独歩

髙田野人

独歩

 武蔵野の名前を聞いて国木田くにきだ独歩どっぽを思いだす人も、いまでは珍しい。多くは、東京はどこそこの地価の高そうな街を想像する。説明を聞いてさえ、国木田の名前がでない人も少なくはない昨今である。


 すでに過去の人なのだ。彼は、博物館のガラスの向こうに飾られた美術品のひとつであって、モナリザのような人であって、現代に生きる人ではない。


 一部の好事家こうずかのみが、故人の墓穴を掘り返すような無粋でもって、独歩という人を、当人でさえも忘れたいだろう恥も含めた人生の枝葉末節しようまっせつを、陽光のもとに暴きださんと使命感に燃えるばかりだ。


「こんにちは」と来た。


 武蔵野樹林むさしのじゅりんの木々に見惚れていたから、私は彼が声を掛けるまで気づくことができなかった。驚き、狼狽うろたえ、会釈して誤魔化し、喉奥より、「こんにちは」の一言を絞り出す。すれ違う見知らぬ人と挨拶を交わすのは、山登りの人々の慣習である。


 初老の顔に、壮健な脚を持つ彼であった。小さめの背嚢サックに、風通しの良い膝丈のズボンを履き、軽金属の山杖ストックを手にしている。ズボンの裾から伸びる脚ときたら、ふくらはぎの肉の盛り上がり盤石のごとく、あと一○○年は生き歩いてやろうという気概を感じた。


「おひとりですか?」と続けて来た。


 私は先の失態を取りつくろうように、「独り歩きの独歩です」と返した。的を外せばただ恥ずかしいだけのたわむれであったが、初老の彼はニコリというよりニヤリと笑い、私の洒落を呑み干してくれた。


 会釈を交わしあい、彼は行き、私は残った。


 武蔵野樹林の山を貫く、ここで横文字は使いたくないのだけれども、ハイキングコースのことである。山に掛かった傾斜をもつ散策路のことである。道程も半ばの、休みをとるにも半端なところであったから、迷子かなにかと心配されたのかもしれない。


 散策路では、右の左の林影りんえいが踊っていた。風が吹くたびに木々の枝葉がざわめき、影であったところに木漏れ日が、木漏れ日であったところに影が、陰陽いんようめまぐるしく回転し、林影が煌々きらきら楽しげに踊っていた。


 武蔵野は雑木林で、多様な植生が見られる貴重な地だ。雑草という草が無いように、雑木ぞうきという樹木も無い。あれはコナラだ。あれはクヌギだ。そうやって一柱一柱を眺め歩くうちに、名前のわからぬ木と出逢った。巨木であった。


 国木田の時代から100年が過ぎた。当時より、文政年間に面影は入間いるま郡に残れりと述べられるほどであったから、一世紀のうちに増えた人の数によって、わずかに残った武蔵野の面影もまた消え失せた。国木田はなんでもなしの萱原かやはらに武蔵野の面影を見たが、いまではそこも水田であり、畑であり、人の住みつく宅地である。もはや、武蔵野に野は無い。


 私と国木田の時代を繋ぐのは、息の長い樹木だけである。武蔵野を歩く国木田が独歩であったか定かではないが、独歩であったように思う。人の喧噪に息切れをして、ちょうど今の私のように、武蔵野に無為自然を求めて訪れたように思うのは、ただの願望だろうか。


 武蔵野は、かつて野であった。原野であった。果てまでつづくなんでもなしの野原であった。時代は江戸の以前にまでさかのぼり、薪炭しんたん材として、クヌギやコナラが人の手により植樹されたのが武蔵野樹林の始まりになる。やがて時代は石油の世となり、無用のものと放置された挙句の野生化が、いまの樹林の風景である。


 生い立ちから人跡絶無の原生林と呼ぶことは適わないのだが、かといって、雑木林と軽々に述べるのも、ためらいがあった。木々の枝ぶり、緑のほどは見事であり、雑木林と聞いて人が思い浮かべる林とは、一線を画すだけの風格があった。


 ここはひとつ、人の手を離れた野生林やせいりんと呼ぶことにしよう。もちろん自家製の造語であるから他人様ひとさまの耳には入れられないが、心のなかで呼ぶには誰の迷惑になることもない。自分、独りの気持ちである。


 野生林に目立つのは、クヌギやコナラの薪炭しんたん材や、キリやヒノキの木材など、人の生活に役目ある木々だ。江戸からそう遠くはない武蔵野台地の山々では、古くから林業が盛んであり、人の目には無限にも思える木々を、長い時間をかけ食いつぶしてきた歴史がある。


 そして、ああ、と気が付いた。この巨木はヒノキだ。あまりに立派に過ぎたものだから、ヒノキだと気が付けなかった。江戸の昔のさらに以前より、ヒノキは木材として人気の一柱ひとはしらで、樹齢が立派であるほどに刈られてきた。切られてきた。薪炭が石油に取って代わられたのちも、国産のものが良いと、ヒノキばかりが手折られてきた。だから、だ。私は、老いたヒノキの巨木を前にして気がつけなかったのだ。


