帰ってるような状態だった。それで本人が全力で男のフリをしてれば……まあ、気づかなくても赦されるだろう。

 でも、俺は……中学になってからもずっとカヅキと遊んでた。こんな――と、ちらりと横目にカヅキを見た。

 長い睫毛の下で煌めく、優しげで柔らかな眼光。喉仏の気配すら無い、ほっそりとした首筋。控えめながらも膨らんだ胸の膨らみは、横から見たら存在には気づけるほどはある。丸みを帯びた肩から伸びる白くほっそりとした腕に、柔らかな曲線を描く腰。

 変化を隣で見ていながら、何も感じなかったのか――。

 いくら女子が苦手で、中学生以降、女子の顔もまともに見ずに暮らしてきたとはいえ……それは生物としてどうなんだろう、と本気で心配になってきた。女を避けすぎて、本能にまで影響が出てきてるんだろうか。いや、まさか……そんなアホな。


「陸太が一人で悩んでいる、て分かってね」ふいに、その桜の花のように色づいた唇が開いて、儚げな、ぼんやり呟くような声が流れてきた。「今度は、私が傍にいてあげなきゃ、て思ったんだ。だから……男のフリを続けてた。陸太の女性恐怖症が治るまで、親友おれでいよう、て待ってた。でも……」


 さらりと細く艶やかな髪をなびかせ、カヅキはこちらに振り返ると、


「私……じゃ、ダメかな」

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