【年内更新予定】あの工事現場のクソには絶対あやまらせる
大滝のぐれ
カタストロフ
ジジイ/ピザデブ/営業マン
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どこかの国のでかいミサイルや爆弾でなにもかもが吹き飛んで消えてくれないかな、でも戦争に巻き込まれて死ぬのは嫌だな、でもやっぱり死にたいな消えたいな生を終わらせたいな。だけどそうは言ってもわたしだけが死ぬのは嫌だから核とかなんちゃら砲とか、多くの人が同時に瞬時に死ぬやつでハッピーエンドみたいなのを要望したい。だけど戦争は嫌だなあやっぱり。
毎日、そのようなことに思いをはせながら電車に乗っている。わたしの脇腹へ先ほどからずっとビジネスバックを食い込ませてきているジジイは、隣にいる若い女がこの社会における集団道徳意識に真っ向から中指を立てるような妄想を繰り広げているなんて露ほども考えていないだろう。もしかするとそんな発想を抱いたことすらないかもしれない。スーツは変なにおいがするけどそういったものに疎いわたしから見ても仕立てがよくて手入れも行き届いているように見え、シャツも変なにおいがするけどしっかりと糊が効いている。多くの人が思い浮かべるような、ごくごく普通の会社員。それなりの地位にいてそれなりに成功している人。頭の中にそんな単語がよぎり、今すぐにこの車両の鉄の扉を開いて緊急脱出したくなった。幸せだ。幸せなんだろうな。きっと人身事故での遅延や、やむにやまれぬ人殺しや犯罪行為、不倫とかに「これはいけない」「考えられない」「あり得ない」「迷惑をかけるな」ってそらで言えて気持ちよくなれる人なんだろうな。いやもちろんそう言いたくなる気持ちもわかるしそれが絶対的に正しいことなのはわたしだって理解しているけど、そこにほんの少しの『想像力』を働かせることができないんだろうなきっと考えが化石になってるんだろうな、ということをどうしても考えずにはいられない。でも、やっぱりだめなのだ。核が落ちてきて救済が与えられない以上、わたしはみじめにこんな性格の悪い偏見や八つ当たりを思い浮かべることを続けるしかない。でもわたしの勘はよく当たる。おおよそおそらく十中八九だけど、今回に限ってはあながち間違いではないかもしれない。だって、ある一定の基準のもとに選び購入したであろう自分のバッグが、隣にいるわたしの臓物を圧迫していることに彼は気づいていないから。
今すぐこれをどけないと殺すぞ、お前のバッグのサイドポケットに刺さりっぱなしのボールペンで目ん玉えぐり出すぞ。呪いを込めた視線を送るも、彼はずっと携帯の画面を凝視したままでいる。おいわかってるのか。今ここで、お前を、殺すんだぞ。殺意を上塗りし、これ見よがしに体を揺すってみる。だが、とうぜん結果は同じだった。ていうか、さっきからこいつはなに見てるんだよ。バッグによって腹が余計に潰されていくのを感じながら首を伸ばし、ジジイの持つ携帯をのぞき見る。すると、そこにはかわいらしいピンク色のワンピースをまとった小さな女の子が映っていた。どこかの家の庭先で三輪車を漕いで遊んでいる。液晶の中のそれが転んだり微笑んだりするたび、彼の顔がにちゃっと割れて笑みが現れる。きっと、自分の孫の動画だろう。数年前に他界したわたしのおばあちゃんも、小さいころのわたしに同じようなまなざしを向けていたような覚えがある。
「あ、すみません。鞄が」
次の駅が近づいたことを知らせる車内アナウンスが契機となり、ジジイがついにわたしの殺意と憎悪に気づいた。しかし、思っていたより数段柔らかな声と所作にびくつき、毒気を抜かれてしまった。あんなに忌々しく思えていたバッグの存在が、脇腹からさっと消える。あはは、いいんですよそんな、こちらこそすみませえん。強化外骨格のようなよそいきの高い声がわたしから勝手に出力される。同時に頭も上下した。
「こちらこそすみません。いくら満員電車とはいえ」
「あ、ああっ、いいんですよほんとにいー」
