第2話

そうして、数刻の後、男はこの管区でも一等古く、大きな屋敷にたどり着いた。


 屋敷の内は、手入れは行き届いているものの、まるで人の気配のない有様で、

ぽつりぽつりと置かれた蝋燭に照らされてた調度品がただ息を潜めているばかりである。


 通された間にいたのは、腰の曲がった一人の老婆である。大きく曲がった鷲鼻の奥で、落ち窪んだ眼にろうそくの明かりを揺らめかせて、ようこそ兵士様、と老婆は低くつぶやいた。古い鉄と鉄とをこすり合わせるような、しわがれた声であった。


 男は、その胸の内に燃え上る炎が逸るのを抑えて、この領主らしき老婆に簡素に礼をすると、どっかと椅子に腰かける。薄暗いはずの蝋燭の火がいやに肌を焼く感覚は、男についぞ出たことのない戦場というものを想起させた。


 少女は、いそいそと麻袋をいずこかへ運ぶと、急いで茶を淹れて戻ってきた。男は湯気の登る茶をぐいと半分ほど飲み下すと、老婆の落ち窪んだ眼をしっかりと見据えて、本題を切り出した。


「モドキが出たらしいな。」


「えぇ、えぇ。口惜しいことにございます。一人でも多く、古き血は継いでいかねばならぬというのに。」


 まるで悪びれることも無く、老婆は淡々と答える。どこか笑みを含んだようにも見えるその貌に、男はかぁっと頭に血が上るのを感じた。しかしながら、必死にそのほてりを抑えるように茶を飲み干して、男は続ける。


「使命とやらは、お前が続けさせておるのか。」


「いいえ、いいえ。残さねばならぬから、残すのです。皆で決めて、皆で続けておることです。」


 事も無げに、老婆も淡々と続ける。鷲鼻の奥で揺らめく光が、にぃ、と細まる。


「古い血とやらは、いつまで残しておくつもりだ。モドキに盗まれるような胎なら、絶やしてしまうのがよかろう。」


 男がついに立ち上がって、鳥銃マスケットに手を伸ばすと、老婆はついに、こらえきれないといった様相で、喉の奥を鳴らした。


「いいえ、いいえ、これからも血は続いていくのでございます。いつまでも、で。」


 不意を打たれて、男の意識が老婆からそれる。しわがれた声をまねるように答えたのは、例の少女である。かっと盛る胸の炎にかられて男が勢い良く振り返ると、少女もまたくつくつと、意地の悪い顔で喉を鳴らしているのが見えた。


 その瞬間に、脳が、揺れた。


 ぐらり、ぐらりと視界が歪む。手にした鳥銃が滑り落ちて、けたたましい音を暗い屋敷に響かせた。

 藁をつかむようにして伸ばした手が、木彫りの食卓テーブルをひっくり返すのを見て、ようやく男は、老婆が一口たりとも茶を口に運ばなかったことを思い出したのだ。


 ――そうしてまた、数刻の後。

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