18駅目 御茶ノ水

 耳が痒い。

 慌ただしく正月が過ぎ、あっという間に受験シーズンになった。寒さがコートを突き破り肌に刺さる。


 高校2年生。来年は私も受験生だ。

 当たり前のように高校に行き、受験をし大学に入り、テキトーな会社でOLになる。そんな人生でいい。


 上は紺のコートに赤のチェック柄のマフラーをして完全防備だというのに、スカートは2回折り、素肌に短めの靴下というスタイルは崩せない。女子高生を楽しまないという選択肢はないのだ。


 学校が終わり、御茶ノ水にある塾へ向かう。今日は大好きな政経の講義がある。嘘。本当に好きなのは政経ではなく、政経を教える先生だ。


 先生はアルバイトで隣駅の水道橋にある大学に通っているらしい。有名大に通うほどの頭脳と気だるげな雰囲気が妙にマッチしている。大学名は本当は生徒に教えてはいけないらしいが、しつこく聞いたらこっそりと教えてくれた。

 先生の授業は淡々としているがわかりやすい。そして、年齢も近いためか生徒にも人気がある。女子学生の中には、淡い恋心を抱いている者もいるだろう。私もその中の1人だ。


 足早に教室に向かう。早く行けば先生と2人きりになれるかもしれない。

 私の期待通り、教室には先生しかいなかった。まだ、授業準備が終わっていないようで今日使うプリントを1枚1枚机に並べているようだった。


「先生、こんばんは!」

「お、深山か。今日も早いな。」

「先生に早く会いたくて走ってきちゃった。」

「はいはい、どうも。」


 先生は小さい子供をあやす様に答える。


「あ、やべ、下にチョーク忘れた。ちょっと取ってくるわ。」

「え!私も行く!」

「なんでだよ、まあいいけど。」


 先生の後ろをちょこちょこと着いていく。1階の受付には、若い女性の事務員さんがいる。たまに受付に用事があると顔を合わせるが、いつも笑顔で向かい入れてくれる。私には、その愛想笑いでつまらなさを隠しているようにしか見えないのだが、男子学生から見れば結構可愛く見えるらしい。わからない。


 ハーフアップにしたこげ茶色の髪、ピンクブラウン系の薄いメイク、少し鼻にかかった声、地味ながら体のラインを強調するタイトスカート。馬鹿な男はみんなこんな薄っぺらい女が好きだ。


 大学を出てしまえばおばさんじゃないか。内心毒づくがそんな気も知れず、事務員さんはいつもの笑顔を私に向けた。


「せんせぇ!早く上行こうよ!」

「へいへい。」


「ふふっ、雛形先生人気ですね。」

「立花さんまでそんな事言って!」


 ふたりの世界に割って入ってきた女が憎い。

 大人の女の魅力かなんか知らないが、上から目線の物言いが鼻につく。そして、それに子供のように言い返す先生にも腹が立つ。


 先生と教室に向かう。

 エレベーターに乗り込み、他愛もない会話をする。少し背の高い先生にキスするためには、もう少し近付いてギリギリまで背伸びする必要がありそうだな、なんて考えてしまう。


 教室に着いてしまうと集まった生徒の前で先生は先生としての役割を果たす。

 私も一生徒として静かに机に座る。


 授業が終わり、先生に質問という名のアピールをしてから駅へ向かう。


 改札に入る直前にノートを教室に忘れたことを思い出し、今来た道を引き返す。だるいが、先生がまだ教室に残っているかもしれない。


 あと少しで塾に着く。そこを右に曲がればエレベーターがある。まだ、人がいるのか声がする。


「秘密でお願いします。」

 ふふっと笑う不快な声。


 受付の自動ドアが開き、あの女が中に入って行くのが見えた。


 なんのことだ。エレベーターホールへ向かうと、先生が立ち尽くしていた。

 何故か私は居ることを悟られてはいけない気がして逃げた。多分先生は気付いていない。


 恥ずかしかった。


 女子高生という言葉を世の中は持て囃す。性的な表現だとしても、女子高生という神格化は、短い私たちのスカートは、私たちを天狗にさせた。

 きっと女子高生から告白されたら喜ばない男は居ないだろうと高を括っていたのだ。いや、それは間違っていないだろう。間違っていたのは「女子高生」だから世の中が持て囃すだけで、「私」だから持て囃すわけではないということだ。


 愚かなさに涙も出ない。


 私が嫌な女だと罵った事務員は、「立花さん」として男に好かれている。


 そして、きっと先生も「立花さん」に何かしらの感情を持っているのだろう。あんな顔を見てしまったらそうとしか思えない。


 私ってなんだろう。

 制服を脱いだら私に何が残るのだろう。


 急に現実がのしかかり怖くなった。

 来年から受験生だ。その言葉が重くまとわりつき、失恋したことすら思い出せなくなっていた。

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