鏡|鏡。
千島令法
第1話
天高い冬のロンドン上空。ジェット機が飛ぶ高度よりもさらに上。およそ高度八十キロメートルに突然として、胡麻ほどしかないコップの形をした小さな鏡が現れる。その時分には、まだ誰にも認知されていないほどだったが、鏡はひっそりと日に日に大きくなり成長していた。そんなところに誰が鏡を置いたのか、浮かばせたのか。
その鏡の存在に人々が気付いたときは、車がすっぽりと入ってしまうほどの大きさになってからのことだった。最初に見つけたのは、天文学者。たまたまペルセウス座β星の天体観測をしている時に、星ではない何かが見えたそうだ。八十キロメートルも地上から離れていると、肉眼では確認することは難しく、天体観測でもしていないと分からないほど鏡はまだ小さかった。
だが、発見された後。鏡は凄まじい勢いで成長し、出現からひと月過ぎると地上から肉眼で確認できるほどまで大きくなり、そこからもうひと月経った頃には街一つほどの上空を飲み込んだ。本来であれば青くあるべき空に、その鏡は留まったまま移動する気配もなくロンドンの街並みを映し続けた。そして、その鏡は地上から放たれる光を反射し、照らされた一帯は昼夜問わず明るいという、空のみならず地上までも異様な光景になった。その状況に、世界中では宇宙人が侵略しに来たという噂でもっぱらになり、国も黙って見過ごすことが出来なくなる。イギリスは緊急事態を宣言し、鏡の破壊に身を乗り出した。そして、その宣言の翌日、イギリスから一発のミサイルが打ちあがった。
その一発のミサイルは勢いよく鏡へ飛んでいき、もうすぐ衝突すると思われたタイミングで歪んだ。ミサイルは爆発を嫌がるように鏡にそっぽを向き、ゆっくりと「く」の字に折れ曲がっていく。そして、真っ直ぐな形に戻ったと思ったときには、地球めがけて突進していたのだった。幸いにも、そのミサイルが落ちた場所が海だったので、大事には至らなかったが、不可思議な現象に世界中は驚愕することしか出来ずにいた。
その一件から「鏡を何としても壊せ!」という破壊派、「一緒に鏡様を信じましょう」という信仰派、「鏡に世界を飲み込まれる」という悲観派など、様々な派閥の意見が飛び交った。
そんな思考がぶつかり合う中、世界中の各国が身を乗り出して鏡の調査が行われ、破壊する方法が考案された。だが、ひと月経っても進捗はなかった。宇宙まで行けるほどの速度を持っていても、散弾銃のように拡散させても、鏡は全てを跳ね返す。コップの形をした鏡の側面もまた同じく、全てを跳ね返した。
そうして、世界中が破壊にあぐねている中、鏡はさらなる成長を遂げた。ミサイルを打ち上げた翌月には、イギリス、ベルギー、オランダを飲み込んでいたのだ。
鏡の成長は、多くの問題を生み出した。常に街が明るいことで体内時計が狂い、気を病む人、GPSが入らなくなりサービスを提供できなくなる企業、異常なほど成長する植物。そして、特に一番の問題になったのは熱の反射だ。本来、地球から宇宙へ一部の熱は放出されるのだが、鏡がそれを反射するためそのまま返ってくる。そうなると、急激に一帯だけ温度が上昇し、来週には年が明けるというのにもかかわらず、気温二十五度を超えている夏のような暑さにまでなったのだった。このまま放置していれば、すぐに世界中が飲み込まれ、人類は蒸し焼きになり死に絶えてしまう。そう予想するのは、簡単なことのように思えるほどだった。
欧州全体も飲み込まれ、いよいよ本格的に地球が終わってしまうと思われたころ、一つの声が上がった。
「私が鏡を壊してあげましょう」
そう豪語した男は、地球の外にいるイギリスの宇宙飛行士だった。そして、彼は続けて、こう言った。
「帰還カプセルで宇宙から鏡の内側にぶつかれば、壊せるかもしれない。鏡の破壊という大役を、私に委ねてはくれないか」
世界中で生中継されたその提案は、管制局を含め多くの議論を集めることとなった。わずかながらの可能性に希望を見出す人、帰還カプセルと使うこと=宇宙飛行士の命を失うことであることに気が付いた人、鏡様を壊させないと信仰する人と、方々から意見は交わされた。
そして、三日後。そんな地球上の言葉を、
「偉大になりたくて、私は宇宙飛行士になった。違う形でも、その目標を成し遂げることが出来れば、それだけで偉業だ」
彼は、そう言って全ての意見を無視した。私利私欲のために実行すると、言い放ったのだ。
その日の内に、彼は行動した。もう彼に迷いは一切なかった。それもそのはず。彼は鏡に帰還カプセルで衝突すること事前に決め、計画通りに世界に発信したのだから。
すぐに宇宙船から帰還カプセルは切り離され、鏡めがけて突っ込んだ。地球の強い重力に引っ張られる命を賭した一矢。それは大気圏を通る時、赤く燃え輝いた。しかし、地球からその輝きを見るものはいない。鏡が阻むから。
そして、そのまま誰にも見られることもなく、鏡の内側に帰還カプセルは入り込み、勢いを殺すことなくぶつかった。
彼の思いを乗せた帰還カプセルは、鏡に小さな穴を開けた。その穴は、胡麻一粒ほどしかない極めて小さなものだったが、穴から広がるようにポロポロと鏡は剥がれていった。そして、イギリスに大きな太陽の光が空から直接差し込んだ。その突然の光を見た人は驚き、歓喜した。
「太陽だ! 太陽の光だ!」
その声から連鎖するように喜びは広がる。そんな歓喜が後押しをするかのように、さらに鏡は剥がれ、宙に消えていった。その様子を見たイギリス首相は、
「我々は一人の命のもと、勝利を手に入れた!! 勝ち取ったのだ!!」
と、地球全土に向けて宣言した。その宣言と共に歓喜の渦が地球を飲み込んだ。そして、すぐに英雄のいる帰還カプセルを世界で大規模に捜索された。感謝を伝えたいという者は多く、一刻も早く帰還してくれることを切望された。
だが、その願望を裏切るように、それからひと月経っても、ふた月経っても、帰還カプセルが見つかることはなかった。鏡にぶつかった後、深い海に落ちてしまったのだろうという説が一番有効とされた。
彼は今も深い海の底で眠っているのだろうか。
欲望を満たせて、幸せを感じているだろうか。
そして、十年後。
また密かに鏡が生まれる。両面鏡になって。
鏡|鏡。 千島令法 @RyobuChijima
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