 木も人も同じだ。

 古びた樹皮は程よく渋い皺が寄り、若木とは別の老いた顔を見せる。


 江戸の昔にひっそりと芽生え、国木田の時代をも生き抜いて、いま、私の目の前にある一柱ひとはしらのヒノキは、だが、人の世のうつろいなど知らぬという顔をして起立する。場所が場所であれば、しめ縄の一本でもって縛られて、たいそう窮屈な思いをしたことだろう。


 くく、笑いが漏れた。


 国木田も、この一柱を目にしたのだろうか、思い、いや、その頃にはハイキングコースなどなかったかと残念に思い、いやいや、元々にして歩きやすい道をこそハイキングコースにしたのではないかと己に都合の良いよう解釈を改める。


 では、なにゆえ国木田の武蔵野には、この巨木の記述が無かったのかと考えたなら、秘すことで守ったのだと答えがでる。武蔵野の山に、古くより生きるヒノキの堂々たる姿ありけり、などと書けば、人の欲をいたずらに駆り立ててしまうものだ。


 国木田が秘密としたのだ。だから、私も秘密としよう。国木田と私だけの、あるいは散策路を通り過ぎていったあの初老の彼も含めた、我々だけの秘密だと思えば、くく、やはり笑いが漏れた。


 得心のいった私は、これ以上に目立たせるのも悪いと思い、独歩を進める。私が見惚れ続ければ、通りがかりの誰かも見惚れ、携帯写真の一枚もインターネットに流布してしまえば、心無いものが傷を刻みつける時代に違いなかった。


 山に掛かった傾斜をもつ散策路、連れのない旅であるから口数も少ない。思いつくままの言葉を黙思口吟もくしこうぎん、かたわらの木々に語り聞かせながら独り歩む。


 このような野生林を歩むには、30も覚えれば良い。スギやマツは覚えるまでもないが、クヌギにコナラ、カエデにイチョウ、ヒノキにアスナロ、あとはウメにサクラを覚えるだけでも山の風景は違って見えるものだ。


 亜種を含めたなら30が300でも追いつきはしないが、犬の犬種がどうであろうと犬と猫を間違えぬように、これはサクラの一種であるとか、これはカエデの一種であるとか、分かるだけでも山歩きの風景は違ってくる。


 つぼみも花もない葉だけのサクラを前にして、これがサクラと分かることは、なにやらの玄人くろうとであるかのような心持ちであり気分も良い。山歩きが独歩であれば、ひけらかす連れの相手も居ないから、蘊蓄うんちくの山に辟易へきえきの顔をされる心配もなかった。


 私が散策路の独歩を行けば、向こうからも独歩にて来る人があった。地元の学生なのだろう、上にも下にも学校指定のあずき色のジャージを着こんだ軽装の少女であった。これが、森ガールというものなのかと思い、違うような気もした。そもそも森ガールという言葉さえ、息をしているか不明である。


 言葉は生まれ、言葉は死ぬ。セミの一生よりも短い。セミは幼虫の身で、三年、五年、七年、下手をすると十七年を生きるから、あれで虫のなかではかなりの長命だ。ここ十七年で生まれて死んだ言葉の数を思えば、森ガールの言葉も死んで久しいのだろう。


「こんにちは」と先に言ったのは私だ。


 山の挨拶にも慣れているのか、若々しさが心地よい快活な声が返ってきた。


「おひとりですか?」と見れば分かることを口にして訊ねる。


「はい」と答え、彼女もまた、「おひとりですか?」と繰り返しに訊ねてくれた。


 先の成功から、いささか調子に乗っていた。


「独り歩きの独歩です」と御自慢の洒落を口にして、大きく的を外した。中学生か、高校生か、どちらかであろう少女が困惑の表情を浮かべたものだから、私は慌てて、「ひとりです」と答えなおした。自身の洒落を説明することほどに恥ずべき語りもこの世にはない。


 軽く会釈し、互いに去った。

 道は一本で、私はあちらに、彼女はそちらに。

 天狗の鼻折れ、肩を落として私は進む。足が50を数える少し手前のことだった。

 大きな声だ。


「国木田独歩ですか!?」


 よく通る若々しい声が背中より聞こえ、私は振り返る。100ほど離れたところで森ガールが振り返り、口元に手の輪をあてていた。私は大声に自信がなかったので、両腕を使い、頭の上に大きな輪、正解の丸を作って答える。


 少女は二度、三度、私にも分かるよう大きく頷いて、笑顔でもって手を振り、背を向けて、そして行く。私は去りゆく少女の背を、いくばくか名残惜し気に見つめたのちに、やはり笑顔で少女に背を向け、散策路の先を目指して歩き始めた。


 この道に、すれ違う者はあれど、共に往く者は無い。

 これ、独歩である。



 春は遅く、花よりも木々の葉が華々しく茂る季節の休日、国木田との約束があるから場所は秘するより他にはないが、埼玉は所沢より西へ向かった山のひとつのことである。

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独歩 髙田野人 @takadaden

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