第4話 あと3時間49分…

「忘れ物を取りに来たんです」

「忘れ物って? 」

 彼女は、ずっとは肩に提げていた鞄の中から古いラジオを取りだした。

「このラジオです」

「わあ、古いラジオだね。ちょっと見てもいいかな」

「ええ」

 僕は彼女からラジオを受け取ると、教卓の上に置いて、ダイヤルのつまみを回してみた。

「このダイヤル…懐かしいな」

「先生、ラジオに興味あるんですか」

「父がラジオ好きで、家にあったんだ。なんでも若いときに海外の日本語放送を聞いいたらしい」

「そうなんですか」

「オメガさんは、このラジオで何を聞いているのかな。やっぱりFMの音楽かな」

 でも、彼女は首を振った。

「いいえ…別のものです」

「別のものって? NHKの教育番組? 」

「ううん、ちがいます」

「まさか気象通報の放送じゃないわよね」

「気象通報? 」

「理科の授業で天気図なんかを書くときに聞くヤツさ」

「天気図か…もしかしたら、よく似たものかもしれません。だって、空からの声だから…」

『不思議な子だ』

 と、僕は彼女を見つめた。そう言えば、彼女の瞳は青みかかった色をしている…もしかしたら、父母の片方が外国人かもしれない。

「空からの声? 」

「私に話しかけてくれるのは、それだけなんです。だから、このラジオ、私にとって一番大切な物なんです。でも…」

「でも? 」

「家で聞いていると怒られるんです。そんな物、聞く暇があったら勉強しなさいって…。だから、教室の机のなかに、大事にしまってあったんです」

「そんなに大事にしまっていたラジオを、どうして、こんな遅く取りに来たの? 」

 彼女が下を向いた。

「明日から、もう、学校に来ないかも知れないから…」

「明日から学校に来ないって、どういう意味かな? 」

 そのとき、ドタドタと廊下を走る音が近づいた。彼女は僕の背後に急いで身を隠した。僕の背中に当てられた彼女の手は震えていた。しかし、足音は、そのまま通り過ぎた。

「もう、ドタドタ走ってうるさいな。生徒には廊下を走るなって、いつも注意しているくせに…ね」

 彼女の気持ちを和らげるように僕は笑顔で振り返った。すると、彼女は恥ずかしそうに僕の背後から、

「すいません」

 と飛び退いた。そして、話題を変えるような感じで僕に向かって聞いた。

「ところで、先生こそ教室でいったい何をしていたの」

「明日の研究授業の練習さ」

「研究事業の練習? 」

「そう。教育実習生で僕だけさ、まだ研究授業終わってないの。教育実習生の落ちこぼれだね」

「そんなこと言わないでよ、先生」

「本当に落ちこぼれなんだ。この前の研究授業で出席を取るとき生徒の名前を読み間違えて生徒達から笑われた時、もう、頭の中がカーっとなってとなってブルブル足が震えてきて、次の生徒の名前、どもってしまって…その後、もう何も言えなくなってしまったんだ…」

「どうして? 」

「実は僕、緊張すると吃音がでるんだ」

「吃音…」

「そう…小さいときから吃音は僕の劣等感だった。小学校時代は、よくクラスメイトから吃音をからかわれ、いじめられたよ。そのせいで中学校時代は、ほとんど人と話さなくなった…でも、このままじゃいけない。僕も変わりたいと思って、高校時代には演劇部に入ったんだ」

「演劇部? 」

「逆療法だよ」

「なるほど、そうか」

「人前で緊張していても、落ち着いてリズムよく話せるようになれば、吃音が出ないようになるっと思ってね」

「で、吃音はどうなったの」

「3年間、頑張ったかいもあって、吃音は、ほとんど出ないようになった」

「すごい! 」

「でも、吃音は消えてなかったんだ…あの研究授業の日、再び現れて、僕を苦しめた…」

「先生…」

「だから、生徒達から名前の読み違えをからかわれた時、頭の中に、小さい頃からの、いじめられた記憶が、いっせいに蘇って、胸が苦しくなって、口がこわばって動かない…話したくても話せない…もう授業もなにもできなくなったんだ…」

「そうだったの」

「そして、それを指導教官の笠間先生にキツく責められたんだ…」

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