第22話 グリーン車のおじさん 1979夏
1979年の夏のある日。私は当時いた養護施設の他の小学生たちとともに、引率の職員たちに連れられ、どこだったかは忘れたが2泊ほどでキャンプか海水浴に行った。その帰りに、山陽本線の鴨方駅の駅舎内で上りの電車を待っていた。当時は、まだ冷房もつけられず座席も昔ながらの115系電車が関東方面から岡山地区に集中的に配置されて間もない頃だった。ちなみにその電車と同型の車両は、現在でも岡山地区や広島地区で走っているのだが、さすがに冷房は取り付けられ、座席も新しくされている。だが、この頃はまだ冷房の入った普通列車自体がわずかだった。
電車を待っている時、当時昼過ぎに1本設定されていた下りの快速電車が2番線のホームに入ってきた。目の前の1番線ホームをはさんで向こう側である。この列車は12両の元急行用電車(153系と165系)で、当時夜間に新大阪と宇野の間を結んでいた急行「鷲羽」のいわゆる「間合い運用」で設定されていた快速列車であった。こちらは、東海道本線の急行などで利用されていた車両であるから、もちろん冷房はとっくに全車両についていた。それだけでも当時の私にはうらやましかったものだが、そのなかに1両、グリーン車が入っていた。関東地区と違い、そもそも普通列車のグリーン車には岡山地区では宇野線の快速列車を除いてそうは乗っていなかった。だが、この日のこの列車には何人か(ほんの数人)乗っていた。その乗客のなかに一人、リクライニングシートを倒してふんぞり返っているおじさんがいた。グリーン車など、当時の私に乗れる車両ではない。ましてや常日頃から有象無象の集団で行動させられている状況下である。
そのおじさんの姿を見た私は、何いずれそれぐらい一人で乗れるようになるわいと、心の奥で改めて自分自身に言い聞かせた。しかしそれと同時に、自らの置かれている状況や立場などを思うと、やはり惨めさと情けなさを感じないわけにはいかなかった。
私は他の子供達と引率の職員とともに、それからしばらくして後に目の前のホームに入って来た、冷房もなければ気品もない関東地区からのお下がり電車(115系0番台)で岡山まで戻ってきた。
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