第三章

プロローグ

「メアリさん――そのひとが、クゥを育ててくれたの?」

「うん!」


 聞き返した俺に、クゥがニッコリと笑う。


 夕日が空を茜色あかねいろに染めるころ、俺たちはクゥの故郷である『ハウトのおか』に到着した。


 クゥに先導されながら、俺たちは丘を登る。


「メアリはもともと冒険者をしてたんだけど、拾ったボクを育てるために引退してくれたの」

「クゥさんは捨て子だったのですか?」


 ミアが目を丸くする。


 そんなミアに、クゥは苦笑しながら答えた。


「捨てられたっていうか、はぐれちゃったんだよね。ボクが産まれてすぐに、お父さんとお母さんが、ほかの神獣と縄張り争いをして、そのときに」

「さ、災難、でしたね」

「うん。悲しかったし、戸惑ったよ」


 眉を『八』の字にするシュシュに、「でもさ?」とクゥが続ける。


「本当の親の代わりに、メアリが愛情を目いっぱい注いでくれたから、すぐに元気になっちゃった」

「クゥは、メアリってひとが、大好きなんだ、ね」

「うん!」


 かすかに微笑むピピに、クゥが元気よくうなずく。


 四人のやり取りを聞きながら、俺はメアリさんに感謝していた。


 なにしろ、メアリさんが育ててくれなかったら、俺はクゥと再会できなかったかもしれないのだから。


 クゥがいなかったら、いまごろ俺はこの世にいない。そうなっていたら、ミアもピピもシュシュも、途方に暮れていただろう。


 クゥだけじゃなく、俺たち全員にとって、メアリさんは恩人だ。あいさつと一緒に、お礼も言わないといけないな。


 そんなことを考えていると、俺の目に、一軒の木造建築が映った。


 林を背負うように建てられた、ロッジのような家だ。


 その家の前で、ひとりの女性が畑仕事をしている。


 農作業に向いていそうな、シャツと長ズボン姿の彼女を目にして、クゥが瞳を輝かせた。


「メアリ――っ!」


 尻尾と右手をブンブンと振りながら、クゥが走りだす。


 クゥに呼ばれ、彼女――メアリさんが、くわを振る手を止めた。


「クゥ?」

「ただいま――っ!」


 クゥがメアリさんの胸に飛び込む。


「あらあら、相変わらず甘えん坊さんですね」

「えへへへへ」


 シトリンに似た、んだ黄色の目を細め、メアリさんが、クゥの頭をいとおしげに撫でる。


 メアリさんは、見るからに優しそうなひとだった。


 背丈はミアと同じくらいで、肉づきはかなりいい。胸の膨らみは、クゥに負けないほどだ。


 ウェーブのかかったミディアムヘアは、駿馬しゅんめのようにつややかなブラウン。


 穏やかそうな垂れ目で、笑顔が似合う顔立ちをしている。


 クゥの育ての親ということから、少なくとも二〇代後半であると考えられるが、それよりもずっと若く見える。一〇代ですと言われても疑わないだろう。


 頭には茶色い犬耳。ズボンの腰回りからは、同じく茶色の、尻尾が覗いている。


 どうやらメアリさんは、犬人族けんじんぞくらしい。


 クゥはもちろんのことながら、メアリさんの尻尾も、フリフリと左右に揺れていた。メアリさんも、久しぶりにクゥに会えて嬉しいようだ。


 ふたりの再会を温かい気持ちで眺めていた俺は、あいさつをするためにメアリさんに近づく。


「あら? あなたは……」

「はじめまして、メアリさん。俺はシルバと言います。クゥの――」


 言いかけて、俺はハッとした。


 打ち明けていいのだろうか? 「クゥのご主人さまです」なんて。


 いやいやいや! いいわけないでしょうよ!! 大切に育ててきた娘が、見ず知らずの男のペットになっていたなんて、まともな親なら卒倒そっとうものだ!


 頬が引きり、ダラダラとイヤな汗が流れる。


 見るからに不審な俺の様子に、メアリさんが首をかしげた。


「クゥの、なんでしょうか?」

「あ、いえ、そのぉ……」

「ボクのご主人さまだよ! ボク、ご主人さまのペットになったんだ♪」


 口ごもる俺に代わって、クゥが誇らしげに答える。


 心臓が止まるかと思った。


 言っちゃった! 言っちゃったぁあああああああああああああああああああっ!!


 どどどどうしよう!? なにか弁解をしないと! ……って、できるわけないじゃないか、事実なんだし! もう、どうしようもないよ!!


 頭のなかがてんやわんやで、思考の収拾がつきそうにない。


 メアリさんがキョトンとした顔で、パチパチとまばたきをしている。クゥの発言が理解できないのだろう。


 と、とにかく、まずは土下座だ! 平身低頭へいしんていとうで謝罪しよう! 許してもらえる気がこれっぽっちもしないけどね!


 俺が両膝をつこうとした、まさにそのとき、




「ああ、そのことでしたか。ええ、知っていますよ?」




 あっけらかんと、メアリさんが笑ってみせた。


 思わず「へ?」とマヌケな声を漏らしてしまう。


「そちらの方々もペットさんですよね? ミアさん、ピピさん、シュシュさん、で、あっていますか?」


 視線を移し、メアリさんが、三人の名前を言い当てる。


 ミア、ピピ、シュシュが、俺と同じようにポカンとした。


「ど、どうして、わかったんですか?」

「わかったというより、『知っていた』というほうが正しいですね」


 戸惑いながら尋ねた俺に、メアリさんが苦笑を向ける。


「わたしは知っていたのです。あなたたちのことはもちろん、クゥが今日、あなたたちをつれて帰ってくることも――あなたたちが、


 もはや言葉もなかった。


 硬直する俺の前に、メアリさんがひざまずく。まるで、神に祈りを捧げる聖女のように。


「お待ちしておりました――ミズガルドに平和をもたらす『救世主』さま」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る