お互いにへこへことしていると、すでに速度を落とし始めていた電車が完全に停車した。ドアが開くと、彼は会釈をして外の人混みに消えていった。車内の半分ぐらいの人間が総入れ替えされると、再び扉が閉じる。徐々に動き出す淀んだ空気を内包した箱の中、わたしは小さくため息をついた。いくら自分の手荷物が他人を害していることに気づかなかった男だったとはいえ、わたしは彼の携帯を不当にのぞき見し、あまつさえ人の痛みがわからない人とかお高いものを身に着けているわりには加齢臭対策はしてないんですねとかこの孫みたいな女の子もほんとはネットで落とした赤の他人の子供だろ見て興奮してるんだろロリコンなんでございますわねおほほほ、などと好き勝手に妄想し罵倒していた。これにはさすがのわたしでも少しだけ後ろめたさを感じた。やっぱり人を外面だけで判断することは難しい。わたしの勘は万能ではない。こんなできた人をわたしは自らの憂鬱のために爆発へと巻き込もうとしていたのか。吹いたら飛んでいきそうな薄い自己嫌悪が体を満たす。いくら軽いものだとしても、罪を犯した直後のわたしにとってはこのうえないリアルだ。
会社の最寄り駅まではあと三駅ある。ゾゾタウンで欲しい服を溜め込んだお気に入りリストを眺め、少しでもテンションをあげることにしよう。数十分後に待ち受ける労働を思い、職場に向けた想像の核発射ボタンから指をつけたり離したりしながら携帯を取り出す。瞬間、自分の前方にいる紺色のスーツでできた肉壁から異臭がすることに気づいた。ジーンズのファスナーを触った指を嗅いだときのにおいを、数段強力にしたもの。つまるところにんにくのすさまじい臭気がそこから香ってきていた。先ほどのおじさんの加齢臭の比ではない。よく見ると、周りの人の表情も多くがしかめっ面に表示変更されていた。死ね。殺すぞ。わたしが数刻前まで発し続けていたものと同質のぴりつく空気が車内に充満していく。その中で、紺色がゆっくりとうごめく。縦にも横にもでかいそのデブの横顔がわたしの視界に入る。吹き出物と積み重なった脂、顔に張りついた脂肪ともみあげにより、それはすさまじい不快感を粒子のように放散していた。耳にはめているワイヤレスイヤホンから漏れる大きな雑音も、その存在を強く意識させるのに一役買っている。
無言の圧力がよりいっそう強くなっていくも、おめでたいことにデブは気づいていないようだった。いや、わかっているうえでわざと意に介していないようにふるまっているのだろう。その神経のずぶとさがわたしは羨ましくなった。だがそれと同時にこんなやつにはなりたくないとも思った。
手にしている携帯に表示されたリズムゲームのアイコンを妙に機敏にタップしながら、酸素の取り込みのためか彼はところどころで変に出っ張った唇を開閉した。そのたびに空気中のにんにく濃度が上がっていく。ラーメンにすりおろしたそれをたっぷり放り込んで食し、家に帰ってから入浴も歯磨きもせずに寝て、普通に起きて電車に乗り、スマホアプリを立ち上げる。彼が過ごしたと思しき昨晩から今現在までの時間の断片たちがはっきりと思い浮かぶ。早く降りろよ、あと三駅も耐えるなんて拷問だろと考えながらゾゾタウンを見ていると、突然電車が大きくぐらついた。緊急停止します。緊急停止します。無機質な声が臭気の中に溶け込んでいく。この路線はあちこちに踏切があるため、たびたびこういうことが起こる。外の風景から考えると、もう少し進んだところにはたしかそれなりに大きい踏切があったはずだ。
「おい」
予期せぬアクシデントで車内がにわかにごたつく中、その声ははっきりとわたしの耳に届いた。おい! 気にせず携帯を触っていると、それはひと回りくらい大きい声になった。
「ったくよお」
瞬間、わたしの手元がなにかの衝撃によって揺れ、あやうく携帯を取り落としそうになった。ぎょっとしながら前を向く。ちょうど、迷惑そうな顔をしたデブが自分の背中を腕で払っていた。なんだよこっちのほうが困ってるんですけど主にお前のせいでなと思ったとき、体が揺れによって傾いだことで、自分の携帯が彼の背中に突き刺さってしまっていたのだということにわたしは気づいた。
「す、すみませえん」
またあの声が口をついた。肉に埋没したデブの黒目が私を捉える。ひときわ大きな舌打ちをすると、彼はふたたび携帯に視線を落とした。窓から漏れる朝の光で、指紋だらけの画面が白く光っている。ったくよお、まったくよお、ざけんなよお。怒りが収まっていないのか、彼は素早く指を動かしながらも、ときおりわたしをじろじろとねめつけてきていた。ゲームが終了したのか、イヤホンから垂れ流される雑音が小さくなった。FULL COMBO。青く縁取りされた丸っこい文字が脂まみれの中で輝いている。
それが目に入ったのを合図に、わたしは筋骨隆々の男になる。
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