お題「キリスト」「人間」「花弁」

兎角@電子回遊魚

第1話

 夜空に咲き乱れる花弁。薄桃色のそれはそう、桜だ。夜桜の下、僕と彼女は向かい合っていた。

 「用事とはなんだ、桐ケ谷」

 彼女は言う。

 「お前も察してはいるんだろう、美鈴」

 対する僕はと言えば、僅かに声音が震えるのを自覚していた。

 「こんな時間に、こんな場所に呼び出して察しないバカも居るまいて」

 美鈴は言う。いつもと変わらない様子で。

 普段と変わらない言葉のキャッチボール。しかし今日ばかりは、いつも通りで済ませたくなかった。

 「単刀直入に言おう。僕と別れてくれ」

 「……へ?」

 僕の言葉に美鈴はキョトンとした表情をして見せたが、こうするしかなかった。

 「き、桐ケ谷……冗談でそういうことを言うのは」「冗談ではない」

 美鈴の言葉を遮って言う。言わなければならなかった。今まで通りとか、そんな軽い気持ちで言って良いことではない。それは重々承知の上だ。今日、この日。美鈴と付き合い始めてから七年だ。七年が経過したのだ。言わなければならない。そんな風に思考しながら、重い口を開く。

 「美鈴、良いか。これから僕はとっっっっっても大事なことを言う。心して聞いてほしい」

 「どうしたんだ、桐ケ谷。今日のお前はその……物凄く変だぞ?」

 「変なのは承知の上。言うぞ!」

―――僕と結婚して下さい!!!!!!!!

 「……はぁ?」

 今度の美鈴は、とても怪訝そうな顔をしている。

 「恋人のまま、惰性で事実婚みたいになるのが嫌だったんだ。だからこういう形を取らさせてもらった!」

 その瞬間、僕の右頬を叩かれた。衝撃から立ち返り美鈴を見遣ると、なぜか顔を背けていた。そして僕は、かのイエス・キリストを思い出した。

―――右の頬を叩かれたら、左の頬も差し出せ。だが僕は人間だ。右頬を叩かれたからといって左頬まで差し出す義理はない。叩かれた理由もわからず、反射的に彼女の頬に手が伸び、そして止まった。止まってしまった。何故なら……。

 「き…桐ケ谷のバカ!紛らわしいことを言うでない!そなたは私をなんだと……」

 何故なら、美鈴は泣いていた。僕には何故泣いているのかもわからなかったが、彼女は確かに涙を流していた。

 「別れるとか、唐突に紛らわしいことを言わないで!」

 そして今度は勢いよく左頬も叩かれた。しかしどうしてか、彼女は涙の向こうに、かの聖母マリア様が如く、笑みを浮かべているのであった。

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